対妖11
生徒が集まった道場内は騒がしい。それぞれ座りながら好き勝手に雑談を楽しんでいる。全員が道着を着用しているので、まるで空手の道場のようだった。あいも隣に座っている枕子と、とりとめのない会話をしている。料理の話を聞いたり、ゲームについて語ったりしていると、緑先生が視界に入った。彼女は生徒たちの対面にちょこんと正座している。あいは緑先生に視線を向けて、首を傾げた。
「あい、どうしたの? 首でも痛い? 寝違えた?」
心配そうに枕子に言われて、あいは首を振る。
「枕子の言うとおりだと思って」
「ほら、首が痛いんでしょ」
「そうじゃなくて。昼休みの前に、緑先生が元気ないって言ってたよね」
「あー。今日はずっと元気なさそうだったんだよ」
「今も静かにしてるけど、緑先生、なにか悩みごとかな」
普段の先生なら、授業開始を待つ間に生徒たちと話すなり、映画について語っているはずだ。それなのに彼女は目をつむって一言も話さない。
「そういえば、あい。今日は他の先生たちの様子もおかしかったよ」
「どんな風に?」
「鏑木先生はソワソワしてたし、柚野先生はピリピリしてた。緊張してるって感じ」
「なにかあったのかな?」
あいが疑問を口にした直後、チャイムが鳴り響く。
「それでは授業をはじめますよー。みなさん、お静かに願いしますー」
雑談に満たされて騒がしかった道場内が一瞬で静寂に制される。先生に合わせたのか、生徒たちは一斉に正座した。あいも雑に座っていたが、先生やみんなにならって座りなおす。
「授業の前にお話がありますー」
緑先生は立ちあがりながら、深刻そうな表情で言った。
「昨晩、幸嶋翔くんと稗田敬一くんの二人が亡くなりました」
一瞬の間の後、生徒たちは口々に驚きや悲しみの言葉を囁きはじめた。
「生徒のみなさんへ余計な情報を与えないのというのが学園の方針なのですが──」
緑先生は悲しげに眉をひそめ、無理に感情を押し殺したような声で話を続ける。
「幸嶋くんと稗田くんは今年の三月に学園を卒業したばかりですー。記憶にも新しく、仲が良かった子たちもいるかと思いますー。みなんさんへ伝えるべきだと考えましたー」
先生の言葉に悲しむ生徒のかたわら、無表情に話を聞いている生徒もいる。反応は生徒それぞれだった。あいは少し悲しい気持ちになっている。親しかったわけではないが、つい最近までクラスで一緒に学んでいた二人だ。わずかに喪失感もある。
枕子は彼らの死についてどう思っているだろうか。見ると彼女は動揺したような表情で固まっていた。
「……枕子、大丈夫?」
枕子も彼らと親しかった様子はなかったのだが、クラスメートの死はやはり悲しいのだろう。
「悲しいよね……」
あいは枕子の手を握り、できるかぎりの優しい声で言う。
「違うよ」
「ち、違う? 悲しくないの?」
驚いただけ、と呟いて、枕子はこちらへ顔を向けた。
「敬一さんって、健二のお兄さんだよ」
その言葉にあいも驚き、とっさに蓮の座っているほうへと顔を向ける。彼と視線が合った。蓮は険しい表情で、あいに頷く。
「健二が授業を休んだ理由がわかったね」
枕子の言葉に、あいは同意する。家族の死。あいは経験がないが、桜や茨、そして目の前の親友が命を落としたら、きっと立ちなおれないくらい悲しいだろう。
「仲間の死を知る自由くらい、生徒たちに与えたかったのですよー」
そう囁いた緑先生の声は、誰かに向けられているわけでもないようで、とても小さかった。その言葉や先生の表情には生徒への優しさや誠実さなどではなく、深い罪悪感のようなものが含まれているように感じられた。
「敬一さんたちって、死んだんですか? 殺されたんですか!?」
「もしかして妖と戦って殺されたんですか?」
「死体は、どんな状態でした?」
生徒たちから寄せられる矢継ぎ早の質問に、先生は空を切る拳で答えた。耳を貫くような風切り音。
「そろそろ実技を始めますよー」
生徒たちは静まりかえる。
「最初は誰からですかー? 勇気のある子は手を挙げてくださーい」
誰も手を挙げない。あいには強くなるという目標ができたので、やる気はあるのだが、緑先生の拳を見た瞬間、溶けたコンクリートを思いだして尻ごみしてしまった。
「先生はできるかぎり、手を出しませんよー。無抵抗な相手を一方的にいたぶって楽しめるチャンスですー」
横に座る枕子をチラっと見ると、彼女は微笑んで、がんばってね、と声援をくれた。『できるかぎり、手を出さない』という言葉が気になってしかたがないが、もうがんばるしかない。
──よーし、どうせなら一番乗りだ!
そう意気ごんで手を挙げようとした瞬間だった。
「なんて向上心のない連中なんだ。オレが一番手になろう」
別の生徒に先をこされてしまった。ちょっと悔しい。ワクチン接種や歯医者はやると決めたら、さっさと済ませて帰りたい。あい的には待ち時間が一番、落ち着かない。
「オレはクラスで、もっとも対妖に近い男にして学園最強の生徒……水島」
「知ってますよー」
「一班は代々、最たるエリートが所属する班。それゆえのイチ。ナンバーワンは神の証」
水島の前口上が長いので、あいはなんだか眠くなってきてしまった。あいはゲームもスポーツも人のプレイを見ているより、自分で遊びたい派なのだ。
「早く攻撃してこないと、授業が終わってしまうのですよー」
「怪我しても怒らないでくださいよ、緑先生」
「先生に怪我ですかー。怒るどころか喜びますよー」
「よ、喜ぶですと? マゾってやつですか!?」
違います違います、と緑先生は笑って言った。
「それだけ水島くんが強いってことですからねー。もしも先生に怪我させるくらいの実力があるのなら、今すぐ学園卒業、対妖に就任ですよー」
「ほ、本当ですか!?」
「もちろんですー。切り傷に捻挫、打撲。なんでもいいですー。先生に、かすり傷でも負わせられる実力があるのなら、授業を受けている場合ではありませんー。今すぐに現場採用ですー」
「約束ですよ!」
水島は鼻息を荒くし、足元に置いてあった棒状の長い物を振りあげる。棒の先には肉厚の刃がついていた。
「な、薙刀!? あんなのあり!?」
「水島くんの得意な呪具だもん、それは使うでしょ」
驚くあいに対して枕子は冷静そのものだ。言われてみれば実技の授業は得意な呪具の使用を許可されている。薙刀だろうか銃だろうが、得意な得物ならなんでもありだった。他の生徒たちも座った足元に、それぞれなにかしらの道具を持ちこんでいた。ちなみに、あいはなにも持ってきていない。
「死なないでくださいよ、緑先生いいいい!」
水島は生徒たちの中から飛び出し、興奮した面持ちで緑先生に斬りかかる。何度も斬りつける彼の攻撃を、緑先生は無駄のない最小限の動きでかわしていく。
「水島くんの薙刀には切れ味を増すように、呪が刻まれてる」
枕子の言葉に、あいは水島の薙刀へ目を向ける。激しく動いているのでよくは見えないが、静止した瞬間に刃の部分へ刻まれた薄っすらと輝く文字が見えた。なにかしらの効果を持つ呪を刻まれた武器や道具を扱う。対妖になるには必須の技術だった。そして刻まれた呪を、そのまま刻呪という。
「緑先生でも斬られたら危ないんじゃないかな」
枕子の冷静な言葉と同時に、緑先生を水島の薙刀がとらえた。
「もらった!」
「もらってませんよー」
右手の甲で薙刀の刃を弾き、緑先生は素早い動きで水島と距離を取った。水島は追おうとせずに、唖然としている。
「お、オレのナギサちゃんでも斬れないだと……」
「薙刀に可愛らしい名前をつけてるのですねー」
緑先生は苦笑し、挑発するように手招きをした。
「終わりですかー?」
「ま、まだだ!」
水島は緑先生へ飛びかかった。




