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「そうよ!あなたにレイプされて自殺したバカな女の娘よ」
純香は憎しみを込めて言い放った。
「俺だと?俺は何もしてないぞ」
「嘘をつかないでっ!私は見たのよ。夏休みだった。私は二階で宿題をしていた。下では掃除機の音がしていた。ところが突然、その音が一定になった。掃除機を動かさず、そのまま放置しているような音がずっとしていた。変だと思って、階段から一階を覗いてみた。すると、足首までショーツを下ろした仰向けの母の足元に、ジーパンと白いスニーカーの男の足が見えた。
その時、『シバタ、行くぞ』ともう一人の男の声がした。あなた達が立ち去ってすぐ、私は台所にある買い物カゴから財布を鷲掴みすると、急いで後を追った。あなた達は何やら口喧嘩しながら、逃げるように早足で歩いていた。私は〈白いスニーカー〉を目標に後を追った。そして、白いスニーカーの男は東岩瀬で降りると、〈柴田〉と表札のある、この家に入ったのよ。あなたの家を確かめると、急いで家に戻った。
すると、そこで見たのは、身動ぎもせず畳に座っている母の後ろ姿だった。そのことがあってから両親はうまくいかなくなって、数ヶ月後、母は家を出ていった。それから半年足らずで母は自殺したわ。岩瀬浜のあの海に身を投げたのよ。そして、母が妊娠していたことを後で知ったわ。
あの頃、父は単身赴任で家に居なかった。父の子で無いのは明らかだわ。あなた達にレイプされ、どっちの子か分からない子を宿したのよ。そんな子を産めるわけないでしょ?たった一人で悩んで、そして、自らの命を絶ったのよ。――あなた達は人殺しよ!」
これまで抑えていた感情が噴き出した。
「……純香。俺はレイプなんかしてないぞ」
柴田は冷静に答えた。
「嘘つかないで!母の足元に立っていたのは、白いスニーカーのあなただったわ」
「あの時、君の家の中を覗いたのは確かだ。だが、俺はすぐにその場を離れた。俺が海辺から戻ってきた時には手遅れだった。そこで見たのは、仰向けの君のお母さんから離れる寸前の松崎だった。俺はどうしていいか分からず、咄嗟にお母さんのとこに走った。天井を見詰めて呆然としているお母さんに、『……すいません』と小さな声で謝った。その時だ、『柴田、行くぞ』と松崎が声をかけたんだ」
「嘘よ!あなたはその松崎という男に責任転嫁するつもり?」
「嘘じゃない。俺は何もしてない」
「そんなこと信じられないわ」
その時、玄関の戸が開いた。
「奥さん、ご主人が言うのは本当ですちゃ」
そう言って顔を出したのは、例の禿頭の刑事だった。
「すいません。話が聞こえたでですさかい。奥さん。実はね、あんたの挙動に不審を抱いたがでちょっこし調べさせてもろうた。ご実家のお隣さんに話を訊いたところ、その重い口を開いた。お隣さんは、その一部始終を見とった。
だが、そのことを誰にも言わなんだ。のぞきは軽犯罪やし、助けることもできたのに、そーせなんだことで、長年罪の意識に苛まれとったらしいや。お隣の板垣さんは、はっきりこう言うた。「シバタ、行くぞ」て言うた男がレイプしたと。つまり、ご主人ちゃ無実や」
純香は黙って俯いていた。
「奥さん、ご主人を信じてやられ。それじゃ、これで。あ」
刑事は玄関マットに置いていた真紅の薔薇の花束を抱えると、
「ご結婚、おめでとう」
と、純香に手渡した。
「……ありがとうございます」
花束を抱いた純香は哀しげな目を向けた。
「花嫁さんがそんな悲しい顔して。柴田さん、お嫁さんを幸せにしてやらんにゃだちかんちゃ」
「……はい」
「それじゃ、お幸せに」
「わざわざ、ありがとうございました」
柴田が見送ると刑事は戸を閉めた。純香は花束を抱えたままで俯いていた。
「……俺を許せないか?」
「……」
「君のお母さんを助けられなかったのを後悔してる」
「……あなたのせいじゃないわ。あなたを責めることなんてできない。……私の勘違いだったのね」
純香はそう言って、柴田を見た。
「純香。……例え復讐が目的で俺に近づいたとしても構わない。こうやって君に出会えたことに感謝してる」
「……あなた」
純香は柴田の胸に顔を埋めた。柴田の洗いざらしのシャツの匂いと、抱いていた薔薇の香りに包まれて、うっとりしていると、玄関の戸が開いた。
「お母さん、お腹空いた!」
美音の元気な声がした。純香は柴田と目を合わせて笑った。
私の勘違いだったのか……。柴田の命に関わるような復讐を決行しなくて良かった、と純香は胸を撫で下ろした。




