18
――純香は、柴田に勧められた酒をたしなみながら、許し切ってない柴田に対する自分の挙措に迷っていた。思い切り甘えられない歯痒さ、思い切り責められないもどかしさ。それらのものが、アルコールで麻痺してきた脳をぐじゃぐじゃにしていた。
「……眠い。……寝る」
純香はそう呟くと、少しふらつきながら寝室に行き、布団に潜った。
「着替えないと風邪引くぞ」
柴田はそう言いながらカーディガンを脱がしてやった。
「……バカ。雅人の……バカ」
純香が譫言のように呟いた。カーディガンを畳んでいた柴田の手が止まった。そして、目頭を熱くした。感情を抑えていた純香の本音を知ったからだ。
「……ごめんな、純香」
――純香が目を覚ますと、柴田は炬燵で寝ていた。
「風邪引くわよ」
「……ん」
「寝てたの?」
「君が寝たから」
「帰って寝ないと」
「泊まっていいだろ?」
「だって、美音ちゃんが」
「あいつが言ったんだ。明日は休みだから泊まってくればって」
「じゃ、ちゃんと布団に入って」
「はーい」
――布団の中で、柴田は純香の手を握っていた。
「泊まるの初めてだから、初夜みたいだな」
「こないだ泊まったじゃない」
「あの時は、美音が居たじゃないか。一人で泊まるのは初めてだよ」
「ええ、そうね」
「新郎は何もできず、ただ、天井を仰いでいたのだった」
「ふふふ。バカみたい」
「あっ。バカと言えば、さっき寝言言ってたぞ」
「嘘。なんて?」
「雅人、愛してるわって」
「嘘よ」
「嘘じゃない」
柴田は純香に重なると、唇を奪った。
「うっ」
不完全な抵抗の後、やがて、純香から余計な力が抜けていた。間もなく、撹拌された柴田に対する愛と憎しみの液体は、グラスの中で二層に分かれた。憎悪は沈澱し、愛という名の鮮やかな色を湛えていた。純香は、柴田の指に操られる人形になりながら、そこにはもう、理性の一欠片も無かった。――
「……うちで一緒に暮らさないか」
「……嬉しいけど、このままがいい」
「どうして?子供がいるから?」
「ううん。美音ちゃんのことは好きよ。可愛いもの」
「じゃ、どうして」
「美音ちゃんのお母さんになんかなれないもの」
「母親になんかならなくていいさ。友達感覚でいいんだ。いろいろ教えてやってくれ。妹みたいに思ってくれてもいいし、生徒みたいに思ってくれてもいい。な?」
「だったら尚更、このままの方がいいわ。美音ちゃんが好きな時に遊びに来て、私も好きな時に遊びに行ける形の方が」
「だが、隣近所の目があるだろ。君はそれでも平気なのか?」
「私は平気よ。でも、美音ちゃんがどうか」
「あいつの気持ちは分かってるさ。はっきり言ったよ、君にお母さんになってほしいって」
「……」
「ただ、その後に言った。『コブつきじゃ来てくれないだろう』って。あいつも子供なりによく分かってる。……あいつが、明日の休み、どこか一緒に遊びに行きたいって」
「……」
「行くだろ?」
柴田が顔を向けた。
「……ええ」
「どこに行くか。映画でも観るか。ん?」
柴田は煙草をくゆらしながら、純香を見た。
「……そうね」
純香は、明確な返答ができない自分の立場が焦れったかった。“母の件”さえ無ければ、感情のままに、その喜怒哀楽を素直に表現できるのに。柴田との蟠りが無ければ、その胸に飛び込めるのに……。事実が明らかになるまでは、復讐の件は保留にするしかない。そう結論付ける度に、〈Never put off till tomorrow what you can do today. (今日できることを明日に延ばすな)〉そんな諺を頭に浮かべた。




