17 ロデリックとヴァンダービル家③
「…………急ぐ。失礼」
「殿下、姉は元気でおりますでしょうか?」
十六歳のエヴァンジェリン・ヴァンダービルは、いま社交界の若い男たちの間で一番人気の令嬢らしい。
華やかな美人ではある。所作も貴婦人として申し分ない。
だがロデリックは、もともとエヴァンジェリンと顔を合わせるたびに微かな違和感を覚えていた。
それは今回の一件により、嫌悪へと変わった。
そんな彼の思いなど知るよしもないのだろう、いっそ身体が触れ合っても良いとばかりに立ちふさがるエヴァンジェリン。
あいにくロデリックはこういう女性に慣れているので、ひょいとかわして進む。
しかし彼女はドレスの裾をさばきながら何とか早足でついてくる。
伯爵令嬢なのに侍女もつけていないのはそういうことなのか。
「わたくし、妹としてお姉様のことが心配で心配で……もしよろしければ姉の近況をうかがえませんこと?」
「急ぐと言ったが?」
「そんな……!
冷たいことをおっしゃらないでください。
わたくし、姉と仲直りがしたいのです。
殿下だけが頼りなのです。どうか……!」
「使用人たちの証言では君は、マージェリー嬢に話しかけようともしなかったと聞いている」
「それは……両親の目がありましたから。
わたくしは変わらず、姉と仲良くしたいと思っておりましたのに、両親がそれを許してはくれませんでしたの」
「とにかく今日は無理だ。改めてくれ」
「わかりましたわ。
では、せめて同じ方向に歩かせていただくことはお許しくださいな。
本当なら、あの催しでたくさん殿下とお話しさせていただきかったのに、結局できませんでしたもの」
何というのか、巧妙にこちらの苛立ちを掻き立てるポイントを突いてくる。
無神経な女なのかと最初は思ったが、どうやら違う。
まとわりつきつつ相手を苛立たせてつい反論するようにしむけ、そこから会話の糸口を掴もうとするやり方のようだ。
(自分の家が置かれている立場をわかっていてこういう態度に出ているなら、相当な面の皮の厚さだ)
実際のところ、姉に会いたがっているのは『自分は両親とは違う』というフリでこちらに近づこうとしているのか、それとも姉を言いくるめて生存を公表させないようにしたいのか。
そういう計算高さは貴族の女としては優秀なのかもしれないが、乗ってやる義理はない。
「姉に会いたくて……もしかしたら王宮にいるかと思って聞いて回ったのですけど、王宮ではなさそうですわね。
ですからきっと、殿下のご領地のウィズダム城にいるのではないですか?」
「……」
「殿下。わたくし、お姉さまに会いたいですわ。
姉もきっと、誰も知っている者がおらず一人ぼっちで寂しがっているはずです。
それは……あの誘拐事件の後は両親が豹変してしまいましたから、姉とは距離を置かざるを得なかったのですけど……わたくしたち、十年前まではとても仲の良い姉妹だったのです。
姉も、わたくしのことをとっても可愛がってくれて……。
わたくしが顔を見せれば、姉はきっと喜びますわ。
ウィズダム城に伺わせてくださいませ」
小鳥のように可愛らしい声でつらつらしゃべってくるが、一切答えないでおく。
そんなに大事な姉なら十年間も放置するなと言いたいところだが、言い返せばそこから話を広げてきそうだ。
「駄目でしょうか……では、せめて姉の好きなお菓子をウィズダム城へお持ちさせてはいただけませんか?
クルミとアーモンドの両方入ったヌガーが、姉はとっても大好きでしたのよ」
「……っ、不要だ」
「あら、ではっ、王宮で殿下にお渡しさせていただければよろしいですかしら!
我が家のタウンハウスの料理人なら姉の大好きだったヌガーのレシピを持っていますもの」
苛立ちのあまり、つい返してしまい、エヴァンジェリンに返事をする余地を与えてしまった。
ロデリックも早足で歩いているので、いくら急いでもドレスに足をとられるエヴァンジェリンとは、もう二馬身(約4.8メートル)ほども間が空いている。
それだけ置いていかれても一方的な会話を続ける彼女の図太さは見上げたものだが。
「……ここから先は関係者以外立ち入り禁止だ。
両親より先に罰せられたくなければ、早々に去りなさい」
半ば根負けしてロデリックが声をかけると、またエヴァンジェリンは花のような笑顔を見せ、
「ありがとうございます。殿下と二人でお話しできてとても楽しい時間でしたわ」
と、しれっと存在しない時間を捏造して楽しげに去っていくのだった。
(こうやって、好意を抱かれていない相手にもどうにか自分を印象付けるのか)
それで社交界一番人気といわれているのだから、その手管は他の男たち相手には成功しているのだろう。
悪印象からでも印象にさえ残れば好意に変えられるという変な自信が垣間見える。
ただ正直、ロデリックが苛立ったのはエヴァンジェリンの話術ではなく、彼の知らないマージェリーの情報をちらつかされたからだ。
ロデリックは、マージェリーの好きな食べ物を知らない。
ウィズダム城に彼女を迎え、可能な限り食事などともにするようにしても、遠慮したがりな彼女からは、何が好きかという話が出てこない。
与えられるものはすべてありがたがってみせるし、好みに合わないとか好きではないといった言葉も聞いたことがない。『好きな食べ物』の情報は初めて得た。
とはいえ、帰ってさっそく料理人にヌガーを作らせるのも正直癪だ。
そもそも十年前の好物が今もそうかはわからない。
(……もう少し本気で、マージェリー嬢の本音を引き出してみよう)
姉の執務室向けて足を止めず歩みながら、ロデリックは心に決めた。
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