孤高の不視刀 エリス
ネレスは暇を持て余していた。
主人のグレイアと別れてから30分ほどが経った。
今頃、グレイアはケレディック・アカデミアで学園長と話している頃合いだろう。
言いつけ通り、透明化と絶魔を使って市場を散策してはいるが、それといって何か興味が惹きつけられるような物は見当たらない。
というか広すぎる。
歩いても歩いても店やら家やら建物やら。
全く景色が変わらない。
ところどころに人々で賑わう場所はあれど、どれも安売りだったり、大道芸のようなモノばかり。
(思ったよりも暇をつぶすのは難しそうだなぁ…)
肩をガックシと落とし、うなだれるネレス。
(もうグレイアのところに押しかけに行くか…?)
こうも独りになるとグレイアのことが恋しくなる。
グレイアにはアカデミアに来るなと言われているが、来るなと言われたら行きたくなるのが前世日本人の性だ。
ネレスがそんなことを考えながら空を飛んでいると、少し暗い路地裏に何やら複数人の人影が見えた。
その人影以外に全く人の気配は感じられない。
「…嫌な気がする……」
ドラゴンの勘がそう言っている。
ネレスはすぐさま路地裏の入り口に降り立ち、透明なまま覗き込んだ。
「フフフ、ねぇちゃん。いい身体してんねぇ?」
そこには3~4人ほどの屈強な男に囲まれた少女がいた。
男たちはと言うと、如何にも前世で言う『DQN』と言った方がいい風貌である。
(まずい光景に出くわしたなぁ…)
このまま少女を見捨てるわけにもいかないし、かといって姿を現して魔法を使えばもっと大きな問題になりかねない。
どうしようもないネレスは様子を見ることしかできなかった。
ネレスが様子を見ていると少女が口を開いた。
「……下劣な人たちですね…」
ゴミを見下すような声だった。
軽蔑に満ちた眼は如何にも強者の眼をしている。
「あ?てめぇ、なんつった!?」
流石にDQNにもプライドと言うのがあったのだろう。
リーダー格のような男が少女に詰め寄る。
取り巻きの奴らもここぞとばかりに少女に詰め寄った。
(…!)
俺が焦って近寄ろうとしたその時、事件は起こった。
少女の右手に謎の刀が姿を現したのだ。
路地裏に指す僅かな日光を、刀の刃はこれでもかと反射させる。
明らかにその場の景色の中でひときわ目立つその刀。
ネレスは動きを止めた。
「さよなら」
少女はそう言った瞬間、リーダー格の男がバタッと倒れた。
「峰打ち」ってやつだろうか。
男の首元にくっきりと刀の峰が打ち付けられた痕が見える。
「ひっ…!」
取り巻きの男たちはというと、完全に怯えてその場を動かない。
「今まで何人を手ごまにしてきたのかは知りませんが、貴方たちにはここで一回屈辱を味わってもらいますね」
少女が冷静そうな口調でその言葉を発した後、残りの取り巻き達も次々に倒れていく。
あんな細い腕でよく刀なんて持てるな…、と思いつつも俺は少しだけ路地裏に近づく。
「……そこにいるのは誰ですか?」
少女はそう言い、俺の方を振り返った。
気づかれるとは思いもしなかった俺はビクッと身を震わす。
このまま姿を隠していたら彼女に斬られかねない。
そう思った俺は仕方なく透明化を解き、少女の眼前に姿を現す。
「まさかバレるとはぁ…」
「…この方たちの御仲間でしょうか?」
少女は冷たい口調で俺にそう問い詰めてくる。
何故か、ドラゴンである俺の姿が視界に入っているというのに驚きもしない。
(なんか変だぞ…?)
俺は違和感を覚えつつも彼女の問いに答える。
「いや、この道を通りすがった時にいざこざが聞こえたもんで…」
俺がそう言うと、彼女は少し申し訳なさそうな顔をする。
「…そうでしたか…。お騒がせしてすみません…」
少女はお辞儀をした。
その姿は美しく、まるで花が周りに咲いているようだった。
灰色の髪や服から花弁が舞っているような幻影が見える。
「それはともかく、お名前をお聞きしてもよろしいですか?」
とても丁寧な口調で話す少女。
「俺はネレスって言うんだ」
グレイアからもらった名を少し自慢気に言う。
「ネレスさんですか。初めまして、私はエリス・ウィン・ハイラドと申します」
少女はまたもやお辞儀をする。
先ほどのお辞儀よりも数段丁寧で尚且つ上品なお辞儀だった。
再び、たくさんの花々が路地裏に咲き誇る。
エリス・ウィン・ハイラド。
銀色に輝く刀を持つ灰色の少女。立ち振る舞いは如何にもいい家の生まれとしか思えない彼女だったが、何か自分と重なる部分があるように感じる。
エリスはお辞儀を終えてしばらくしてからこう質問をしてきた。
「ネレスさん…。失礼を承知でうかがうのですが…、貴方は人外なのではないでしょうか?」
俺はそこでやっと気づいた。
なぜ彼女が透明化と絶魔を使っている俺の存在に気づいたのか、透明化を解除したのに何故驚かなかったのか、そして今になって何故俺が人間ではないことに気づいたのか。
答えは単純、エリスは目が見えないのだろう。
確かに今思えば、ところどころの所作がぎこちなかった。
眼を凝らしてエリスの眼をよく見ると、彼女の眼は曇った鏡のように光を失っており、ハイライトがないように見える。
「ネレスさんの気配が魔物と全く同じでして…」
少女はまたもや申し訳なさそうに呟く。
(まさか気配でバレるなんて…)
五感のどれかが奪われるとその他の感覚器官が人一倍発達すると聞いたことはあったが、まさか気配で正体がバレるとは思わなかった。
「確かに、俺はドラゴンだけど…」
ここまでバレたのなら誤魔化すもクソもない。
ドラゴンだとバレるのも時間の問題だろう。
俺は正直に自分の正体を明かした。
「ドラゴン…!!??」
ここ数分で初めてエリスの表情が大きくゆがんだ瞬間だった。
「まさか、ドラゴンさんだったとは思いもしませんでした…!先ほどの失礼、申し訳ございません…」
エリスは先ほどよりも深々と頭を下げる。
「いきなりそんな畏まんなくたっていいって。それに俺はちびドラゴンだからそこまで力もないしな…」
「そこまで卑下にならなくても………それで…ドラゴンであるネレスさんが何故この王都に…?」
「それは……長くなるから割愛するけど、簡単に言ったら俺の主人についてきたんだ」
驚き顔のエリスの顔がもっと驚きに染まった。
「まさか…ドラゴンであるネレスさんを隷獣にして従える方がいらっしゃるとは…」
事情を割愛し過ぎて若干、思考の誤差が生じているような気もするが、まぁそれはどうでもいい。
「ネレスさんの御主人殿は今どこにいらっしゃるのでしょうか?お話してみたいです!」
本当に盲目だとは思えないほど目を輝かせるエリス。
「グレイアならケレディック・アカデミアで准教授の仕事をしてると思うけど、…生憎今日はトラブルを避けるためにアカデミアに入るなって言われてるんだ…」
「ケレディック・アカデミア、ですか?私、これでもアカデミア生徒なので、私についてきてくだされば合法的にアカデミアに入れますよ?」
今度は俺の顔が驚きに染まった。
まさか偶然知り合った刀を持った盲目の少女が、アカデミアの生徒だとは誰も予想できまい。
エリスも俺の表情は見えていないが、俺が驚いていることを察したのだろう。
「ほら、これがアカデミア生の証です」
そう言い、ポケットから一つの勲章のようなものと生徒証を見せてきた。
「すげぇ…」
エリスの生徒証は金で作られたのかと思うほど、金色に輝いていた。
「先月アカデミアに入ったばかりでして…、よろしかったら一緒に行きませんか?」
「本当か…!?」
グレイアのところにカチコミに行くという暇つぶしの案が一つ叶うことになった瞬間だ。
そうして俺は謎の美少女剣士と共に、アカデミアを目指した。
「そういえば、エリスの出身ってどこなんだ?」
俺は路地裏で、隣にいるエリスにそう聞く、
「…フフフ、内緒です♪」
「えー…」
「乙女には言えないことがたくさんあるんですよ♪?」
「…はぁ…?」
彼女の言葉の真意は分からなかったが、エリスも、グレイアと同じような自由人なのだなと今更理解したのだった。