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第一章 三目人形 01 白亜木てぃら美のランガージュ

 四限目の授業が終わり、手洗いから帰ってきたおれは、さも当然といった顔で椅子に座っていた人物と目が合って心臓が凍った。


「よっ、おかえりー」


 一介の男子高校生には逆に辛い、勘違いするなという方が無理な屈託のない笑顔。

 おれは何でもないですよという表情を取り繕って、彼女から一度だけ目を逸らした。


「……ただいま。なんか用?」


「えー、別にー? ねえ、有限ゆうげんって今日もお弁当?」


 言いながら鞄を探る彼女。おれは彼女が創り出した対話時間から成る簡易密室空間の中、みんなからの『はいはい、軽無視しとけばいいんでしょ』的な圧を感じながらそうだよと呟いて、廊下側の壁へ背中をもたせ掛けた。


 腕を組み、音を殺す。いるんだよな。いるんだよ。どの女子グループにも属することができるだけに留まらず、どんな男子にも平気で話しかけられる女子ってのはどこにでも。爆発しろって年中呪ってるきみにも一度はあると思う。美人でありかつ可愛い子が、キモがらずに気さくに話しかけてくれた経験が。


 さあここが分岐点だ。

 恋愛ゲームにおける、セーブ必須ポイントだ。


 しかしながら、幸福に見せかけた幸運を積み重ねてゆくだけで簡単にハッピーエンドへ辿り着ける、甘い甘い毒に満ちた、嘘で嘘で嘘で嘘な仮想現実とは違って、不幸と不運を飯に変換する技能を磨くことによってのみバッドエンドを回避できる現実世界には、いずれかひとつは必ず正解になっている選択肢などというものは、どこにも存在しないのだった。


 瞬間記憶能力に秀でた男子は、映像と会話の全てを持ち帰り、自室で密かに愉しむという。

 自意識過剰な男は、これでもう恋人同士だと勘違いしちゃって、今日以降もしつこく彼女につきまとい、どうしてぼく以外の男と喋ってるんだよぉと突然ブチ切れ、最後にはストーカーとして投獄されるのが世の常だ。

 本物のイケメンなら、死ぬまで自分だけに惚れ続けてくれるような、浮気される心配のない自信欠如系女子の方が、もとよりこんな傲岸不遜女より好みだろう。

 そしておれはというと、世界中の女子に『貴方と子孫繁栄したいわ』とせがませるには一体どうすればいいのだろうと常々考えているだけの、至って普通の男子なのだった。


(おれ以外の男を全員去勢しても、T大生のバンクが馬鹿売れするだけだしな……)


 女子の立場から考えてみよう。

 一、男子と永遠に友達同士でいたい女子。

 二、結婚なんて論外で、恋愛だけがしたい女子。

 三、結婚を前提でしか、男子とお付き合いしたくない女子。

 四、女子が好き。


 そして紅毛碧眼のこいつ、ロングツーサイドアップが死ぬほど似合う、ちびっこいながらも普通以上にバストの大きなクラスメイト、白亜木はくあきてぃらのパーソナリティは、おれが考えるに、今のところ、一と二の複合型なのだった。


「わぁ、キャラ弁だ。かわい~♪」


 突っ込みを放置してボケさせ続けていたら、ついに勝手に開けやがった。


「でもこれ、ハートの中にこのふたりって! くふふ……! 変な、」


「あ? うちの姉ちゃんが作ってくれた弁当だぞ、笑うなよ」


「えっ、あっ、ごめん……」


「返せっ、この、辛子明太子っ」


「うー、ごめんね?」


 一挙手一投足が矢鱈と可愛い。

 部屋の中なら即、床じゃ嫌と言わせてるところだ。


「それにお前、アイドルはみんなお友だちなんだから、これでいいんだよ、これで」


「まあそりゃテレビの中ではねー?」


 ご飯の上に描かれた、今をときめくジュニアアイドル、花松はなまつ音那おとなちゃんと、シュエ・マオニァンちゃんを眺める。可愛い……というか、上手すぎる。なんなのこの才能。練習なんか一切しなくても絵がプロ顔負けに上手い人って、百人中六十六人くらいは平気でいるよな。


「有限ってロリコンなの?」


「は? どうして幼女だけに欲情しなきゃならない。おれはただ、女性中毒なだけだ」


「女性中毒!?」


 何がおかしい。お前だってどう見ても男性恐怖症ではないだろうが。


「人間は全員、ヨナ・コンプレックスを抱えてるんだよ。風呂の中も布団の中も、何のひねりもなくお母さんのお腹の中だろ? あったけー、包まれる。安心。つまりはそういうことだ」


「ヨナ・コンプレックスってなに? あんたお腹フェチなの? あっ、閉所恐怖症の人って、お腹の中でも狭くて怖いよーって思ってたのかな? ねえお腹坂君? ふふっ♪」


「…………」


 ああ、実に嫌な空気。わかってるよ。こういうのはどっかよそでやれってんだろ? と一応ぼやいてから、おれは弁当の蓋を閉めた。目を閉じて耳を澄ますと、懸念は確信に変わった。



 薄く開いた瞼の向こうで、金緑の瞳が愉しそうに歪む。



 ここでふざければ『は? 何言ってんの?』。触れば『はい、セクハラ』。叱れば『お前マジ調子乗んな』。背を向ければ後ろから爆笑――からの、適当に散歩して帰ってくると、机に油性マジックで『ロリコン死ね』。『シスコンキモイ』。そして精神が病むまで続く陰口……。

 嵌められた? どうやったって敵いっこない? 馬鹿言っちゃいけない。どいつもこいつも悲劇のヒロインぶりやがって。群衆心理って名の毒は、そんなにも美味いものなのかよ。


 鉄を外して蹄を丸め、吼えることも、噛み付くことも、牙を剥き出すことも、逃げ脚を鍛えることも、外敵を蹴り飛ばす気概という名の大腿四頭筋を見せつけることもやめ、持ってるだけで威嚇に変わる、鋭利な角まで無くした男子をおれは草食系とは認めない。なんでもかんでも言われるままに、ホイホイホイホイ差し出すのは、何系男子でもなくて魚肉だよ。


「……白亜木はくあき


「なに」と冷めた目が下からおれを見下す。おれは左頬に浮かび上がる笑いを噛み殺しながら、眉根を寄せることで真剣な顔を取り繕って――ふう、彼女の頭へ目をやった。


「お前、そのロングリボンヘアゴム、自分で作ったの?」


「は……? いや、買ったけど?」


 似合ってるも、センスが良いも、可愛いも、相手を見下した傲慢な台詞だ。


「オレンジゴールドってのが、なんつーか、すげーかっこいいな。王って感じ」


「あー、そう。うん……いや、ほんとはミニクラウンを被りたかったんだけどー。校則違反になるからやめたの」


「真面目かよ」


「はァ? 私はずっと真面目だけど?」


 どこが……。

 真面目なやつは他人の椅子でふんぞり返って、机の上に足を投げ出したりなんかしねえ。


「勉強できるし。IQ百五十! あはは、地味にすごいっしょ?」


「うん……百五十!? MENSAレベルじゃねぇーか!」


「ハン、メンサじゃドベよ。百五十なんて」


 そう言いながらも、白亜木の顔はどこか得意気だった。


「じゃあ今度勉強教えてよ。おれ、暗記系苦手なんだ」


「あー、あんた見るからに頭悪そうだもんね? 犯罪者みたいな目ぇしてるし。ハハッ」


 どっちが……。

 つり目の中に縦長の瞳孔って、見ただけで泣くぞ。子どもとか。


「いや暗記系苦手って! 全滅じゃん! やっぱアホだわ、ギャハハ!」


 ハーフなの? それともクォーター? と訊くのもNG。そもそも差別用語だし。

 個性的な名前に触れるのも時期尚早。胸の話題を膨らませる利点はどこにもない。


「その髪型、なんて言うんだっけ? ツインテールじゃないんだよな?」


「ぶー。『ロングツーサイドアップ』♪ 一回で憶えろよ」


「いつから伸ばしてんの?」


「んー、小3? もっと前かも?」


「尋常でなく赤いよな。蛍光レッドというか、メタリックフルレッドというか。すげー綺麗」


「ああ……うん。まあ、染めてるからね?」


「染めてるのかよ!」


 これこそ校則違反になるからやめろよ!


「いや、もともと半端な赤毛だったのよ。んで『え? それが赤毛? ふーん(茶髪じゃん)』的なリアクションがいい加減ウザくなってさぁ。『これで文句ないですか?』って意味。金髪にしてもよかったんだけどぉ、それじゃいろいろと被るわけ。先輩方と。わかる?」


 自分で自分の頭を触る女子には、食後の齧歯類的な趣がある。

 嗚呼、その慎ましやかな白磁のカオリンを、人中にそっと近付けたい!


「……なに見てんの」


「あのさ、話はすげー楽しいんだけど」右手を弁当箱へ伸ばす。「いい加減飯食っていい?」


「は? なに訊いてんの? 自分のでしょ、勝手に食べな――って、ちょちょ、どこへ行く?」


「あ? 食堂だけど? お前見てたら赤いカレー食いたくなったんだよ」


「赤いカレー!? ……そんなのあるのね」


「お前、辛いの得意キャラだったら、正直あんまり可愛くないよな」


「んっ? え? なに?」


「かといってその顔で辛いの苦手ー、とか言ったらむかつくけど。おふっ!」


 はい、ゲット~。


「うわぁーっ、やめろぉー、はなせぇーっ」


 おれは住宅地に出没したツキノワグマにやっと勝利した警察官の面持ちで額の汗をぬぐい、暴君系なのかスイーツ系なのかよく判らない辛子明SA太子を、羊小屋から連れ出した。

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