第一章 目的捜し夢探し 02 幸福のパラドックス
目的捜し夢探し。
つまりこれが、今から俺たちがしてゆくことなのだった。
あれもしたいこれもしたい、あれも欲しいこれも欲しいと考える、欲望にまみれた人間が大正義だった時代は終わり、あれもしたくないこれもしたくない、あれも欲しくないこれも欲しくないと澱む、無欲に達した時点で思考が止まった人間が赦される時代も終わった。
何故なら無目的も他の七つと全く同程度の大罪であるということが、今や世界の常識になったからだ。『無欲でなければいけないが、無目的であってはいけない』という真理を知った現代っ子たちがこぞって、ゲーム感覚で、無目的との戦いを開始したからだ。目的を持たなければ即射殺! で飛び起きないNEETはいなかったし、夢を見つけたの、偉いわねえ、と大好きなお母ちゃんに褒められて、”なろう”を始めなかった引き籠りもいなかったのである。
無目的は殲滅すべき大罪。
これこそが、科学の発展が人類の幸福に対して飽和状態に達した時代に生きる、ブッ殺しても構わない悪人がいなくなって暇していた俺たち全員が探し求めていた真理だったのである。
だから所謂俺のようなやつは、『欲望はある意味正しい』だけが全てだとは思わないようにしないといけないんだよな。『無欲は善』を都合よく忘れちゃいけないんだ。『欲望はある意味正しいけれど、無欲は万人が目指すべき善だ』――と、再認識して生きなければ。
でも本当、人間の進化は留まるところを知らないなあと俺は思う。もし、嫉妬、暴食、強欲、色欲、矜持、憤怒、怠惰の全てに一切足を引っ張られない、七七七瀬瞑鑼のような無欲なる人間が、無目的さえも克服して元気いっぱいになってしまったら、一体何が誕生するのだろう? 幸福のパラドックスをねじ伏せて永遠の幸福を手に入れた者――確かに究極の理想の形ではあるけれど、それは果たして人間と言えるのだろうか? その時世界は一体どうなる?
たとえそれが人が踏み込んではならない領域だったとしても、無目的が大罪だと判った現在、人はもう永遠に、無目的には生きられない。これは事実だ。頭が良くなり過ぎた新時代人は、最早、あとで変わってもいいからと自分を説得し、素晴らしくなくてもいいからと仮の目的をでっちあげ、そこまで大きくない仮の夢をどーんと掲げて、挫折を承知で無目的と戦いながら、真の目的や真の夢を探す冒険に乗り出すことしかできなくなったのである。
いつか機械が人知を越えると判っていても、一度それを手に入れた人間は、手放すことも、改良・進歩させることも、やめられなかったのと全く同様に……。