成れ果てる
人間には少なからず一度は人生最大の崖っぷちに立たされることがある。
そしてその崖っぷちに立たされた時、どういう選択をするのかによってその人物の未来は180°変わる。
そう、今の私のように…。
今私は身体全体で『絶望』というのをひしひしと感じていた。
目の前にはその『絶望』を振りまく純真無垢な青年が一人。
「うっ………」
彼の質問に私は戸惑った。
それもそのはず、全く関係性も何もない赤の他人だった一人の青年が、私の『眼』について気付いていたからである。
まさかそんな方向からそんな質問がされるとは思いもせず、私の脳内は『Why』で埋め尽くされていた。
『何故彼がそのことに気づいて?』『何故彼にその眼が?』
私の中でいろいろな憶測が飛び交い、そして消え去っていく。
「…先生?大丈夫ですか?」
彼の質問でやっと私は我に返った。…いや我に返ったと言っても全く落ち着ける状況ではないわけで。
「君の名前を教えてくれるかな…?」
少しひきつった笑顔をしつつも彼にそんなことを質問する。
「ガレル・アンバーソンです」
「そう…、アンバーソン家の子だったの…」
今の私の心境は滅茶苦茶複雑だった。彼の質問に真っ当に答えること、それ即ち、彼をこちら側へと引きずり込むこと。まだ若く、純粋で、何も知らない彼を、こちら側、魔法世界の闇の側面へと引きずり込んんでしまう。
しかもそれがアンバーソン家の少年なら尚更である。
「ちょっと、待っててね…」
私は悩んだ。彼の眼はただ単に『知りたい』だけである。その知りたい内容を教えることは可能だ。
…ただ、その内容を教えた時点で、彼は普通の人間ではないことを自覚してしまう。
そう、今の彼は過去の私と同じく、『いつ暴走してもおかしくない』のだから。
…思い詰めていても何も変わらないのは分かっていた。まさか一人の生徒に声をかけたことが、ここまでの大事になるなんて自分自身も思っていなかった。
教師として、同じを目を持つ先輩として、そして『魔ノ十二傑』としての判断が一気に問われる。
(絶対に、彼の道は踏み外させない…!)
過去の自分のような徹は二度と踏まない。
目の前の生徒には私みたいな凄惨な人生は似合わない…普通の人生を送らせてあげるんだ。
私はそう決心し、ガレル君に向き合う。
「ガレル君、今から私が話すことは貴方の人生に関わってくる。もしかしたら貴方の人生があらぬ方向へ狂ってしまう可能性もある。下手したら、貴方が人ではなくなってしまう可能性もある。それでも聞きたい?」
私は脅す。なぜなら、彼の『知りたい』という眼はこの程度の脅しでは止まらないと踏んだからだ。
彼には過去の私とはまた違った、別方向の苦しみを味わってもらわないといけない。…彼に人の形を保ったまま、幸せに生活してもらうためにも…。
「……はい。それでも知りたいです」
彼は私の意図を部分的に理解したのか、真剣な表情をしてそう頷く。
この時、彼が私と同じ眼をしていたのは言うまでもない。
それから場所を変え、広場の隅の方でひっそりと話し合うことになった。
と言っても、この場所は私が学生時代からよく通っていた『静かになれる場所』の一つだったからだ。
「ここなら何を聞いても、何も話しても他の人たちには聞こえない。それにこの場所だけ時の流れを極端に速くしてる。だから時間の心配も必要ないわ」
私の知る限りの全ての魔法を持って、この小さなスペースの時間の流れを速くする。そうすればこの休み時間内に彼の置かれている状況を説明できるだろう。
「…そんなことを平然とできる先生は、何者なんですか?」
…何者ねぇ。
「ウィリスを懲らしめた時も当たり前のように瞬間転移を使っていましたよね。スレイナ先生のせいで感覚麻痺してるけど、あの魔法はあんなすぐに出せる代物じゃない。常人じゃ考えられないレベルの魔力の精密性と魔方陣の複雑さから成り立つ一種の『空間魔法』だというのに…」
確かに、あの魔法は習得自体はそう簡単にはいかなかったけども。
「先生、貴方は…」
「『魔ノ十二傑』じゃないか、って?」
私は彼の声を遮る。もちろん食い気味でね。
「…じゃないと説明がつかないんです。『紅蓮の魔女』であるスレイナ先生の推薦、当たり前のように禁忌の魔法を使い、当たり前のように時間速度を操る。『魔ノ十二傑』以外にこんな芸当を出来る人間はいない…」
「いい推理ね。それにとても筋が通ってる。それも、一介の学生とは思えないほどの知識量ね」
「本から知識を得るのは大好きなので」
「貴方の予想通り、私は『魔ノ十二傑』の十二番手、『白隠の魔女』グレイア・ウェンリースよ」
私は一人の青年に自身の正体をばらした。スレイナとの約束を破る感じではあるが、今は緊急事態、そんなことを考えるわけがない。
「……!…」
ガレル君は驚愕と納得と困惑の混ざった、何とも言えない表情をしていた。
「そして、『白銀の魔女』グレイア・ウェンリースでもあるわ」
彼に追い打ちをかけるように、二つ目の事実を告げる。
何故私が2つも『白』に関する異名を持っているかについてを詳しく語るには結構長くなる。だからここでは短めに割愛しよう。
まず、現「白の魔女」である『白隠の魔女』の一つ前の代、その代の「白の魔女」が『白銀の魔女』だった。しかし彼女はある日を境に連絡が取れなくなったため、「死んだ」と判断された。
その後、次の白の魔女である『白隠の魔女』が選ばれた。
ってのが表向きの情報。実際はある事故によって精神が崩壊していた時期の私を匿うため、スレイナがそうやって世間に騙ったのだ。そして、各国家間のパワーバランスを保つために、隠遁生活を送っていた私をそのまま別の存在として『魔ノ十二傑』の一員に加えた。
これが事の顛末、私が二つの『白の異名』を持つ理由である。
「先生はそれを黙って、この学園に来たんですか…?」
そう聞いてくるガレル君の顔には隠し切れない動揺があった。
「単純にスレイナから『人手が足りない』って言われただけだけど」
「…そうですか…、今先生に聞きたいことは山ほどあります。でも本題はさっき質問した『眼』についてですよね…」
彼は動揺しつつも冷静に言葉を選んでいるようだ。少し会話がぎこちない。
「私についての情報なんて、後でいくらでも教えてあげる。貴方の言う通り、今はこの眼について話さないとね」
そう言って私は彼にグイッと近づいて、白く輝く両目に例の模様を浮かび上がらせる。
「貴方が見たのはこれでしょう?」
彼は私の瞳に動きを囚われながら、小さくうなづく。
「これは『メビウスの眼』って言って、特殊な眼症の一つと言われているものなの」
「メビウスの眼…」
今の彼は洗脳されているかのように動けないだろう、これは至近距離でメビウスの眼を視認した際の影響の一つだ。
「『大昔の人間たちがより魔法に長けた身体へと進化するために生まれたものの名残』、大昔の魔術師たちが進化をしようとした結果がこれなの」
遺物、名残、いろんな言い方があるが、私はあえてこれをこう呼んでいる、『残禍』と。
「この眼の力は複数あるの。それこそ、この場で説明するのも面倒なぐらいね。ただ最も強力無比なのは『無限魔力回路』ってとこかしら。この眼はどんなに魔力を消費しても、一瞬で魔力を回復させる。持ち主の生命が終わらない限り、その能力はどんなとこでも、どんな環境下でも、持ち主の意識が無かろうと永遠と魔力を作り続ける」
つまり、無限に魔力を補充する=無限の魔力を持つ=全ての魔法を使うことができる、そんな公式が自然と成り立つのだ。
「凄い…『魔ノ十二傑』に選ばれるのも納得の力、ですね…」
…『魔ノ十二傑』だとかそんなものはどうでもいい。
ここからが彼に伝えないといけない重要な内容だ。
「…ただ、この眼を何もせずに放置すると、眼の持つ力に飲み込まれて『成れの果て』と呼ばれる生命体へと変貌してしまう」
私は右手で自身の眼を指して、そんなことを話す。
…今でも思い出したくない記憶だ。まだ学生だった頃、朝起きたら自分の腕がおぞましい形へと成れ果てていた記憶。
「…成れの果て……」
まだ彼は事の重大さを理解しきれていないらしい。少し首をかしげて、腕を組んでいる。
…ただ次の情報を教えたらその顔が驚愕と絶望の混じった顔になることだろう。
「そしてこの眼は、『同じ眼を持つ者しか見ることができない』」
そう言った瞬間、彼の顔は一瞬で変わった。
私の言いたいことを理解したのだろう。そう、この『残禍』を彼自身も持っているということを。
驚愕、絶望、恐怖。自分が化け物へと成れ果ててしまう姿を想像したら、そんな顔にもなるのは納得だ。
…私もそうだった。
「僕が先生と同じ眼を…」
私は再び彼に近づき、彼の両肩を掴んだ。それも結構な力を込めて。
「私が何を言いたいか、なぜこんなにも迫真なのか、これで理解したでしょ?」
このまま、一人の生徒を『成れの果て』にさせたくない。昔の自分のようにはさせたくない。
「今の貴方は半分『成れの果て』になりかけてる。体の内部から眼に侵食されていってるの」
自分でも分かる。その時の私の顔は、いつになく真剣な表情をしていたことでしょうね。
「…ちょっと待ってください。……少し情報の整理を…」
少し一気に説明し過ぎたようだ。『目の前の人物の正体』『自分の持つ潜在的な眼』『変わり果てるであろう未来の自分』、それらを一気に話されたら困惑せざるを得ないだろう。
「先生は…」
15秒ぐらいして彼は口を開いた。
「先生はどうやってそれを乗り越えたんですか…」
彼の指す「それ」というのは「『成れの果て』への変貌」を指しているのだろう。
「この『眼』に理解させてやったのよ。どっちが使う側でどっちが使われる側かってのをね」
「…今の僕はまだ使う側にすら立ってないってことですよね」
虚しい表情をしながら彼はそんなことを聞いてくる。…その絶望した立ち姿と来たら、昔の私と同じだった。
「えぇ、今すぐにでも貴方を苗床にしようとしてるわ。今は私が少しだけ侵食を抑制しているけど、このまま何もしないのなら時間の問題ね」
まだ20年も生きていない学生にこんな事実を突きつけたくはなかったものだ。
私たちの間には再び、しばらくの沈黙が続いた。
「どうすれば助かるんですか…」
…憔悴しきったガレル君は、今にもその場にしゃがみ込みそうなほどふらついている。
「『眼』に主従関係を分からせる。それ以外に方法はないわ」
「…じゃあ、先生がそれの手助けをしてくれるんですか…?」
「もちろん、そのためにあなたをここに連れてきたのだから」
私の返事を聞いた彼の顔に光が宿る。
「貴方を成れ果てさせない。それが今の私の使命だからね」
ひぇ~、怖い怖い。
どうやらメビウスの眼というのは『無限の魔力回路』でもあり、『化け物変身装置』でもあったのですね~。
こりゃガレル君が絶望するのも無理はないですね~。
ってことで今話の後書きコーナーです。
今話では『魔ノ十二傑としてのグレイアと、ガレルの邂逅』そして『メビウスの眼の恐怖』について書かせていただきました。この後書きでは文中で出てきた『成れの果て』について補足をさせていただきます。
『成れの果て』、それは『メビウスの眼』を持つ者に現れる変異症。過去の魔術師たちの罪・災禍・業が別の生命体への変貌という形で現れているのです。過去の人物の所業に対する罰が未来の人々に降りかかるなんて何とも理不尽で無責任なのでしょうか…!ムカつきますよね!
まぁその残禍が始まるのは結構バラバラで、人によっては百歳を超えても大丈夫だったケースも過去にあります。
ちなみにグレイアは学生時代に『成れ果て化』が進んでいます。右腕が変異し始めたところで主従関係を分からせることに成功したので以降は一度も起きてはいませんが。
『成れ果て化』が始まってすぐに主従関係を理解させられるという点も、天才であることを示唆してますよね。
ガレル君はというと、内部から侵食してくるタイプの『残禍』だったようです。グレイアが彼に話しかけなかったら、今頃ケレディックアカデミアは血と肉塊と悲鳴の温床になっていたことでしょう。
アレイアはというと…、いや彼女の過去話でそれは語るとしましょう。
元々『メビウスの眼』の発現率自体は結構低いですが(100億人に1人程度)、大体その眼を発現させた存在はどんな時代の魔法界においても有力な人物になること間違い無しなので、『成れの果て』になる経緯もどんな人物が眼を持っていたのかも、過去の文献には結構よく載っているのです。
ごく稀に『成れ果て化』を克服した人物の文献とかもあったりしますしね。
そういえば前の話の後書きで『ガレルの眼は覚醒前』と言いましたよね?
あれは彼自身が『メビウスの眼』に主従関係を分からせていないこと、まだ眼の力を引き出しきれていないこと、そして眼の模様が発現していないことを指しています。
というわけで、今のこの世界に「『残禍』の使命を持つ者」が3人もいるということが分かったところで閉めさせていただきます。
ばーい。