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十時頃、カーディガンにマフラーをした柴田がやって来た。
「美音ちゃん、寝たの?」
「ああ。うまい、うまいって、ペロッと食べたよ、君の料理」
「良かったわ」
お茶を淹れながら、柴田をチラッと見た。
柴田は火をつけた煙草を、炬燵にある先刻の小皿に置いた。
「酒はないの?」
「飲まないもの」
「今度、置いといてくれ。後でお金をやるから」
「いいわよ。何がいいの?」
「そうだな、……辛口の日本酒でいいよ」
「分かったわ。買っとく」
湯飲みを置くと、その手を柴田が握った。
「布団に入ろうか」
「……ええ」
純香は恥ずかしそうに俯くと、膝を上げた。
薔薇の花弁がスローモーションで開花するように、純香の体は、柴田の指先に素直に応えていた。――
シャワーを使った柴田は、
「帰るぞ。おやすみ」
横たわる純香の耳元に囁いた。
「うーん……」
純香は気だるさの中にどっぷり浸かっていた。柴田は、下駄箱の上に置いてある鍵を使うと、ドアの郵便受けに戻した。その金属音を耳にした純香は、安心して眠りに就いた。
翌晩も、食事ができた頃に柴田がやって来た。
「タッパー、外の郵便受けに入れといて。出勤の時にでも」
豚肉と小松菜の炒め物とほうれん草のおひたしをタッパーに入れながら顔を向けた。
「オッケー。じゃ、次からそうする」
「ええ。はい、どうぞ」
ビニール袋を手渡した。
「十時頃、来るから」
「ええ」
微笑むと、ドアを閉めた。
買っておいた陶器の灰皿を炬燵に置くと、酒の肴を作った。――十時頃、昨夜と同じ格好で柴田がやって来た。
「燗にする?」
「ああ」
返事をすると、炬燵に入った。灰皿を買う時についでに買った徳利に酒を注ぐと、湯気を立てている鍋に入れた。作っておいた蕗と筍の煮物と蒲鉾の素揚げを徳利とセットのぐい呑みと箸、箸置きと一緒に盆に載せた。
煙草を吹かす柴田の前にぐい呑みと箸を置くと、つまみを添えた。
「お、うまそう」
柴田が嬉しそうな顔をした。
「蒲鉾は少し醤油をつけるとおいしいわよ」
「はーい」
柴田は言われた通りに、小皿に入った醤油に蒲鉾をつけて食べた。
「ん。うまい」
「シンプルだけど、イケるでしょ?」
台所から声をかけた。
「うん、イケる」
柴田は煮物にも箸をつけた。
「蕗もうまい」
「ありがとう」
布巾で拭いた徳利を盆で運んでくると、
「どうぞ」
と、お酌をした。
「ありがとう。君も飲めよ」
「ちょっとだけね」
純香は腰を上げると、セットのぐい呑みを取りに行った。――柴田が酒を注いでくれたぐい呑みを、柴田が手にしたぐい呑みに当てると、互いは笑顔で酌み交わした。
「うまい!」
柴田が感激していた。
「ホントにおいしそうね」
「うまいさ。美人のお酌に、うまい肴。言うことないね」
柴田は本当に満足そうだった。
「明日、うちに来ないか」
「え?」
突然だった。
「娘に会ってほしい」
「……」
本当に会っていいのだろうか。純香は決断できずにいた。
「早めに帰ってくるから。な?」
「……え」
結局、相手に任せるという優柔不断な性格が、そこにあった。これまでもそうだ。相手が引っ張ってくれないと、自分勝手に事を急いで、決まって失敗していた。その挙句、自分の進路を相手に決めさせていた。
今回もそうだ。好きになってしまった柴田に依存している。仇も忘れて。いや、忘れているわけではない。ただ、考えないようにしていただけだ。要するに、面倒くさがりの無精者なのだ、と純香は自分の性分を嘆いた。