対妖04
「というわけで、先生の好きな映画はアクション要素がふんだんに詰まったタイプで──」
教壇に立つ緑先生は、授業の開始と同時に映画の話を続けていた。生徒たちも、それぞれ好き勝手に漫画を読んだり雑談をしている。
「銃撃戦も肉弾戦も大好きですよー。あくまで映画の中の話ですー。現実は平和が一番ですねー」
緑先生の話を、それとなしに聞きながら、あいはあくびする。真夏日の午後だが、エアコンがきいていて暑くはない。あいにとっては少し寒いくらいだ。前の席に座っている枕子の背中を、暇つぶしに指で突くと、手をペチンと叩かれてしまった。枕子がかまってくれないので、あいはなんだか眠くなってきてしまった。すると斜め横の生徒が手を挙げた。
「どうしました、水島くんー」
「緑先生。数学の授業なのに、どうして映画の話ばっかりしてるんですか」
水島がもっともな疑問を口にしたが、周囲の生徒は余計なことを言うなと小声で彼をたしなめた。先生が雑談しているほうが彼らにとっては気楽なのだろう。
「先生は妖との戦闘に関する授業が担当ですー。数学は専門外ですよー」
「だからって一時間、まるまる映画の話で終わらせる気ですか?」
「終わらせる気ですよー、水島くん。先生よりも、みなさんのほうが数学力は上なのですー。教えられることはなにもありませんー」
「数学の真田先生は、どうしたんですか?」
「真田先生は急な仕事が入ったので、お休みですよー。数学的には残念なわたしが代理ですー」
「急な仕事?」
生徒たちの視線が緑先生に集まる。
「真田先生も現役の対妖ですよね。それが急な仕事って。まさか妖が事件を起こしたんですか?」
「そういうわけじゃないのですが、対妖も人手不足なのですよー」
緑先生は口よどみ、生徒たちを見回した。そして、なぜかあいのところで視線を止めた。
「真田先生は、ちょっと危険な荷物の輸送を指揮しているのですよー」
「危険な荷物? なんですか、それは」
緑先生はあいから視線を外し、黒板へ向く。危険な荷物という言葉が生徒たちの関心を引いたのか、教室はざわついてきた。あいは荷物よりも、先生がどうして自分を見つめたのかが気になってしかたがない。
「みなさん、妖とひとくくりで言いますが、その内訳は大まかに鬼や妖怪に分かれますー」
緑先生は手にした白いチョークで黒板に大きく『鬼』と『妖怪』の二文字を書いた。急に話が変わったので、生徒たちは怪訝な表情を浮かべている。あいもきっと怪訝な顔をしているだろう。
「鬼は人が成った存在ですー。例外はありません。幽霊のようなモノも元が人間なら鬼に分類されますー」
生徒たちの何人かは頷いた。
「鬼に成ろうと思っても簡単にはなれません。怨恨や恐怖、憎悪や執着。様々な要素がいりまじって、人は鬼に変わるのですー」
鬼と書かれた箇所を、緑先生はチョークでコンコンと叩く。
「妖怪は生まれながらにして、そういうモノ。つまり元々が人間とは異なる存在ですー。歳を経た動物が変化したり、古い物が成った付喪神なども分類されますー」
今度は妖怪と書かれた個所を緑先生はチョークで叩いた。
「妖の概念は知ってます、先生。対妖を目指してるなら常識レベルです」
先ほどの水島が手を挙げながらそう言いきった。あいはその常識とやらをすっかり忘れていたので、改めてなるほどーと思った。茨も、もともとは人間だったのだろうか。
「みなさん、十六年前に起きた殺戮、通称『蘭央町事件』は知っていますねー」
蘭央町事件。確か四十七人が、一人の妖によって殺害された凄惨な事件だ。あらゆる勉強が得意ではないあいが覚えていた理由は、生まれた年に起きた事件だったからだ。
あいは十六歳。一般的には高校二年生の年齢なのだが、クラスメートの年齢はバラバラで、九歳から十八歳までいる。学園にクラスは三組。生徒はそれぞれの組に三十人の計九十人しかいない。毎年、数人が卒業していき、同じ人数が入学してくる。
「みなさんの中には、件の事件でご家族を失ったかたもいますー。軽々しく口に出していい事件ではありませんが──」
緑先生は言葉を濁し、次の言葉を告げるか迷ったように眉をしかめる。
「蘭央町事件を起こしたのは『紫水姫』と呼ばれる妖怪です」
「紫水姫って確か、その事件で対妖を何人か殺し──」
「水島くん-」
緑先生の強い口調に、水島は口を噤む。水島は誰に向けるでもなく、ごめんと呟いた。
「紫水姫は対妖により倒されはしましたが、滅んだわけではありませんー」
「い、今も生きているんですか?」
枕子の問いに先生は首を振る。
「生きているわけでも死んでいるわけでもありませんー。紫水姫はミイラのように干からびていますが、そう見えるだけで、いつ復活してもおかしくない状態です」
「とどめを刺せないんですか? 燃やすとか埋めるとか……」
「封印を施した上で地中深くに妖を埋めた実例は多いですが、強力な妖を滅ぼすのは簡単ではありませんー」
黒板に書かれた妖怪という文字を、緑先生は睨む。
「紫水姫ほどの強力な妖怪は厳重に封じ、その封印も数年に一度、施しなおさなければなりませんー」
緑先生は鬼という文字に視線を移した。
「彼女が蘭央町事件で直接手にかけた市民は三人。対妖は四人だといわれていますー」
「でも犠牲者は四十七人って……」
「紫水姫に殺された人間は鬼に成るそうですー」
あいや他の生徒たちに戦慄が走る。
「その鬼に殺された人間も鬼になり、被害は拡大した、と伝えられていますねー」
映画のゾンビのように被害者が被害者を呼ぶのだろうか。あいは手にかいた汗をハンカチで拭う。
「紫水姫は血を奪いますー」
「吸血鬼のように噛むんですか……?」
あいは思わず質問してしまった。なぜか健二が、どうして知らねえんだよ、と食ってかかってきた。
「いいえ。彼女は手で触れて血液を吸いますー。しかも、眼窩に指を突きさしながら血を奪うのを好むのですー」
教室が静まりかえった。数人の生徒は興味を持ったのか、食い入るように先生の話を聞いている。
「紫水姫と直接対峙して殉職した者を含み、目をくり抜かれた死体は七人。紫水姫は殺した相手の目玉を必ず奪いますー」
目玉のない死体を想像したのか、枕子は怯えたように震えた。それはそうだろう。紫水姫のような相手と戦うのが、あいや枕子、そして、ここにいる生徒たちの仕事になるのだから。正直、あいも怖い。
「他の四十人の死体には目玉がありましたー」
「それで直接殺した人数がわかったのか……」
「そうですねー、稗田くん。紫水姫は凶悪な妖怪ですー」
教室は深夜のように静まり、枕子の唾を飲む音がやけに大きく聞こえた。
「でもどうして今、紫水姫の話を……?」
静寂を破った枕子の問いと同時に、緑先生は生徒側へ向きなおった。
「真田先生が輸送している荷物と関係しているからです」
「ま、まさか」
「荷は紫水姫です」