13 ウィズダム城での日々②
「殿下から、新しい本が届いていますよ」
「殿下から?
……え、『少女と蒼き竜の冒険』三巻だわ!
二巻をちょうど読み終えたところよ……!」
とても綺麗な多色刷り表紙のその本は、ただいま私がどっぷりハマっている子ども向けファンタジー小説だった。
十年間活字といえば新聞ぐらいしか触れられず、物語といえば新聞の連載小説ぐらいしか読めなかった私は、このウィズダム城に来てからロデリック殿下にたくさんの物語の本をいただいた。
どれもこれも、ものすごく面白い。
大人向けの小説は辞書を使ったり本で調べながら読むことになるけれど、ついつい読みふけってしまう。
そのせいで最近とある悩みを抱えていた。
「ああ、どうしましょう……いますぐ読みたいけど、先生がいらっしゃるまでに予習もしておかないといけない、でも読みたい……」
「ちょっとくらい、よろしいんじゃないですか?
殿下のお計らいですし、日々のお勉強もがんばっていらっしゃいますし」
「ううう……いえ、でも、後にするわ。
読み始めたら絶対にちょっとでは止まらなくなってしまう……」
「あらら。
ゆっくりできるお立場になられましたのに……お嬢様はストイックでいらっしゃいますね」
「ストイック……というか、勉強はできる時にしておきたいのよ。これから先もできるとは限らないから」
本当なら子どものうちに勉強しなきゃいけないことを、私は十年間学べなかった。
それは、私にとって大きなコンプレックスだったし、たとえ新聞で最新情報は得られても、たぶん学問の基礎がないせいで十分に理解できないこともあった。
この城にいる間に本を借りて少しでも勉強したい、と、殿下にお伝えしたら、各分野の家庭教師を手配してくださったのだ。
真剣に勉強したい。
だけど部屋には面白い物語の本がたくさんある。
その誘惑と闘うのがとても大変。贅沢な悩みだ。
(殿下のくださる本はどれも面白い……だけど、私はちゃんと勉強して、自立した女性にならないと)
どんな仕事を選ぶにせよ、今の私には一つ目標がある。
邸の中でなんとか立ち回りながらも主人の意向に逆らって私に寄り添ってくれたリサや、たくさん勉強して女王陛下に認められるほどの仕事をするようになったアンナのように、自分一人の足で立って生きていける女性になることだ。
今後、私を助けてくれた人たちに何か恩返しができれば嬉しい。
だけど、人を助けられる人になるには自分の足で立てる人間になる必要がある(と、リサとアンナを見ておもった)。
殿下はとにかく私に優しいけれど、私はそれに甘えてはいけないのだ。
(てっとり早く自立しようと思ったら、経験のあるハウスメイドの仕事が良いんでしょうけど……何かで私の身元がバレてしまったら雇い主に迷惑がかかるかもしれないし……殿下もあまり良いお顔はなさらないんじゃないかと思うわ。
どんなお仕事を目指すか、勉強してしっかり見極めないと)
予習を進めながら、私はそう決意を新たにした。
────家庭教師の先生は時間通りいらっしゃった。
授業は昼食とお茶の時間を挟みつつ続いた。
長時間の勉強はやっぱり疲れる。
けれど、昼食も、ティータイムの紅茶やお菓子もとっても美味しいのでやる気が出てくるし、ほどよい休憩時間になっているのだ。
「ふう……終わったわ」
今日の授業が終わると夕方だった。
疲れながらも『少女と蒼き竜の冒険』三巻に手を伸ばしかけたところで、
「今日はお勉強漬けでしたし、座りっぱなしもお身体に良くないでしょう。読書の前に少し歩かれませんか?」
とリサに言われた。
確かに、と思い、私はリサとともにお城の庭園を散歩することにした。
庭園に出ると、いまが盛りと咲き誇る薔薇に囲まれる。
(……良い香りだわ)
四季折々の花が植わっているというこの庭園は、本当に手入れが行き届いている。
ついつい足が弾んでしまう。
「ここは本当に良いところですねぇ、お嬢様」
目を細めながらリサが言う。
一般的に身分の低い者から話しかけるのはマナー違反ではある。
だけど、いまも二人きりの時はリサから話しかけて良いことにしていた。
「そうね。リサはここには慣れた?」
「慣れたと申しますか、待遇が良すぎて落ち着かないぐらいですかね。ほんとに皆さん良い人ばかりで働きやすいです。
それにしても、ヴァンダービル家はなんであんなに酷い家政婦長を雇ってたんですかね……」
「うんまぁ……否定はできないわね」
ヴァンダービル伯爵家の領主館の使用人たちにされた数々の嫌がらせ(時々暴力あり)については、まだ記憶も鮮明で、笑い話にはできない。
落ち着いて考えると、あれはやっぱり、私に対する故意の嫌がらせだったと思う。
(ただあの使用人たちが私のこと気にくわなくて苛めてきたのかしら。それとも、お父様やお母様に何か言われたからとか……)
「私が領主館を出てから、どうなったのかしらね」
「ええと、殿下の配下の皆様が伯爵家の取り調べをしてらっしゃるんですよね。
なにがしかの罪になるんでしょうか」
「どうかしら……?」
(家の中での多少の虐待は躾だとして黙認されることが多いみたいだし……私の死を偽装したことが罪に問われるかもしれないけれど、たぶんそこまで重いものではないわ)
「どうなるかはわかりませんが、早いとこ決着がついてほしいですね。このままじゃ、お嬢様は死人にされたままですもの」
「あ、うーん……それは……」
私の生存については、まだ公表されていない。
殿下は、私を貴族の世界に戻すためにも時期を見て公表をとお考えのようだ。
だけどもしもそうなったら、ヴァンダービル伯爵家の名誉は再び地に落ちることになる。
────あなたのせいよ。
ふいに頭の中で響いた母の声に、全身が突き刺される思いがした。




