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第一章 目的捜し夢探し 02 甘えデー

 ノックの音に驚いて振り向くと、扉が静かにかちゃりと開いて、奴の右目が現れた。


「お兄ぃー……、なんか……、無理ぃーっ」

 

  七七七瀬なななせ瞑鑼めいら。中2。俺の妹。両目泣きぼくろの眼帯少女。そのゆらめきロングはまさしく、和の庭園をまさかのメタルテイストに仕上げる、幹之みゆきスーパー光スワロー。瞳の色、銀色。眼帯といっても黒の逆三角タイプであり、銀色といっても金目銀目猫が持つ、金色じゃない方の目玉の色である。『グレー+蛍光ブルー』割る2というか、


「いや、なんか無理って、一体何がどうした!?」


 まさか現世に存在することに、ついに耐えられなくなったのか!?


「今日の宿題わからんけん、教えてー?」


「ああ……、宿題……」


 杞憂だった。俺は安堵のため息をついた。


「なんしよったん?」


「本読んみょった」


 母親が阿波乙女なので、外出することが多いために周りの人に感化されてほとんど喋らなくなった俺たちとは違って、俺たちとは真逆なこいつは基本、最もけん・・のない市内の阿波弁(どこでもそうだと思うが、地域ごとに派閥があって、A市やN市の言葉はややがいい・・・)で喋るのである。

 ちなみに、『何してるの?』『本読んでる』なら、『なにやんよん?』『本読んみょぉ』となる。『なにやんりょん?』『本読んみょる』バージョンもある。いや、ちゃんと日本語だ。


「じゃなくて! えっと……!? 瞑鑼、お前……!」


「いややったら帰るけど」


「嫌じゃない! 嫌じゃない! どうぞ、どうぞ」


 慌てて立ち上がって椅子を差し出すと、瞑鑼はすすすと学習机まで来て、バッグから何やらいろいろ取り出した。そしてこちらをちらと見て、遠慮がちに腰かける。


「うざいと思ったらうざいって言ってな? 『チッ、帰れよ、お前』って」


「いやいやまさか、とんでもない! むしろ今日はここで寝たら!? 久しぶりに!」


「んー、寝るって決めたら寝ないってなるから、寝ないって決めて結局寝ない」


「そ、そうか……?」


 寝ないという発言で終わったから寝る可能性も1パーセントくらいは残っているのだろうか。そうだといいなあ。俺は自分ではクールなつもりの顔でベッドに腰掛けながら、お話したの何週間ぶりだよ! うわぁ、嬉しいなあ! と心の中で快哉を叫ぶのだった。


 わけを説明すると、こいつは月に一、二回、中に非モテのオッサンとお姉さまが入っているどんな架空の妹よりもべったりと甘えてくるのだ。それはもう、妹が欲しいと血の涙を流す男子の妄想なんか目じゃないくらいに。残り二十数日は口も利いてくれないのがデフォだけど。話しかけてこないでオーラが出ているというか。どうも極端。自己同一性その一が、リューシスティックのブラックラットスネークだかららしい。難しい単語を使うやつだ。


「ん? わからん宿題って、これ?」


 てっきり数学か英語の応用問題か何かだと思っていたのだが、瞑鑼が持ってきたのは、


「ほなって私、作文苦手やもん」


 今の時代いろいろな家族があるから、家族について書きましょうと安易には言えないのだろう。その点将来の夢は、生きてさえいれば誰にでも語れる。

 大概の普通人には。

 というかこれ、中学生に出す宿題か?


「どうしても、わかりませんでした……。がく」と沈痛な面持ちで項垂れる瞑鑼。


「……まあ、夢があっても叶わない人って沢山いるから……」と適当に慰める俺。


 いやとりあえずなんか言うだろ。重くない慰めの台詞を。しかし弱ったな。進路希望調査用紙とは違って、作文となると、適当にでっちあげる――が、なかなか難しい。中学生だからこそ、小学生みたいな内容は書けない。そうだな。よく考えるとこっちの方が難しかったな。


「無目的は大罪やけん、ちゃんと目的を持って生きんとあかんのにぃ~……っ!」


 今度は頭を抱えだした。

 自慢のゆらめきスーパーロングをもしゃもしゃ。


「あうー……、おおーっ……! あああー……、んんーっ! ……わ、わからん。ばた」


 こいつは重傷だ。


「ほ、ほら、たとえば、強盗とか略奪愛とかいったものもある意味目的だから、なんでもかんでも目的を持てばいいってわけじゃないし、素晴らしい夢を持ってる人がほんのちょっとした不注意でわざとじゃなくても罪を犯す可能背だってなきにしもあらずなわけだから……!」


 今日のように放っといてよオーラが全く出ていない、将来への不安が人間に対する拒絶反応を上回った日、通称『甘えデー』に放っておくと、どこまでも際限なく落ち込んでしまうので、結構本気でフォローする俺。


「今時バイタリティに溢れてる方が少数――とも言い切れないけど、将来の夢がない学生とか、欲がない若者ってのはいっぱいいるから、えーと、その、なんだ」格好良い言葉が出てこない。「今から見つければいいよ」


「……うん」


 バンド及び、卵型のカップの色は黒(つや消し)。右耳を覆うカップには、上下逆さになった『水』という漢字。左には同じく逆さの『火』。どちらも楷書体だが、それぞれ色はライム寄りのシアンと、赤。一見ワイヤレスヘッドフォンに見えるけれど、こいつが被っているのは軍用の防音イヤーマフだ。

 瞑鑼はむむむとノートに近づいて、


「……だめ。なんにもわかんない。やりたいこと――ない!」


「まあ――」


 俺は言った。目を合わせたら喧嘩の合図というルールに感謝しながら首の背骨に向かって、


「やりたいことがいっぱいあるやつらは、確かに無目的という大罪とは生涯無縁かもしれないけど、その他の大罪には一生足を引っ張られ続けるんだ。人寂しくて騙されたり、人恋しくていいように利用されたり、死ぬ間際になって物質や経験には何の意味もなかったなんて嘆いたり。激情に呑まれて友達を失ったり、下らない見栄を張って幸せを取り逃したり、だらだら生きて人生を無駄にしたり、憧憬と羨望を履き違えて自滅したり、食べ過ぎて体を壊したり……。生まれつき普通の大罪を全部克服できてるお前の方が凄いんだぜ? いやまじで」


「ふうん」


 どうやら少し自信を取り戻したようだ。そこまで表情に変化はないけれど、俺には判る。


「無目的は万人が克服するべき大罪やけど、無欲は万人が目指すべき善やし……。無欲は無欲として正しいと考える――ようにします。改めて」


「うん」


「……むずかしい」


「ああ、お前がやろうとしてるのは、実行するとなるとめちゃくちゃ難しいことだよ」


「お兄ぃには無理?」


「全然無理。俺は大罪のひとつにもなられない『寂しいと感じること』さえ一生克服できない自信がある。まあそれは俺の自己同一性が普通に人間だからなんだけど」


「ふーん……」


「自己同一性その一が酸素ってお前、酸素がなかったら寂しくて死ぬってお前、言われてみれば確かにそうだけど、俺に置き換えるとこう、見えないけどこの辺にある酸素分子O2が全部人ってことだろ? めっちゃ安心じゃん。包まれているにも程がある。そんなん、地球上にいる限り永久に寂莫なんか感じようがねぇーよ。最早超能力の域だよ」


「えー、超能力? ふふーん」


 瞑鑼はトレーナーの袖から再び指先をちょこっと出して、またスッと仕舞った。だぼだぼ。ああ、この、俺の服を寝袋代わりに勝手に着るというのが、こいつにとっての家の中におけるぐうたらスタイルなんだ。バスタオルだと落ちるじゃん? お兄ぃのえっち、んふっ。みたいな。あ。そうだ。俺は立ち上がってクローゼットの扉を開け、スペアの枕を取り出した。並べてみる。ふむ。ひとりになっても最悪これを抱いて眠ればいいか。


「むむーっ、無目的めーっ……!」


「落ち着いて」こいつに引っ張られて、無目的との戦いを開始してしまいそうになるけれど、そうじゃない。「今はとりあえず目の前の作文だ」


「作文、いや~ん」


 いや~んて。


「あとで変わってもいいから、なんかでっちあげなよ、目的」


「んー。んー。なんかでっちあげても、書き方がわからん……」


「5W」俺はいつか本で読んだ知識を頭の中に探った。「いつどこで誰が何をどうしたのかを書くだけ。作文教室じゃなくて学校の宿題なんだから、先生が喜びそうなのでいいんだよ」


「うおーっ!」


 それがどういう意味のリアクションなのかはわからないけれど。


「お前、絵ぇ得意じゃん。だからあれにしたら? パソコンで絵ぇ描くやつ」


「あー」


「あれで絵の練習して、できたのをなんかサイトに載せて、連絡待ってま~す。みたいな」


「でも結構マジで叶えたい系の夢って、黙ってた方がいいらしいから……?」


「となると、そもそもお題が罪だということになるな」


 子どもたちに夢を持つように仕向けているていで、その実夢を奪うことが目的なのか。

 そんなわけないけど。


「じゃあご飯関係は? お前、好き嫌いないじゃん。だからアヒージョやキッシュも作れるようになってお店を開きたいで~す。とか、お客さんを笑顔にしたいで~す。とか書いたら?」


「ほおー、それ、いいかも」


 ふと見せたその倩眄に、俺は心奪われる。もし同クラの女子だったら、もともと好きになってはいないから俺はこいつには絶対に振られることがないなどと、仕様もない見栄を張っていたことだろう。今もそうか。話しかけてくれたら、まずは普通にびっくりして、でもクールな顔を取り繕いながら心の中で喜んだり――、

 これも今もそうだった。

 俺はどんな境遇に生まれても俺なのか!?


「お兄ぃ、ありがと」


 そんなことまで言って、更に、にへ、と笑う瞑鑼。今日はほんとに甘えデーだなあ、と思う。そして待ってくれみんな。本当に妹なんか母ちゃんと同じなのか? 喧嘩する程仲が良い――からの、最終的に結ばれるタイプではなく、初めから相思相愛――タイプでもないか、これは。俺が片思いしているだけだ。百パーセント振られて終わる。よかった。それなら安心。


「お兄ぃ、うちの髪触りたい?」


「ん? うん。触りたい」


 安心……だと思う。


「じゃあ、一応、手ぇ洗ってくるわ」


「おお、お手洗いってらっしゃ~い♪」


 今日はほんとにテンションが高い。ずっと今日みたいな湯たんぽ犬コロ様状態だったら――元気に外へ飛び出していって真っ黒になったり、さらわれて二度と帰ってこなくなったりしそうで怖いな。俺は何をどうしても問題が発生するんだなあと考えながら、洗面所へ向かった。風呂場ではひとつ年上の姉、七七七瀬なななせ寧鑼ねいらが、いつものように適当な鼻歌を歌っていた。

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