第三章 闇髪の注瀉血鬼 08 アンデスコニカ=カリカモルファ
腰の辺りにちんまり生えた、ハート型の翅を触りながら、アーティカ=アデスディーテ先生が言う。
「黒化型のムシャクロツバメシジミチョウ」
控えめにつり上がった女教師眼鏡に手を添え、
「――型の侵略的害雷生物の、突然変異体の、天然の人化個体の、女の子ね?」
「だいぶんややこしいな」
しかしその分キャラ被りの危険性は、ぐっと低くなるわけか。
クリアブラック髪蛍光ピンク眼も、金髪碧眼に比べたら少ない方だろうし。
「コニカのはね、きれい?」
咄嗟に綺麗だよと返すと彼女は、その場でくるりと回転して、にっと笑った。
「ん? コニカ?」
「その子の名前よ」
俺のパジャマを奪って着た犯人が、俺の耳元でこっそり囁く。
こそばゆい。
「だってあのとき、なまえをおしえてって、この子、言っていたじゃない」
「なまえを……? あっ」
ああっ! あれはそういう意味か! 俺の、じゃなくて……!
「アンデスコニカ=カリカモルファ。良い名前だと思わない?」
ふかふかの絨毯へどろりととろけ、への字にお尻をつき出した青虫が言う。
「ものすごく良い名前だと思う! いやマジで」
「ふたつ名は《注瀉血鬼》。どう? かっこいい?」
「かっこよすぎ! 全然名前負けしてない。超強そう。てかお前の脳味噌どうなってんの?」
「ふふっ……♪」
コニカはこのアーちゃんドーム内で暮らすことになった。今後どうなるかは判らないけれど、とりあえず今のところは。本当こいつらには世話になりっぱなしだな。何かお返しができればいいんだが……。
「コニちゃん、おいで。髪の毛梳かしたげる」
言われた減雄パジャマコニカが不用心に近づいて――、
燐髪の《艶麗女帝》に捕まった。
「ぐえっ!?」
「寝る前はねー、ご本読んでー、ぎゅーってしてー、ちゅーするんだよ? んふふ」
「コニカ、じゅうすがいい」
「こしょこしょ……」
「あゃは! あっ……は……! あははぁ!?」
しかし、人の血よりもジュースの方がよかったとはね。
答えってのはいつだって、当たり前すぎて、なんだかな。
「随分と楽しそうね」
「まあ、末っ子だからな」
妹ができてというよりは、お姉ちゃんになられて嬉しいんだろう。
お姉ちゃんを飛び越えて母親になってるような気がしないでもないが。
「コニちゃん、これ見て。じゃーん、藤色リボン~♪」
「わあー」
「コニちゃんはツインテールが絶対似合うわ。ちょっと後ろ向いて。ほらできた。まあ可愛い。蝶々かわいい。蝶かわいい。大好き。愛してる。むちゅーっ! ……べろ」
「ひゃぇっ……!?」
俺は首筋をちゅーちゅー吸われて目を白黒させる、闇髪の注瀉血鬼、アンデスコニカ=カリカモルファを後目に、隣の彼女へ体を向けて、ソファの上で正座した。
「……アーちゃん。あのさ、俺はお前に、言っておかなきゃならないことがある」
「な、なにいきなり、改まって?」
「お尻ヘアとか思ってごめん」
「お尻ヘア!? なにが!? え?」
「じゃなくて。本当お世話になりっぱなしで。なんとお礼を言ってよいやらどうもありがとう」
「お、お礼? シャリッとしない東京りんごもらったじゃない。超嬉しかったよ?」
「マジで!?」
そういやこいつ、俺と同じくメロンフォビアなんだったな……。
「でもお前、ちょっとお人好しすぎんぞ」
「? それはお互い様じゃない?」
「それは……、いやでもしかし……、俺はもらってばっかりだ!」
「そう。いいじゃない。それでいいの。くれた人に恩を返してすっきりしたいと思うなんて、旧時代人の脳味噌でもできます。大切なのは、今度は自分が、持っていない人にあげること」
「ふーん。なるほど。それでもなんかない?」
「じゃあこのりんご剥いてよ。お兄さん?」
「あ、おう。おっしゃ。んじゃ台所借りるぞ」
「剥くだけじゃだめよー。ちゃんと切って蜂蜜もかけるのよー?」
「はいは……蜂蜜!?」
振り返ると、彼女はもう既に髪の毛をポニーテールにまとめていた。
「奥様~。っぽい?」
「?」