第一章 三目人形 06 鮫髪鮫眼に鮫歯のヒロイン
星のない夜空から降ってきたのは、女の子ではなく箪笥だった。
門前の軽自動車が、うっかり全体重を乗せられたティッシュ箱のように拉げ、抽斗が弾けて、運転席からひとりの男が飛び出した。
「カルカっ!」
細流が叫んだその直後、また何かが降ってきた。慌てて三人で引き止める。アスファルトに直撃して大きな音。あれは――! 汗がどっと噴き出す。郊外の静けさが戻ってくる。天真爛漫川が最後に二羽の兎を手放すと、本体が我先に駆けだした。
「カルカは、埋火カルカは無事ですか!?」
おれたちを目にした髭の男が更に驚き、即座に気を引き締めて、しかしどうやら返答しても問題なしと判断した。
「いえ……、お嬢様は、ここにはいらっしゃいませんが……」
「そ、そうですか……?」
細流が真っ青な顔のまま、やり場のない憤りを鎮める。
ここにはいない。だから車の中で潰れてはいなかった。安心。安心……? また静寂。風が吹いてノートがめくれ、プリント類が散らばる。転がったボールペンを執事さんが黙って拾う。おれたちに頭を下げながら学習机を拾いに行き、持って帰ってきて道路脇へ――しかし、正真正銘の大人な彼も、歩道に散乱した下着類に直面して、流石に足を止めた。
「…………」
不幸中の幸いは、この場所に女子が三人もいたことだった。
「これ、電動?」と天真爛漫川が車を見やる。スーツの男がぼんやり首肯して、慌てて上の箪笥へ飛びつく。おれも咄嗟に手伝って――地面へ。意識高い系を冷笑している場合ではない。途中、細流だけは何度も手が止まったけれど、なんとか衣類を車内へ詰め込むことができた。
「皆様御親切に、どうもありがとうございました」深々とお辞儀する紳士。「ところで……」
「ああ、同級生。一組の。つけてたのよ、あんたがアホみたいに怪しすぎたから」
白亜木が歯に衣着せずにそう言うと、彼はそうですよねとはにかんだ。
「っていうかなんなのその格好で執事って。ギャグなの? 滑ってるわよ。滑ってる。ダダ滑り。ベタなボケと没個性な外見はどれだけ力を込めて産んでも存在しないのと全く同じ。細部に至るまで全てが王道ならそれはオリジナルではない。度を越したパロディはこのご時世即放送中止及び自主回収。てか髭剃ったら? 私、髭、嫌いなのよね? 汚いし臭そうだし死んだ赤虫がうじゃうじゃ湧いてるようにしか見えないから」
「ま、誠に申し訳ありません……!」
暗闇でこそ輝く鰐眼に見据えられながら、早口で正論をまくしたてられて、軽く混乱してしまったからだろう。今のダメ出しの行間が読めたわけではないと思うが、彼はポケットから電動シェーバーを取り出して、いきなり口髭を剃り始めた。地面に髭がばらばら落ちる。
汚ねえ!
っていうか、狂気すぎるぞこの絵面……。
「もっ、もしかして、まだ二十代とかですか!?」
「いえ……、三十八ですが……?」
「若~い、全然見えない、超かっこい~い♪」
「おいっ!」
「お、お名前はなんとおっしゃるんですか!? えへへぇ……?」
くそ、この発情いちごチョコ美、すげえ力強ぇえ止まらねえ。
「万能杉です」と名刺を差し出す。「私、埋火家の専属執事、万能杉梃子丸と申します」
『ば……、ばんのうすぎ、てこまる……!?』
また違う意味で時が止まった。
なんとまあ人生竜頭蛇尾的な、器用貧乏型人間の権化のようなお名前で……。
というか最近は、何もかもがいろいろとおかしな超絶イケメンが流行ってるのか?
「か……! かっこ、わ、ら~い……?」
(笑)。
言い得て妙だ。
どう考えても失礼だけど。
「っていうかこれはなんなの!? 一体何が起きている!?」
人間、どの程度の逆境を耐え忍んできたかによって、不幸の定義が変わってくるもんだ。
天真爛漫川は火口から北極へ輸送された後、完全に放置された賢者の石のように普段の快活さを失わないし、おれはおれで周りに沢山女子がいてほっこり。反面、中一で初めて絶望を経験し、蔑まれて自決を画策した温室育ちの細流は、ショックで涙が止まらない。
甘党の肉食アニマル、白亜木てぃら美よ、
実のところお前が一番の良心だったというわけ、か……。
「はくちゅん!」
「あー、ほら、鼻、ちょっと出てる」ハンカチを取り出して鼻に当てる。「ちゅんして」
「ちゅん! ずび。ん~、さむーい……。もー! 私、寒いの嫌~い」
「抱っこか? ハグか? それともおんぶ?」
「んー……おんぶ? んふw」
初登場時に比べて幼くなるスピードが世界一速い女を背中へ誘い、いやIより大きくなってからは測ってないってどういうことだよ!? 太もも、太もも! と今風に、殺意を覚えるアヘ顔でも、どうせ最後にはデレる舌打ち顔でも、女子受けを企む原作者の汚い心が透けて見える凛々顔でもない白亜木曰く犯罪者のような顔で待ち構えていると、三度目の災厄が降ってきた。
四度目もあれば五度目もあり、困難は死ぬまで発生し続けるのだろうことはさておいて。
おれはまず始めに、楽しい時間の終わりを告げる、シリアス一色の爆弾だと思った。そのあとに、駐屯地を狙ったミサイルか、神速のラプトルに迎撃された、鋼鉄の翼竜が墜落してきた可能性を閃いた。
それほどまでにその音と、反射的に腹の内で膨れ上がった恐怖は甚大だったのだ。
地響きも半端なかったし、瓦礫も体にぶつかってきたし、重しを乗せてから強打したケツが尋常でなく痛いと電気信号を放つし――、とにかく被害を受けたにことに違いはないわけで。最悪おれとこいつ以外は、誇張なしで死んだと思った。
果たして目を開けると、そこには――、
「なにこれ……!? 家!?」
人通りが少なくて本当によかった狭い路地を押しのけて、半壊した戸建てが屹立していた。
実質、飛べなくなった戦闘機よりも巨大である。
「あっ、あぶねーな! ばか! 死ぬわ! ボケ!」
夜でも赤い元気な娘が、雲へ向かって背中で毒づく。太ももの裏側をどれだけ味わってもストレスを相殺できなかったおれは、背負い直すついでに掌を翻して腰へまわした。いや、セーフ。これはセーフ。生々しい感想を言わなければ。
あれっ、みんなは?
「て……!」
「大丈夫ー、いるよー」
捜すまでもなく隣にいた。まあ、お前がそう簡単に死ぬはずないか。っと、両手が塞がっていなければ抱擁したのだが……。細流の涙はストレスで相殺されて、逆に止まっていた。そういやなんでも爆弾だと思いがちな癖、いい加減直さないとな。いくら地球上から争いの火が絶えることはないとは言え……。
「! ちょ、やめろ! この、エ、んっ、ぁ……、」
「これはカルカお嬢様の自室です! 一体何がどうなって――!」
『自室!?』
――ってことは、雲の上に地上専用の建物が建築されているという、わけのわからん現象がこの星で起こっているわけではなく、
「言われなくても出て行ってやるよ、こんな家!」
「カルカ!」
「お嬢様!」
歪んだ扉を内側から蹴っ飛ばして――ライムグリーン×シアンの虹彩をギラつかせながら、前代未聞にも程がある、鮫髪鮫眼に鮫歯のヒロイン、埋火カルカが現れた。
そして万能杉梃子丸(笑)に襲われる。