第四章 単なる技術の問題だ 03 成功
成功について。
「我ながら欲張りすぎるって呆れるけれど、あれだけ苦労してお金のジャンルを攻略しても、まだまだまだまだ足りないわけよ。人生にというか、人体にというか、人間にというかには。
ほら、いま波に乗ってる人って、間違いなく予想通りに居なくなるじゃない? 自分だけは絶対に大丈夫なんだ――って顔のままさ。そうなるともう、寧鑼ちゃん風に表現するなら『萎ゆすなあ』。自分も絶対に駄目なんだろうなあって、逆張りするしかなくならない?
『禍福は糾える縄の如し』に、抵抗する気が殺がれてしまう。そうだよねー。禍の部分でどうせ奪われるんだったら、必死に福を掴んだって無駄だよねー。……じゃあどうすんの? 全部とは言わないまでも、ありとあらゆる問題に、次々と無難以上の着地点を求められて!
死にかけて復活しろとは言わないけれど。
コンテストやグランプリやトーナメントを、実力だけで勝ち上がろうという方向に、努力を傾注するのはやめた方がいいわね。老婆心から言わせてもらえば。事実私は後悔してる。さっきの話から繋がってくるんだけど、マニュアル(A)のひとつに、こういうのがあるのね?
大金をはたいて参加者を大勢募り、その中からごく少数を選び抜くことで、それら選ばれし少数の人々に『箔』をつける。そうすれば大衆は、凄そうだと思うでしょう。幸運にあやかれそうだと自分で思いつくでしょう。
一万人集められる資金があれば、一万分の一の幸運児を。十万人集められる資金があれば、十万分の一の超幸運児を。百万人集められる資金があれば、百万分の一の倍率を見事勝ち抜いた天才を! たったひとり抽賞するだけで簡単に作られる……。
凄いやつが二百人現れても、エンプロイヤーの望む果実は変わらないの。聖夜の自室にクリスマスツリーを千本飾っても邪魔にならない限りは。『運も実力の内』などと、わざわざ口に出す輩はその時、薄幸なる外れ籤からの嫉視を、巧妙にいなすことだけしか考えていない。
この関門を実力だけで突破しようとするためには、生まれつきギャンブラー気質でなければならない。そうであるのなら、やはり実力だけで突破することは不可能なのよ。そしてギャンブラーというものは、ギャンブラーであるが故に皮肉にも、約束された成功には縁がない」