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対妖  作者: 一途こころ
14/15

対妖14

「だめえええええええ!」

 緑先生と自分の間に割って入ってきた、たった一人の友人を押しのけて、枕子は拳を胸に受けた。激しい痛み。接していたのは一瞬のはずなのに、体を引き裂くような痛みが拳から染みこんでくるような錯覚。いや錯覚ではない。先生の操る術、つまり毒が体内に入りこんで破壊しようとしているのだ。

「す、寸止めのつもりだったのですー。急に飛びだされて、毒術の加減を忘れていたのですよー」

「わ、忘れていたのですよ。じゃないですよ! 枕子、大丈夫!?」

 抱きかかえてくれるあいにもたれかかり、枕子はきれぎれの息を吐く。

「大丈夫に見える……?」

「見えないよ……」

 いつも誰かに大丈夫かと聞かれている気がする。先生の手と接触した肘や肩部分の服は穴があき、皮膚は焼けたようにただれていた。それでも加減してくれていたようで、先ほど受けた胸元への一撃は比べ物にならないほど強烈だった。服と皮膚は溶けて混ざり、呼吸が苦しくなってきた。

「そこの子たち、和歌山くんを保健室へー!」

 緑先生の指示に従い、三人の生徒がこちらに駆けよってくる。

「わたしが連れていく」

 あいは強い言葉で三人を遮り、枕子を抱きかかえた。

──お姫様抱っこだああああああああああああああああああああああああああ! うひゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!

 枕子は心の中で絶叫する。

──うひょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお! 憧れてたシチュエーションだわ、これ!

「げほっ……胸が苦しい……」

「枕子、すぐに保健室へ連れていくから!」

──ヤダ、もう、あいったら優しいんだから。なんか超、興奮してきた。ウヒヒヒヒヒヒヒ! 

「枕子の鼻から血が!」

 興奮すると鼻血が出るのは物語の中だけ。学園の外へ出たことがない枕子でも知っている。しかし、例外というのはあるようだ。興奮した枕子は鼻血を垂れ流しているのだから。

「和歌山くんが大丈夫そうなので、安心ですよー」

 安堵したような緑先生の声に枕子は内心、憤慨する。

──なにが安心だよ! 人に致命的な一撃をかましておいて、なに言ってんだ、あのミドリムシ!

 血を操作して毒を体外へ放出しつつ、あいの同情を引くために弱っている演技をする。それを同時にこなすのが、いかに大変か緑色の生き物にはわからないだろう。

「あ、あの苦しそうな感じ、間違いなく演技ですー……」

「苦しいのは演技じゃないもん! 適当なこと言ってるんじゃない……!」

「ま、枕子!?」

「なんでもないよ、あい……」

「喋っちゃだめだよ。すぐに保健室へ連れていくからね」

 あいは枕子を抱えたまま道場から飛び出した。

 枕子は愉悦を顔に出さないように自分をおさえながら、悲劇のヒロインを演じ続ける。

「ヒ、ヒヒヒヒヒヒヒヒ!」

 表情は顔に出なかったが、笑い声は出てしまった。




「枕子の命に別状がなくてよかった」

 パジャマ姿の枕子が寝ているベッドの横で、あいが安堵の息を漏らしながら言った。

「命に別状はなくても胸が痛むの……とっても。甘やかして、あい……」

 枕子には同情を引くような演技をしていても罪の意識はない。演技をしているのが常だった。物理的に胸が痛んでも、心情的には無痛だ。

「うん、甘やかすよ。包帯が痛々しいし可哀そう

「嬉しい……うっ、胸が」

「枕子!」

 心配そうに手を強く握ってくれる親友へと、枕子は『辛そうだけど心配させないように無理して作っている笑顔』を浮かべる。

──優しくされるのも甘やかされるのも大好きだもん。ヒヒヒ。

 とはいっても実際に胸は物理的に痛んでいる。コンクリートや道場の壁を溶かすような謎毒をぶちこまれて痛くないわけがない。むしろ痛みすら感じずに死ぬ人間のほうが多いだろう。

「それにしても枕子、この学園の保健室って本当に広いね」

「そうなの? 他の保健室って見たことがないから広さなんて気にしたことなかった」

「ちょっと大きめの病院みたいだよ」

「生徒だけじゃなくて、怪我した対妖とか学園の関係者とかも、ここで治療するから広めなのかも」

「そういえば町に病院ってなかったね」

「ところで病院ってなんだっけ?」

 枕子が首を傾げると、あいは思案するように顎に指を当てた。

「そっか。学園にないモノは知らなくてもしょうがないね」

「対妖になるためには学園外の知識も必要だけど、わたしは、ほら──」

 人々に害をなす妖と戦うには学園の外に出なければならない。学園の外に出るには外の知識も必要だろう。そもそも日本全国へ学園から対妖を派遣しているわけではないのだ。各地で生活をしている対妖もいる。生徒は一般知識という授業や雑誌などで外の世界について学ぶ。枕子は対妖になる気がないので外の知識を学んでない。どうせ、この学園内で燃やされて死ぬのだ。

「料理とか興味のあることは調べてるけどね」

 外には興味はない、と思ったが、動物園や植物園、本屋や美味しいレストランには行ってみたい気がしてきた。

「料理っていえば、緑先生、酷すぎるよ」

「どうして緑先生と料理が関係してるの?」

「さっき道場で、緑先生に枕子が料理されそうだったから」

 なにを言ってるんだ、こいつは。と思ったが、あいの表現も間違ってはいない気がするので枕子は笑って頷いた。

「できるかぎり手は出さないって言ってたはずなのに。どうして枕子には積極的に殴りかかってたんだろ」

「うーん、どうしてだろ」

 よくわからない。殴られる前になにか言われていたような。

「あいのためにも強い和歌山くんでいて欲しい、みたいなこと、先生が言ってた」

「わたしのため?」

 緑先生の言葉は理解できなかった。しかし、彼女がなにをしたかったのか多少は察している。

 先生は枕子の実力を確かめようとしていた。どうやって知ったのかは不明だが、枕子が血術に熟達しているのを彼女は把握していた。格闘術にも優れているのも知った上で鋭い攻撃をしてきたのだろう。枕子も人間だ。言葉による痛みには慣れていても、直接的な痛みは反射的によけてしまう。真田先生が実技の担当だった頃から、つい露骨に相手の攻撃をよけてしまうこともあった。

──痛いのって大嫌いだもん。

 実力があるふりをするのは難しいが、実力がないふりをするのも難しい。長年、同じ敷地内で生活してきて、枕子を観察していれば察しの良い人なら、その強さに気がつけるのかもしれない。

──でも、どうして今なの。今までわたしのことなんて放っておいてくれたのに。

 先生の様子では、枕子の実力をはかって今すぐ対妖にしよう! などという目論見があったとは思えない。

──あいのために強い和歌山くんでいて欲しいって、どういう意味だろう。……そうだ。あいを守りたいかとも聞かれた。

 あいを守る強さが必要? つまりなにか、あいに危険が迫っている? 枕子は眉をひそめる。

「枕子、話の途中で黙んないでよ。心配になる」

「ご、ごめん。ちょっと考えごとしてて」

 あいに微笑み、枕子はベッドの横にある窓に顔を向ける。そこには夕焼けが広がり、茜色に染まった美しい空が望めた。

「綺麗な空」

「枕子って空とか自然が好きだよね」

「うん、綺麗だもん。空とか植物や動物は純粋な気がして」

「人間とか人工的な物は好きじゃないのかな?」

「嫌いじゃないけど──」

 人なんて嫌い。と言いきりたかったが、あいも人。あいも含んでいる人類を、まとめて突きはなすような言い方はしたくない。

「なんていうか、空とか動物って違いが少ないじゃない?」

「空にも違いとか個性はあると思うけど」

 枕子は唸りながら首を傾げる。

「えっと、えっと。空は時間や日で違う顔を見せてくれるけれど、空は空でしょ?」

「まあ、空は空だね」

「植物も種類や進化で違いがあっても植物は植物」

「うん、そうかも」

「人間は違う。一人一人、違いがある。考えたり生き方だったり望みだったり。周りに合わせたり、合わせなかったり」

 枕子は空を見ながら、呟くように言った。

「空を見ても植物を見ても動物を見ても、複雑な心なんてないし、大雑把な意味でだけど、行動に違いなんてない」

 だから見ていて安心する。他人に生き方を強制したりもしない。ただ、そこにあるだけ。空は空で、植物は光りを浴びて地から栄養を吸って生きている。違いなんてない。純粋に生きている。

 枕子にも表と裏がある。他人にもあるだろう。もしかしたら、あいにも裏の顔があるのかもしれない。

 人と接していると、その裏になにがあるのか想像して怖くなる。仲良くしても裏では悪く言われているのかもしれない。辛く当たってきた相手が、本当は枕子を大切に思っていてくれていた場合もあるだろう。枕子には、それが純粋に思えなくて汚れていると感じる。自分自身も含めて。

「あいが本当は、わたしを嫌いだったりしたら、その事実を知る前に死にたい」

「なに言ってるの? 嫌いなわけない。好きだよ」

「ヒヒヒヒ、嬉しいなあ」

 茶化しつつ窓からあいのほうへ顔を向けると、彼女は思いのほか、真剣な表情をしていた。

「大好きだよ、枕子」

「ありがとう……」

 泣きそうになってきた。嘘泣きなんかじゃない。本当の涙が溢れそうだった。そして怖くなる。あいが怖い。嫌われるのが怖い。彼女は嘘と演技で作られた、表向きの枕子を好きなだけなのかもしれない。自分が苦手な『人間の表裏』。枕子はその仮面の表だけを、たった一人の友人にも見せ続けている。

──今までの涙は全部嘘だったけど、あいのことは本当に大好きなんだよ。

 そう伝えても受け入れてほしくなる。

 あいには嘘ばかりついてきた。両親が死んだのも本当は悲しんでいない。枕子が悲しいんでいると、あいが思いこむように昨日の夜も演技をしただけだ。優しくしてもらうために。あいに優しくしたり優しくされたりすると心地が良くなる。嘘や演技をするのが当然のように生きてきたが、そんな枕子の本当の顔をし知っても彼女は大好きと言ってくれるだろうか。

「あいは、わたしにどうして親切にしてくれるのか聞いたことがあったよね」

「三年前だったかな」

「あいはどうして、わたしを好きでいてくれるの?」

 わたしは嘘ばっかりついてるのに。枕子の心は悲鳴を上げるように軋む。

──きっと、この苦しいのが罪悪感なんだ。

「どうしてってなんでだろうね」

 枕子はうつむく。

──きっとなんとなくだ。そばにいてくれたから、とかそんな誰でもいいような理由なんだ。

「わたしがクラスのみんなから、変な目で見られてたのは気がついてた」

 あいが語りだしたので、枕子は彼女のほうへ顔を上げた。

「蓮に教えてもらうまで、怖がられてるとは思ってなかったんだけどね」

 苦笑いをするあいは、どこか寂しそうだった。

「枕子は違ってた。誰が相手でも、壁を作ってるような目をしてたから」

──この可愛らしい瞳が、そんな暗い輝きを放っていたなんて……。

 そう空気を読まずに茶化したかったが、空気を読んで枕子はこらえた。

「クラスメートが友達を見る目は優しいのに、わたしに向けられる目には冷たさがこもってた。でも枕子は違ってたから」

 あいは枕子の頭をなでながら、そう言った。

「わたしを他のみんなと同じように見てくれた。たとえそれが好意の目じゃなくても、同じように扱ってくれてる気がして」

 ちょっと悲しいのは、と寂しそうな顔であいは言葉を続けた。

「今でも、わたしにさえ壁を作ってる気がすることかな。泣いてても心の中じゃ笑ってるような」

「そ、そんなこと」

──あります……。

「それでもね──」

 あいは照れくさそうに頭をかきながら、言葉を濁した。いつもの優しげな微笑みで。

「わたしを友達って言ってくれたの、それは本音ってわかってるからね」

 枕子は溢れそうな感情をおさえるのに必死になっている。

「それ以外が嘘だったとしても気にしない」

 だめだった。涙が溢れて止まらなくなった。

──……これが本当の涙か。

「枕子が大好きだよ」

──なんなの、この人。天使なの……?

「言っとくけど、わたしの好きな枕子は一人しかいないんだよ。代わりなんていないんだから」

「うん……」

「死ぬことをしょうがないなんて二度と言わないで」

「言わない」

 約束だよ、そう強く言って、あいは微笑む。

 きっと、彼女が口にしていた『枕子を守る』という言葉に嘘はないのだろう。

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおん!」

「な…!?」

 大きな声を出して、枕子は思いきり泣いた。今まで流した偽りの涙の分を清算するように。

「な、なんて、凄まじい泣き声」

「鼻水も涙も止まんないよおおおおおおおおおおおおおお」

 人間を汚いと切りすてるのは簡単だが、ただ距離をとっているだけでは、その美しさに気がつけない。あいは枕子に近づき、そして人の綺麗な部分を教えてくれた。

「よしよし、いい子だ」

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおん!」

 夕日は沈み、いつの間にか夜のとばりが訪れていた。



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