嘘つきの目
怖くはないかもしれません。
70歳を過ぎた当たりからだろうか、私は死について考えるようになった。
早くに子供を作った私は孫にも恵まれて、仕事を引退した後は地域の纏め役として、そこそこに活動しながら、穏やかに余生を過ごしていた。
だからだろうか、尊厳死や安楽死と言うものが法的に認められ、弁護士などが立ち会いのもと、安楽死や尊厳死に同意することを誓約したことを示すQOLカードの取得をいち早く決めたのは。
妻は縁起でもないと、取得に反対したが、万が一の時に子供に迷惑はかけたくないと、カードを取得したからと、必ず延命治療が打ち切られるわけでも、安楽死させる訳でもなく、家族の同意が必要なこと、そう説明して納得してもらった。
あのあと、私は事故に遭い、全身麻痺になってしまった、意識は辛うじてあるものの、声一つ出せない。
だが、浅ましいものだ、あれほど尊厳死なんぞと言っていた私が生きたいのだ、回復の望みはほぼないとわかっていて、死ぬのが怖いのだ。
「奥さん、本当に宜しいのですか、同意書にサインすれば、人工心肺や酸素吸入機は停められ、半日もせず、旦那さんは亡くなることに」
「わかっております。でも、この人の望みなんです、息子夫婦に無理はさせられないって」
私は叫びたかった、死にたくない、死にたくないって、妻はよく言っていた。私の目を見ればあなたの考えてることなんて、すぐにわかるのよって。
サインをする手を止めた妻が此方を向く。
今しかない。きっと気付く、私の心変わりに、私は目に力を籠め妻を見る。
「あなた、もう休んでください。後は大丈夫、あなたのことは目を見ればよーくわかるの」
そう言って穏やかに微笑む妻はサインをすると医師にそれを渡した。
何故だ、何故、気付かなかった。私の目を見れば、いつも私の嘘を見抜いた妻が。
助けてくれ、死にたくない…しにた…
「あなたは本当に嘘が下手よね」
「見栄なんか張るからいけないのよ」
お読み頂きありがとうございますm(_ _)m
筆者は安楽死や尊厳死に賛成派なんですが、実際に自分がそうなったとき、この老人のようにならないと言い切る自信はありません。
人間なんて、簡単に心変わりしますから。
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