体験版 003 斜に構えた血色こそ
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これよこれ、とズイズイ見せられても、そんなものを注文した憶えは記憶になかった。
おそらくだがここまで含めて、躁の時分に実行せずにはいられなくなる“ボケ”なのだろう。
ハイテンション萌四コマの系譜顔で、光圀様の印籠のように掲げられているのは、意味もなくオン・オフしたくなる、掌サイズのキューブ状の、節電コンセント――とかいうやつだ。
節電タップ、省エネタップ、ともいう。
「前からこれ欲しいって……言ってたじゃない?」
デービルさんの演技は続く。
しかしその“穴”の方には見覚えがあった。
住宅街に盗聴器の有無を調査しにいく番組で。
…………。
というか今、男子としては、結構それどころではなかった。
満載すぎる突っ込みどころを全部まるっとわきに置いて、
緑ラインの白ジャージが――!
「あれゃ? ポチってた? いやん♥ でもインナーはちゃんと中に着てんねんで?」
「いや……、ジャージはほら、中にシャツ着てる男子でも、普通に“乳首ポチ”なるから」
「へぇー。ほな羽織って来た意味なかったな? あっつぅ~」
「…………」
なんだろう、なんというか、おっぴろげた一枚絵なら、少年漫画でも規制は入らないのに、この場で言葉で説明するとなると、善意一色のサービス残業が、目障りな蛇足になるよな。
「――で、これ、なんなの?」
「すっごくいいやつよぉ♥」
手近な壁のコンセントに、グサ!
やっぱり僕の部屋の盗聴か!?
「押してみて♪ 押してみて♪」
透明のスイッチをパチッと入れると、赤ではなく鮮やかな新芽色に変わって、水が出た。
ドドーッ!!
「えっなにこれ?」
「せやからな?」
ここから彼女、メドウユウラ・メルヴェイユ(?)が長々と説明した内容は、この後すぐに要約(?)しよう。
近寄ってきたお姉さんに、うずうず、そわそわ、パブロフしないでいられる、檻の中の元気なネコ科(夜行性)がいるのなら教えていただきたい。
「あっ、紫……」
「えっ、これ紫? ピンクやろ?」
「いいからはやく穿きなさい」
「はぁ~い♥」
ロングの黒猫『うに』に真顔でズリ下ろされた、庶民的すぎるグレーのスウェットを、グッてして最後に蝶々結び。
痩せた? ――って次元じゃない。
さっきからずっと、なんだこれ?
逆の逆の逆の逆に、ガリガリすぎる『女子の理想のおなか』でもなかったけれど。
「あ、上下でなんで別々のやつ着てんの、って思った?」
え。
いやいやまったくそんなところは1ミリも気にならなかったよ。
音というものは『大/小』『高/低』だけでなく『快/不快』、そしてここに『多数/少数』が組み合わさったもので分類・把握ができるらしい。
たとえば単なる『大/小』を数値化した際の単位は、ご存知『デシベル』だが、『蝉の声うるさい!』というネットの書き込みに、とりあえず僕は共感したことがない。
テレビでもやってる。マイクを向けて、数値を出して、住宅街の近くの林の蝉の声を『騒音』だと認定してる。
蛙でも同じだよな?
僕個人は、水の張った田んぼに屯するアマガエルの鳴き声が非常に好きだ。
感覚としては、秋の夜長の虫の声と、まったく同じ程度にリラックスできる。
反面、最近大流行の『咀嚼音』なんかは、デシベル界では絶対に『騒音』だとは認定されないボリュームでも、秒でストレスが臨界点を超える。異性でも関係なく。
天ぷらは解るよ!? とんかつを揚げる音だの、A5ランクの国産サーロインを鉄板で焼く音だの、台所のまな板で、お母ちゃんやらガールフレンドが、とんとんとんとん軽快にお野菜をみじん切りにしてくれている音は、耳に心地よく感じます!
――まあ、エゴサーチと一緒で、これにも否定派は大勢いるので、この辺にしておくけれど。
録音された小鳥のさえずりは、リピートかけられたらイライラするんだよなあ……。
何度も聴くには甲高いからか?
『少数が不快に感じる』=『多数が快適に感じる』――かつ『音がシンプルに大きいもの』。
川のせせらぎだの、雄大な滝だの、車内で集めた雨音だのが、大多数の人の心を鎮めるのに役立つことを――本当はみんな知らなかったのかもしれない。
寂しさを打ち消すには、『人の声』を大音量で、テレビから流せばそれで済むから。
こいつに全人類を共感させることが、ヒトの夢でなければならなかったから。
掌サイズのキューブ状の、節電コンセントと合体させれば、大嫌いな少数派に、塩を送ってしまう結果になるから。
あるいは壁を厚くリフォームできる業者が、地味に儲からなくなるから。
――ちなみにこいつはスマホのアプリで、色々と音源を変更できるらしい。
『室外機の音』『空気清浄機の音』『業務用扇風機の音』――は、もう入ってるのか。
瀑布音を最大にして廊下へ出て、いったん閉めてみる。
おお、ぜんぜん近所迷惑じゃないぞ!
開。閉。開。閉。
災害時は危険か?
いや、それは、大音量のテレビでも同じことだろう。
停電すれば消えるわけだし。
今度は超接近して耳を近づける。
う~ん、ビリビリなってない!
そんなことをしているうちに、お礼も催促することなく、背を向けて髪をなびかせクールに去るのかと思いきや、
「あら、鍵閉めちゃった♥ うにがじゃまねえ……?」
じいっと見上げてくるだけ。
抱っこさせてくれる猫は、じいっと見上げてくるだけ!
接近すると、より判る。
ボールは永遠に友達じゃない、スタンダードな文化系の、斜に構えた血色こそ変わりはないものの――、どう考えても背――特に首と脚――が伸びているし、バストも以前より格段にサイズアップしていて、反面、顔はひとまわりくらい小さくなっている。
眼鏡の鼻あての跡も無い。ごくごく普通のこげ茶だった虹彩も今では、“ネモフィラソフト”成分の一切ない、“純粋な空色”だ。
何より、長い髪がミントチョコグリーンからオフブラックに変わっていて、その下半分が、たとえるなら幽霊の下半身のように朧に、しかし窄まることなく末広がりにボリュームを増して、半透明の逆さ鬼火へ、深緑からライムグリーンへ、でんでんでろでろグラデしていた。
(『Green Ombre』の一種らしい)
ぱっつんだった前髪も、伸びたのに切るのがどうにも億劫で、左右どちらかに分けなければ――つまり片方の目でしか――、前方がクリアには見えない感じになっていて、
(『うざバング』っていうのか? こっちは)
(2次元から“色気”をそっくりそのまま持って来られるって、何気にすごくね?)
パッケージにつきものの“ハーブ”を模していた、頭の緑の“蝶でかリボン”もなくなり、その代わりに羽角の位置に、昔の絵本の鬼の“ドリル角”ミニ2本(銀色)が生えている。
…………。
とりあえずハグして、挨拶代わりに軽く口を吸ってる場合では全くないのかもしれない。
もしも『リオくん』呼びが、本日の気まぐれではなかったとしたら?
前からこれ欲しいって……言ってたじゃない??
「あのー、そろそろ。ええと、それ、」
「うん? ああ、これ? 作者が最近大流行の、犬とかイルカの交接器みたいな、直接的に淫猥すぎる、おでこから反り上がった地肌色の鬼の角、めっちゃくちゃ嫌いなんよ?」
「…………」
馬鹿々々しい予感にせっつかれるまま僕は訊ねた。
だってこれじゃあ、地声以外の何もかもが別人すぎる!
「ええと、とりあえず名前からいこう。きみの、名前は、」
果たして目の前の僕の彼女は、
メドウユウラ・メルヴェイユ。
ではなく――、
「ライサンドラ・ライムデビルエンゼル」
と答えた。