第一章 三目人形 03 刃物フレンズ
食堂では同クラの女子がふたり、何やら大きな声でいがみ合っていた。
「じゃあなに、『仲良くして下さい』とでも言えって言うの? どうしてこの私が謙らなきゃいけないわけ同い年の女子に対して? 親切でやってあげているんだから親切でやってあげているって正直に言っているだけよ嘘をついていないんだから絶対に間違っていないわ」
「放っといてくれよ、あたしは別になんも寂しくなんかねぇよ」
「寂しくない人間なんかいるわけがないでしょ!? 貴女私に話しかけてもらえなくなったらこの先一生誰も構ってくれないわよ見た目の全てが怖いから。あはは! 貴女クラスでなんて呼ばれてるか知ってる? ただの鮫よ!? ただの鮫! ジャックナイフとかじゃなくて『ただの鮫』……くっ、ふぐ、お腹、痛い……!」
「邪魔だなあ……。鮫でもなんでもどうでもいいし、別に一生ひとりでいいよ……」
「またそんなこと言って! ほんとは嬉しいんでしょ? ほら言ってみなさいよ『細流らいあ様いつも話し相手になってくれてありがとう大好き愛してる』って。手の甲にキスしてくれてもいいわここでしろとは言わないけれど私だって悪魔じゃないのむしろ女神よ?」
「……なにお前、女の子が好きな人?」
「は? 貴女自分のこと『女の子』とか思ってるの? かーわいい♪」
「触んな、うぜぇ……、もう明日から食堂来ない」
「あら、同じことよ、どこかしらで何かしらは食べるでしょう? そのとき一緒にお話できるわ。なんなら作ってきてあげてもいいし食べさせてあげてもいいええそうしましょう初めから手の込んだ料理だと重いからおにぎりとかでいいわよねそれともサンドイッチがいいかしら私こう見えても料理得意なのよなんでもできます事前に言っておいてくれればね?」
「お前……、ほんとに頭大丈夫か?」
「……その、いかにも興味ないですって顔がむかつくのよ」
「愛想笑いで満足できる女を喜ばせること以上に虚しいことぁねぇな」
「なんですって! この、右目隠しオシャレ前髪! 鮫歯! B型!」
「うるせえ……」
「ちょっと、聴いてるの!? ねぇ~っ……?」
いがみ合っていたという表現はいささか不適切だったようだ。痴話喧嘩若しくは夫婦喧嘩。いや、細流が一方的にまくしたてていただけだから、喧嘩が成立してもいないのか。じゃあただいちゃついてただけだ。
あと、いい機会だから、切れ長の碧い眼の方、ただの鮫こと埋火カルカを、ふた昔ぐらい前のラノベの主人公に置き換えて読み返してみよう。
一方的に好意を寄せてくる女子を冷たくあしらうのは、女の子が好きな人ではなかったからだったんだなあ。なるほど総じて女顔。
「白亜木、お前って何型?」
「AB。あんたは?」
「O」
「あー、そんな顔してるわ。根に持たないっていうよりは鳥頭。懐が深いっていうよりは寂しがり屋。犬がワンて吼えるみたいなキレ方するでしょ、そのあとすぐ笑顔でヘラヘラしてね? まあヘビとかカラスよりはましだけど。で、今の話も全然聴いてない。――なに考えてんの」
「男が絶滅したら困ると思うか?」
「さあ。思わなくてもこのままじゃ、絶滅しそうだとは思うけど」
「でも絶滅したら、どんな手を使ってでも復活させそうだよな」
「そりゃそうでしょ。女しかいない世界で毎月々々激痛に蹲って何が楽しいの」
「お前、この中だったらどれ?」
「Aランチ! あれっ、赤いカレーは!?」
「お姉さーん、Aランチひとつー。えっ? もう結婚してらっしゃるんですか? お子さんもふたり? 全然見えないなあ、綺麗な指ですね、靨も素敵だ、今度僕と結婚してください!」
「こらっ!」
誘った突っ込みが失笑くらいは引き出せたところで、おれは支払いを済ませ、全てを放置してテーブルへ向かった。
「よう、今日もベンジャミ~ン?」
「!」顔を上げてから、おうどんをちゅる。「べんじゃみ~ん♪」
OKサインをさっと作って、少年のような笑顔を見せる、こいつの名前は天真爛漫川好乃。
将来成人式とかで再会したら、誰よりも可愛くなってること請け合い系の眼鏡だ。
かといって今でも、髪型に限定すれば、栗色のロングヘアで結んだリボンハーフアップという、ノーマルより数倍女子力の高いものではあるのだが。
隣に座って弁当を開ける。そして今度こそ食う。うん。うまい。あ、目ぇ取れた。キャラ弁って、未だにどこから食うのが正解なのか判らん。作る方は純粋に楽しいのかもしれんけど、好きなキャラの絵を食うって、よく考えたらとんでもなく猟奇的だよな。
「あっ」
「?」
格好つけるあまり、お茶をついでくるの忘れちゃった……。
「そうそう、昨日良い案が浮かんだけどー、それには女の子が、」と天真爛漫川が言った直後、おれの椅子が軽く蹴飛ばされた。
「ほれ、持ってきてやったぞ、お犬坂」
トレーを見る。するそこには、
「おお! どうもありがとう、てぃら美さま! どうぞこちらへ」
「……あんたこんなに沢山ひとりで食べるの?」
「お前がダイエット中じゃなけりゃあな」
音を立ててがっつかなくても、おいしそうに食べることはできるものだ。遭難開けのシーン以外では。勿論おれは、さくさく頬張られるエビフライではなく、それを味わう舌の方に感情移入した。
「――で、女の子がなんだって?」
「ああ、えっと、だからね? 抱き枕ってあるじゃない? ちょっとえっちなポーズのやつ。もう馬鹿売れよ、あれ!」
「あー、お前、いっぱい持ってるもんな」
「うひひ……、あとダイエット用品ってすっごい売れるじゃない? 人類が絶滅するまで売れ続けるって言われてるわ。だって貧乏であれば貧乏であるほど人は痩せ辛いんですもの」
でもそのふたつって、購買層が全然違うんじゃ……?
「痩せたい欲とは即ちモテたい欲! 昨日ダイエット方法探してたらなんか良いの見つけたの。これだ! と思ったわ。そしたら芋づる式に三つも商品案浮かんじゃってー」
「三つもか、すげーな。さすが天真爛漫川好乃USBジャントー長だぜ」
「えへへ……!」
「で、女の子がどうした?」
「ねー、てぃら美ちゃんって、おっぱい何カップー? おっ、ぱい♪」
全然聴いちゃいない。
おれも大概だが、こいつもよっぽどだ。
「え? んー、Iより大きくなってからは測ってない」
「おおーっ! ちょっと触っていい? えへへ……、ちょっとだけ?」
「いいよ?」
おれはすかさず飛びついて、兎にするように下から触る、欲張りな掌に共感した。ブラが邪魔であんまり柔らかくないだろうと思っていたら、めちゃくちゃ柔らかかった。何故だ。
「おおっ、素晴らしい! ブラトップ派なんですねえ、うへへ。今夜うちに来なさい?」
「なんでよ!」
「なんでってお友だちとして一緒に遊びたいからよ他意はないわ。それともお家の人が駄目って言う? それなら私が遊びにいきましょう。どうしても貴女にお願いしたいことがあるの。それも駄目なら仕方がない……。学校にもどっか開いてる部屋はあるでしょ♪」
「いや、別に、遊びに行ってもいいけど……?」
「やったぁ♪」
抱擁して頬ずりからの、さりげなくちゅう。
やはり男が絶滅しても問題ない気がしてきた。復活させても、ブサイクができちゃったら、いろいろと御託を並べて、または平気な顔で、格好良い女子の方に恋するんだろうし。
「男子は一体何が好きなのか!? それは嫁と姑の両方、巨乳と貧乳の両方、ロングヘアとショートヘアの両方なのです!」
「うん、よく解ってるな。で、そいつで何すんの?」
「えーとねえ、それはねえ」
と、そのとき、不意に食堂がざわめいて、おれはまたしてもUSBジャントー長によるちょっとえっちなダイエット用品作成計画のあらましを聴きそびれた。ついに埋火が手を出して、細流を泣かせたのか。おれはなんとなくそう思った。人の波がざあっと引く。辺りがしいんと静まり返る。おれは目を見張った。
現れた孤島では、本当に細流が泣いていた。
深く深く項垂れながら、音も立てずにさめざめと。
おれたちは顔を見合わせた。
天使がそっとその手を放すと、白亜木うさ美が静かに揺れた。
「どうしてぼく以外の男と喋ってるんだよぉッ!」
だん! とテーブルが殴りつけられ、食堂の空気が更に凍る。
あ。これ、危ないやつだ。最悪死人が出るやつだ。そうでなくとも、最後はあいつひとりが全員から嫌われて、胸糞悪く終わる的な、忘れようと思うしかない、体験するだけ無駄なやつ……。
しかしこの場合、よく聞く話とは明らかに違う点が、ひとつだけあった。
彼、細流らいあの双子の兄、細流氷麻の容貌は、『どれだけ残虐に懲らしめてもスッキリできる大嫌いなあいつ』的なものではなく、『鏡を捨て、写真を焼き、思い出に蓋をして入り込んだVRの中で、ぼくもみんなも絶対に大嫌いな爬虫類から、世界最弱の剣を使って、ぼくの大好きな第一ヒロインと第二ヒロインと第三ヒロインと妹と、身内と肉親と哺乳類と村と町と国と地球を護る代わりに死亡する運命を課せられた超絶イケメン』的なものだったのだ。
超絶イケメンが一体何故? それにどうしてみんな逃げないんだろう? 絶対にとばっちりを食うから、さっさとここから立ち去るべきなのに。飯は確かに大事だが、命の方が大事だぞ――と考えていたら、狂気のギョロ目と目が合った。
え? 『ぼく以外の男』って、おれ? なんで? すぐに逸らされたので大丈夫だと思った刹那、奴が立ち上がって、ずんずんずん。あっという間に目の前にやってきた。
あらー。
紅龍を懐柔しても、難題は続くのね。
「お前の彼氏?」
白いのか赤いのかよく判らない兎に訊いてみた。
「まさか。知らない人よ」
「知らない人ァ!? あああッ!? ――っ、……あああん! わあああああん!」
「ちょっと、どうしたの!?」
妹までやってきた。実にややこしくなりそうだ。鮫歯のあいつもやってきて――食器返却口へ直行。笑顔でごちそうさま。そしてこちらには目もくれずに、涼しい顔ですたすた。三人が騒いでいる間に、舞台からさっさと退場。
(確かにあれは、男心に振り向かせたくなる気を起こさせる態度だな……)
「どこ見てんの」
「おれたちも、もう行くかあ」
「ぎゃあああああん! んっふ、んわああああああああああんっ!」
「男が人前でビャービャー泣くな! ぶん殴るぞ! ボケ!」
「貴女さっきから聞いてれば、なんなのよその口のきき方は!?」
激昂した細流妹を、天真爛漫川が後ろから慌てて掴ま、揉む。
「お前、こいつになんかしたの?」
「……別に。ちょっと話しかけたら、いきなり頭撫でようとしてきたから、やめろって振り払っただけよ。そしたら今みたいに泣いちゃってさ。ついてんのか――って言う気はなかったのよ? でも気が付いたら口が勝手に動いてたの。でさー、ついてますなんて言うもんだから、見せてみろって言ったら本当に脱ぎやがって、」
おれは彼女の話を遮って、両肩にそっと両手を置いた。
「犯☆罪」
「この阿呆が加害者のね」
「いいかげんにしなさいよ貴女!」
「きゃーっ、こわーい!」
「はたぁあああっ!?」
背中にしがみつかれたパターンだったので、いいリアクションでぶっ倒れるわけにもゆかず、偶然見えたスカートの中身に対して、絶景だと賛嘆することは、奇しくもできなかった。
(※画像はイメージです)
「あっ、ご……、ごめんなさい……!」
縁なし眼鏡の奥にあるオレンジ色の瞳が、我に返って光を取り戻す。
「ごめんなさいね? 悪気はなかったの、つい……ごめんね?」
金色の三日月を潤ませながら、上目遣いでそんなことを言われて、激怒できる真の男がいるだろうかいやいない。濃紺の長髪がさらりと薫る。美し可愛い。でも子どもはふたりしかいらないって言いそう。
「い、いやあ、全然大丈夫。全く痛くなかった。むしろおれの顔の脂がそんなにも綺麗な手についちゃって申し訳ないくらいだ。それに女に腹を立てる男なんて、ゴミ箱の中のゴミクズさ?」
「! ……ぶぅわあああああああん!」
『あっ』
「こらーっ、何やってんだ、お前らー」
『げっ』
ガチモミアゲが女子に人気の、我らが担任、花松数学教諭が登場。笑顔で即座に飛びついて、猫なで声でナデを催促した赤井唐辛子を見て、双子の兄、細流氷麻が更に号泣。そして意外と八重歯な妹が盛大に嘆息。おれは残りをさっと口に詰め込んで、トレーをひとまず返却しながら、このあと皆で仲良く職員室へ連行される未来を憂えた。
どう考えても説明が面倒臭い。
まあ死者が出なくてよかったが。
ふと辺りを見回すと、世渡り上手な銀縁眼鏡は、もうどこにもいなかった。