1 人生が狂ったあの日のこと①
「薪割りに洗濯に掃除……やっと仕事を終えましたね。本当にのろまなこと。
では明日から四日間この小屋に閉じこもり、絶対に姿を現すのではありませんよ」
「……はい、お母さま」
空腹を我慢しながら、私はうなずく。
擦り切れたメイド服が、チクチクと肌に刺さる。まるで母の小言のよう。
母————ヴァンダービル伯爵夫人は冷たい目で私を見る。
「何かしら、その気持ちのこもっていない返事は。
まだわかっていないのかしら。
全部あなたが悪いのよ、マージェリー」
「はい、その通りです。申し訳ございません、お母様」
「あなたの愚かな行動のせいで、ヴァンダービル伯爵家の家名に傷がついた。
ジェームズやエヴァンジェリンの将来にさえ、あなたが影を落としたのよ。いい加減理解しなさい」
「はい、ご迷惑をおかけしております」
「本当に……十年前は誰もがうらやむ自慢の娘だったというのに……手塩にかけて育てて、賢くて可愛らしくて、きっと引く手あまたな娘に育つと思っていたのに。
どうしてこうなってしまったのかしら。
泣きたくなるわ」
八歳の誕生日を迎えた時の私は、希望に満ちていた。
両親にも、兄のジェームズにも妹のエヴァンジェリンにも、愛されていると信じていた。
だけどこの十年間、家族から私にかけられるのは母の罵倒のみ。
父も兄も妹も、私には話しかけようとはしない。
目が合っても存在しないかのごとく無視するか、蔑んだ冷たい目を向けるだけ。
家族全員にとって私は『加害者』なのだ。
「何度も言ったように、この四日間は、独身の有力貴族や令息を招待して鹿狩りを催すのよ。
最終日には、社交界になかなかおいでにならない王弟殿下もいらっしゃるわ」
「……はい」
「エヴァンジェリンの結婚相手を決めるための、大切な催しですからね。
そんな場を、あなたに邪魔されては困るのよ。
わかりましたね。四日間、絶対に小屋から出てはいけませんよ」
そう言って、鼻息荒く母は領主館へと戻っていく。その背中を見送り、ため息をついた。
「……酷いですよね」
声をかけられ振り向く。
お母様よりも年上の、古参のメイドのリサが、つらそうに顔をしかめていた。
「実の娘にあんな……旦那様も奥様も、坊ちゃまもエヴァンジェリンお嬢様も、いったいどうしてマージェリーお嬢様にだけこんなにも酷くなさるんでしょう。
まるで悪魔でも憑いたようです」
「……仕方がないわ。貴族だからよ」
「だって、お嬢様は完全な被害者じゃないですか! それも子どもの頃のことを、あんな風に十年も責め立てて……おかしいですよ」
「そういうものらしいの。
気遣ってくれるのはありがたいけれど、早く邸に戻って。
あなたが罰を受けてしまうわ」
「……わかりました。お嬢様、せめてこちらを」
リサが差し出したブリキの手桶を、私は受け取った。
「いつも、ありがとう」
「いえ、その、全然……四日間食事を運ぶことも禁じられてしまいまして。急いで用意したのですが……他の使用人たちに見張られているので、これが精一杯でした。
本当に、申し訳ございません」
「いいえ。いつも本当にありがとう」
そそくさと邸に戻っていくリサを見送り、私は物置小屋の中に入った。
掃除用の手桶の中身はぼろ布で隠されている。
それをめくると、綺麗な布巾で丁寧に包まれた食べ物が入っていた。
ふかしたお芋が二つ、固くなったパンが二つとチーズ。水の入った瓶。
それから底の方に、お湯で濡らして絞ったらしいリネンも入っている。
リサの優しさがありがたすぎる。
(四日間もたせないと……大事に食べなくちゃ)
服を脱ぎ、リネンで汚れた身体を拭く。
せめて少しでも身体を清潔にしたかった。
『あら、臭いと思ったら……私がいる間、あの使用人が出てこないように気をつけてくれないかしら。鼻が曲がりそうだわ』
妹が顔をしかめながら他の使用人たちに言っていたのを、何年たっても思い出してしまうのだ。
雨水を貯めて焚き火で煮沸したものも少しずつ備蓄しているけれど、水は貴重だからなかなか手をつけられない。
寝巻きにしている服をまとい、わらの上に横になり、これも昔リサがくれたゴワゴワの毛布をかぶる。
春になったけれど、それでも夜は恐ろしく寒い。
十年前、この領主館の使用人たちはゴッソリと辞めさせられた。
それ以降に入った者の多くは、私がヴァンダービル家の娘であることを知らない。
もしたとえそれを明かしたところで、栄養状態の悪さのせいか発育が悪くあまり背も伸びなかった私が、背が高くスタイルの良い美人のお母様やエヴァンジェリンと血縁だなんて、きっと誰も信じないだろう。
その上、日に焼け、吹き出物の跡が残る肌。長年の水仕事や力仕事で荒れに荒れた手。まともな手入れができていない髪。身体も汚れて不衛生。
誰が見ても貴族の娘になど見えないはずだ。
(どれぐらい何も食べずにいたら、飢えて死んで楽になれるのかしら……?)
手桶の中身を見つめ、そんなことを考えてしまう。
ブンブンと首を横に振って邪な考えを追い出した。
(だめ、生きなくちゃ。どんなに大変でも。
必死になって私を助けてくれた人たちがいるのだもの。
そうじゃないと、私……)
ギュッと自分を抱き締める私の脳裏に、ある人の姿が浮かんでくる。
─────大丈夫か!? 怪我は!?
─────恐かっただろう。よくがんばったな。
あの頼もしい大きな手。
抱き上げてくれた腕と体温。
まるで物語の騎士や王子様のように私を助けてくれた少年の顔を、きっと私は死ぬまで忘れられないだろう。
(あの人が助けてくれた命だもの。生きなきゃ)
ガチガチのパンの欠片を唾液でふやかしてかじりながら、私は自分に言い聞かせた。
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