対妖10
あいは頭を抱えて押し黙っている。枕子も声をかけてこないので、沈黙してから二十分ほど経過した。
「あい、ごめんね」
「なにが……」
「昨日からシリアスな話題、ぶっちゃけすぎてて」
落ちこませちゃった、と言葉を続けながら、枕子はあいの頭をなでてくれた。
「落ちこんでるっていうか悔しい。枕子の現状を知らないで、対妖を目指してた自分自身に怒ってる」
枕子が手にしている弁当箱が目に入り、余計に悔しさが増してきた。
──大事な親友を辛い目にあわせるなんて許せない。
「わたしにも夢ができたよ、枕子!」
「どんな夢?」
「もっと強くなって、枕子を守る! 枕子は妖と戦う技術なんて学ばなくてもいい!」
──わたしが強くなって守り抜けばいい。枕子を燃やそうとする連中がいるなら倒せるようになればいい。
「嬉しいよ」
枕子は首を傾けて、困ったように微笑む。
「ほ、本当に守るんだから。なんなの、その反応」
「期待してるよ」
──絶対に期待してない。
枕子は自分の命を諦めてるんだ。そう悲しい気持ちになったが、あいは思いなおした。
──違う。枕子は死ぬのが嫌って言ってた。無理に諦めようとしてるんだ。
言葉より実行して証明しよう。
「実技の授業、まだかな! やる気が出てきたよ!」
息巻くあいに枕子は苦笑しながら、次の食べ物を口に寄せてきた。
「あーんして。まだ授業まで二十分はあるよ。強くなるなら、ちゃんとご飯を食べなくちゃね」
あいは何度も頷く。そして美味しく煮こんだ人参を噛む。じわーと甘じょっぱい味が広がり、幸せも満ちてくる。甘い物は苦手だが、甘じょっぱい物はいける。
「枕子の煮物、最高!」
「嬉しい。もっと食べてね」
次々と寄せられる煮物に、あいは幸せな気持ちでいっぱいになった。
「強くなって偉い対妖になったら、生徒たちの待遇も改善しよう!」
「その意気だー」
笑いながら拍手をしてくれていた枕子が手を止めたので、あいはどうしたのだろうと首を傾げた。彼女の視線はあいの後ろに向いている。
「蓮くん」
枕子が名を呼ぶのと同時に、あいは座ったまま振り向く。
そこには小柄な男子生徒が立っていた。白金色の長い髪は光りを浴びてキラキラと輝き、微笑む笑顔は女神のように美しい。彼は男性なので女神ではないが。
「今日も仲が良いね、二人とも」
穏やかな口調で蓮は言った。
「生徒の待遇を良くするなんて、立派な志だね」
あいはなぜかクラスメートから疎まれている傾向にあったが、蓮は普通に接してくれる稀有な存在だった。特に親しく話すわけでもないが。集団でなにかをする必要のある授業では、同じ四班として行動をともにしている。あいと枕子、そして健二と蓮の四人が四班のメンバーだ。
四班は成績の悪い落ちこぼれ生徒が集められていると他の班に誤解されているが、あいと健二は勉強が苦手なだけで戦闘関連の成績は上位だ。蓮は逆に勉強や術の成績が良く、運動神経に関しては微妙だった。枕子に関してはコメントをさける。
「よーし決めた! 偉い対妖になるなんて、悠長なこと言ってられない! まずは学園に生徒会を作って、生徒の立場を改善していく!」
あいは気合を入れるように自分の頬を叩く。
「蓮も生徒会に入ってよ」
「誘ってくれてありがとう。生徒会ができたら入らせてもらうよ」
「蓮って話のわかる人だね」
「うんうん。ボクって話はわかるほうだと思うよ」
蓮と微笑みあっていると、あいはなにか視線を感じた。そちらへ顔を向けると、枕子が目を半開きにして怖い顔であいを睨んでいた。会話に入れずに、機嫌が悪化しているのかもしれない。
「生徒会に健二も誘っていい?」
「け、健二かあ。う、うーん。どうかな、それは」
「仲間外れはよくないよ。ボクたちは同じ四班なのに」
「健二のほうが、わたしと枕子を嫌って仲間外れにしてるところあるんだけど、それはどう思ってるの……?」
率直な疑問を彼にぶつけてみた。
「喧嘩はだめって健二に言っても、わかってくれないんだ」
悲しそうに笑い、蓮は頬をかく。
「ボクも同じだね。話しかけるきっかけが見つからないって言い訳して、二人と打ち解ける努力をしてなかった」
蓮は申し訳なさそうに頭を下げた。
「ごめん。感じ悪かったよね」
「あ、頭を上げてよ。わたしもほとんど話しかけなかったし、蓮は今、話しかけてくれてるじゃない」
ありがとう、と言って顔を上げた蓮は嬉しそうな笑みを浮かべていた。枕子以外にも仲良くなれそうなクラスメートはいたのだ。他にも気が合う人たちがいるのかもしれない。
「健二とも仲良くなれたらいいのに」
「そうだね、ボクも四人で仲良くなれるように努力するよ」
「わたしも努力してみる」
「あいさんも話がわかるね」
嬉しそうに笑う蓮に、あいも微笑みかえす。そのあいの耳を枕子が強くつねった。
「いだだ、なにすんの!」
「わ、わ、わ、わたしも……! 仲良くする! がんばるから置いていかないで、あい!」
「置いていかないから離して!? 耳、痛いよ!」
そんな二人のやりとりに蓮は笑い、あいさんを取ったりしないよ、と言った。
「ところで二人とも。健二を見なかった?」
あいと枕子は目を見合わせ、蓮に視線を戻した。
「まったく見てないよね、枕子」
「いつもは見たくなくても視界に入ってくるのに……」
枕子の言葉に蓮は苦笑する。
「今日は登校してないみたいなんだよ。授業を休んだことなんてないのに」
「健二って休んだことないんだ」
あいの言葉に枕子は頷く。
「教室に来ないで欲しいのに……毎日、律義に登校してくるんだよ。わたしなんて熱が出たら、すぐ休むのに……」
「ちょ、ちょっと、枕子。仲良くするって約束したばっかりなのに、そんなこと言っちゃだめだよ」
「ご、ご、ごめんなさい。蓮くんも気を悪くしないで……」
「しょうがないよ。二人は、ずっと険悪だったから。ボクこそごめんね、枕子さん」
「な、なにが……?」
枕子はおそるおそるといった表情で質問する。
「仲をとりもてなくて。健二はボクの言うことなんて聞いてくれない」
「れ、れ、蓮くんは悪くないじゃない! 謝らないでよ、ごめんね……!」
二人して頭を下げあっている。この二人は仲良くなれるかもしれないと、あいは微笑ましく思った。
「そんな健二が授業を休むなんて、蓮が心配するのも無理ないね」
あいの言葉に蓮は深刻そうな表情で頷く。
「健二は封術が得意な家系なんだけど、もっと攻撃的な術や技能を覚えたがってるの」
「性格も攻撃的だもんね」
枕子は呟くように言った。蓮がいるので人見知りが発動してるのか、先ほどから彼女の声は小さい。それでも小さい声なりにがんばって話そうとしていると思う。あいはがんばる枕子に感動を覚えた。
「健二には防御的な術の才能があるんだけど、守ったり裏方で封印を施したりする仕事を本人は望んでない」
性格と才能が食い違っているのは悲劇だと、あいは思う。それで気が立っていて、あいや枕子に当たっていたのだろうか。
「才能を努力で覆そうと、健二は授業を熱心に受けていたの。ただの嫌なやつじゃないっていうのは理解して欲しい」
あいは頷く。
「健二が守るよりも、攻撃的な術を望んだのは、同じ班だった美咲さんが亡くなってからだよ」
「美咲が?」
枕子は驚いたような表情で、ベンチから立ちあがった。
「美咲さんが授業中に亡くなった日、健二は言ってた。もう少しで真田先生に枕子さんまで奪われそうだったって……」
蓮は言葉を止めて、ごめんと謝った。枕子は動揺して震えている。今思えば、この子はいつも怯えて震えていたような気がする。あいは彼女の手をそっと握り元気づけようとした。枕子はその手を強く握りかえしてきた。
「これはボクの口から伝えていいのかわからないけど……」
逡巡する蓮を、あいは突く。
「同じ四班の友達だよね。腹を割って話そうよ」
「……うん、わかったよ、あいさん」
「健二は、あの日、荒れてたんだ。封術の勉強ばかりしても大事な仲間を守れないって。真田先生を殴りたおして枕子さんを守りたかったのに、それが怖くてできなかったって。泣きながら悔しがってたよ」
蓮の言葉に枕子は驚きの表情を浮かべている。正直、あいも驚いた。
「健二が……わたしを守りたかったって?」
「そうだよ。だからボクは、ずっと枕子さんと健二に仲直りしてもらいたかったんだ。あの日の前まで二人とも仲良かったじゃないか……」
枕子も蓮も薄っすらと涙を浮かべている。ずっと、つかえていたわだかまりが取れたのかもしれない。
「健二は楽しかった日々をぶち壊した真田先生に仕返しする力を欲しがってる。だから授業をさぼらない」
「今さらだもん。復讐なんて……そんなことより、昔みたいに仲良くしてくれたら良かったのに……」
「本当だね。ボクもそう言ったんだ」
その言葉に枕子は泣きくずれた。
涙をぬぐおうとハンカチを取りだそうとしたが、あいはハンカチどころかティッシュすら持っていない。制服の袖で枕子の顔をふこうかとも考えたが、迷っているうちに蓮が枕子にハンカチを渡してしまった。
「は、ハンカチに鼻水ついちゃうよ」
「ハンカチは返してくれたらボクが洗うから、いくらでも使って」
「ありがとう、蓮くん……」
ぶびーと鼻水をかんで、枕子は泣き続けた。
「健二と枕子の仲が悪かった事情はわかったよ。わかったけど、それでも枕子への言葉や態度は行きすぎてた」
「そうだね、あいさん。同意するよ」
「みんなも健二に引っ張られるように枕子に冷たくしてた。守りたかった相手に、ちょっと酷すぎると思わない?」
あいは、つい言葉を強くしてしまった。健二へのうっぷんが口に出たのかもしれない。
「枕子さんに健二が辛辣だったのは、あいさんへの嫉妬もあったんだよ」
「ど、どういうこと? 健二も枕子が好きだったの……?」
「うん。枕子さんを友達として好きだったんだ。あいさんと違って」
「わ、わたしも友達として好きなんだけど……!?」
膝立ちで泣いていた枕子が、顔をハンカチで覆ったまま、ヒッヒッヒと不気味な笑い声をあげた。あいはその不気味な声に青ざめ、蓮も少し引いているようだった。蓮は咳払いをして、話を続けた。
「美咲さんの代わりに四班へ入ってきた転入生が、自分の代わりに友達を癒したのが気に入らなかったんだと思う。完全に健二のわがままだけどね」
「好意の暴走だね……」
あいに頷き、蓮は悲しそうな表情をする。
「でもね、違うんだ。健二以外の子たちが、あいさんと枕子さんに冷たかった理由は。健二のせいじゃない」
「どういうこと?」
「あいさんが腹を割って話せって言ってくれたから、話すよ」
「うん、みんなが冷たい理由を教えて」
「みんな、あいさんを嫌ってるんだ。怖がってると言ってもいい。枕子さんはその巻き添えでもある」
「ど──」
──どうして?
衝撃的な言葉で、あいは言葉を失った。
「あいさん自身に問題があるわけじゃないよ。生まれとかルーツとか、そういう本人にはどうしようもない理由で嫌ってるんだ」
──わたしの出身? なにそれ。なにそれ……。
「わたしを嫌ってる理由も詳しく教えてもらえる?」」
「それは腹を割っても話せない。話したら腹を割られるかもしれないんだ。物理的にね」
誰かに口止めされているのか。それも蓮の命を平気で奪えるような立場や力がある相手から。あいは察して、問い詰めるのはやめた。
「理解してくれてありがとう。あいさんはやっぱり覚えてないんだね」
蓮の唐突な言葉に、あいは虚を突かれた。
「なにを?」
「クラスのみんなから恐れられている理由だよ」
「どういうこと? ごめん、全然、わかんないよ」
その言葉に枕子と蓮は顔を見合わせる。そして二人は、あいを見て気まずそうな顔をした。
「気にしないで、あい。わたしがついてるよ」
──二人は、なにか知ってる。
あいが押し黙っていると、蓮は申し訳なさそうに頬をかいた。
「ボク、余計なこと言っちゃったかな……」
「わたしって、もしかして記憶がないの?」
冗談でそう言ったのだが、蓮と枕子は笑いもしなかった。記憶喪失である自覚は、まったくないのだが。
学園へ転入する以前、一般的な小学校へ通っていた頃の記憶もある。学校から帰ると、茨が迎えてくれた。桜は毎日、必死に漫画の原稿を描いていた。
「できれば過去には触れないで、枕子さんと幸せになってね」
とても困惑しているあいへ、蓮は微笑みながら妙な発言をした。
「わたしとあいの結婚式には出席してね……」
「もちろんだよ、枕子さん」
「もちろん、じゃないよ……! 二人とも変なこと言わないで……!」
「あ。そろそろ昼休み、終わっちゃうね」
動揺するあいをよそに、蓮は涼しい顔で言った。
「お弁当、食べおわってないのに!」
枕子の悲鳴に、あいは苦笑する。
「急いで食べよう」
あいは枕子と並んで再びベンチに座る。
「ボクは放課後に健二の家に行ってみるよ」
「なにかわかったら教えてね。わたしも健二がどうしたのか気になってるし」
蓮は嬉しそうに頷き、あいたちに手を振った。
「それじゃ二人とも、道場で会おうね」
去っていく蓮に、あいと枕子も手を振りかえす。
「もう授業はじまっちゃうね。まだ実技のやる気ある?」
「もちろん。わたしは過去より今と未来に生きるあいちゃんだからね」
うん、と頷いて微笑む枕子に、あいも笑顔で返す。クラスのみんなに怖がられて嫌われる理由を、あい自身が忘れているのは気になるが、今は考えていてもしかたないだろう。枕子になにか知っているのか尋ねようかとも考えたが、学園内で下手に詮索すると蓮に迷惑がかかるかもしれない。
──とりあえず、今は実技の授業をがんばろう!
そう決めて、あいは弁当を口にかきこんだ。




