なろう小説がパイを奪い合う最大の敵はソシャゲである。
ソーシャルゲームの隆盛は目覚ましいものがありますね。電車通勤なんかしてると一つの車両に1人くらいは必ずスマホでソシャゲやってる人がいます。
僕はちょうどファミコンから現在に至るゲーム用ハードの進化の歴史に合わせて大人になった世代なのでソシャゲに食指が動かないのですが、今の若者にとってはあれこそが“ゲーム”なのでしょう。
ソシャゲの作りは至ってシンプルです。家庭用ゲームと比べればとても単純な構造になっており、概ね、時間をかけるかお金をかけることで勝てるようになっています。
ゲームで勝つために高度なテクニックを要求しない、というところが肝要で、これによりプレイする敷居を低くしてゲームが下手な人でもそれなりに楽しめるようになっていますね。
嘘か本当かわかりませんが、色々と面白い話があります。
どこぞの開発者曰く、「ソーシャルゲームはじゃんけん以上に難しいものを作るな」と。プレイヤーが理解できなくなるから、だそうです。
また社員の採用試験の際に、応募者が提出した“オリジナルゲームのアイデア”に対して採用担当者が、
「君のは“うまい人”が勝つゲームだよね。それではダメだ。課金した人が勝てるようなゲームデザインにしなくては」と言ったとか。
一見プレイヤーをバカにしてるような発言ですが、これもマーケティングなのでしょう。日本ではガチャの問題が取り沙汰されていますが、そんな問題が紛糾されるほどに一般人に浸透しているとも言えるわけです。
ソシャゲの基本的なプレイ用途は“暇潰し”だと僕は思っています。一回のプレイにそこまで時間を要さないゲームシステムが多いことから開発側もそれを意図している節がありますね。
現代社会には娯楽が溢れています。暇潰しの道具には困らない状況。ソシャゲでもいいし小説を読んでもいい。ツイッターを眺めてもいいし、ネットサーフィンでもネットショッピングでもいいですね。スマホ一つあれば何でもできます。
こういう状況の中で、なろう小説も読者の“暇潰し”の役割を担っていると僕は考えているんですよ。がっつり読むなら一般の小説を読めばいいのであって、いつでも気軽に無料で読めるネット小説は“読者のスキマ時間を埋めるための用途”に特化した作品の方がウケるんじゃないかというのが持論です。
なろう小説の楽しさったらやはり、ストレスフリーでサクサク進むストーリーに主人公最強やハーレム、わかりやすいキャラクターに平易な文章等でしょう。
こういった俗にテンプレとされる要素が、僕には先のソーシャルゲームと非常に似ていると思えてならないのです。
ソシャゲは内容が単純で操作も簡単。ゲーム内で強くなるための方法もはっきりしている。そしてその方法を誰もが簡単に遂行できる。
言うまでもなく“課金”ですね。金を投入すればするほどガチャをたくさん回せるし高級な装備も回復アイテムも潤沢に用意できる。課金するという行為には、どんな努力も機転もいりません。センスも問われません。ゲームが苦手な人でも時間が無い人でも課金によってすぐに強くなれるしマウントも取れる。
対するなろう小説も、面白さがかなりはっきりと提示されている。タイトルでほぼネタバレをし、ストーリーがどう展開してゆくかをとにかくわかりやすく示し、主人公に苦悩をさせずに読者のストレスを徹底的に排除する。
共通するのは、深く考えなくても楽しめるという点です。流し読みで充分理解できる。何故こんなライトな作りが支持されているのかというと、あくまで両者とも“暇潰し”ツールに過ぎないからなのです。
もちろん反論はあるでしょう。ソシャゲにもよく出来たものがあるとか、なろう小説でも深い味わいを持つものもあるとかね。でも数は多くない。
最速で高ポイントを稼ぎ、最速で書籍化を目指すなら昨今のこの娯楽界隈の状況は頭に入れておきたいところです。
なろう小説最大の敵は、ソシャゲである。
更に言えばソシャゲもなろう小説も無料で利用できるという点が厄介ですね。無料ということは使う側にとっては軽く触ってみてつまらなければ即座に切ることが可能ということです。
人間はコストをかけたものについてはその良さをじっくり吟味する生き物です。自分の判断が正しかったことを証明したいですからね。高い金を払ってクソゲー掴まされたらたまったもんじゃないですよね。ファミコン時代なんかよくありましたね。でも勿体ないからやり込むっていうね。
軽く読んでつまらなければすぐに別の作品に移ればよい。そこに何ら精神的な葛藤は生じない。無料だから。これぞ、なろう小説にとって書き出しが最も重要であると言われる最大の原因と僕は提言します!
最初で、何なら数行だけで読者のハートをガッチリ掴まなくては逃げられる!
読者には無理してその作品を読まなくてはならない因果は全く無い。
なので途中から面白くなるとか、徐々に盛り上がるなんてのは通用しない。大衆ウケを重視するならそれではいけない。始めからクライマックスくらいの意気込みで書かないと。
あくまで、可能な限り多くの読者を獲得しようとするならの話ですけどね。ニッチ需要を狙うなら逆に、マニアックな要素をいきなりぶちこんでいけばいいと思います。最初から読者の選別をしちゃうわけですね。
なろう小説にゲーム的要素が多いのも、ゲームする層とネット小説を読む層が被っているからでしょう。
お客さんのことを分析すれば、高ポイントを狙う作戦もより具体的になる。今回はそんなお話でした。
てな感じで意外と長く続けてしまった本エッセイも次回で最終回。もう言いたいことはだいたい言った気がするので、まとめのような話です。
よろしければ最後まで、お付き合いをお願いします!
では!
このお話を書くに当たって、“パイを奪い合う”という言葉について改めて調べてみたんですよ。この“パイ”って麻雀牌のことだと勝手に思ってたんですけど実際にはアップルパイの事だったんですね。ちょっと驚いた。
実にどうでもいい話ですね(笑)。