第四章 匍匐漸進 003 最終目的地(仮)
3
しかしどうしてこんなに大きいのだろう?
八月二十二日の早朝、僕は裏庭へひとり出て、ラジオ体操ラジオ抜き(うろ覚え)を、背伸びで無かったことにした。
んんー……、はあ~っ。
セミを焚きつける儀式だったことに変更。
金曜日は好きだ。
イメージカラーは金色じゃないけど。
ジュンジュのやつは日曜も好きとか抜かしていやがった。ええ~? 次の日、月曜じゃん? 区切って楽しめねえわー。ガチガチに備えてー。前日から緊張しておきてー。明日は休日っ♪ ってのが落ちつくんだよね~。
一般家屋にしては外装が淡泊だけれど、マンションと定義するには玄関の数が足りない。
シェアハウス――実にその通りだが、今問題にしているのは外見だ。
校舎。
って感じ。うん。
こいつも僕は好きだった。
いや、みんなも同じはずさ。
なるたけカッコイイやつを入手しようと、我勝ちに、しかしそつなくさりげなく、扉を開いているはずさ。
個人的にはこの、はけの部分が黄緑色なプラほうきが一位だな。がっしりと地に足ついて、サッ……ブレないねえ、きみ。ペリペリ剥いちゃう。くるくる、ああー。残った筒がサカサカ上下。
(鋏担当の執事が欲しい)
歴史がある。ドラマもあった。現状はどうこう言うまい。反省したくてもし様がないからな。反動は普通に怖いし、妬みや嫉みもちくちくと肌に感じてる。
そう、こんなに空室があるんだ。これからもきっと、誰かが途中で入居してくるだろう。
そいつが今、僕は気がかりだった。
女子なら歓迎できるけれど、毒舌下手な勘違い自信家は嫌。――本音ではそりゃあそうさ。物静かなイケメンなら、むしろそいつをみんなのご主人様に仕立て上げる手伝いがしたいという意見には、共感してもらい辛いと思うが……。
(《鋏執事》というのはどうだろう? 全員鋏遣いのメイド系物語ってまだないよな?)
いや、サッカー部のレギュラーってかわいいじゃん。他の女に盗られたら困るから早目に赦そうって焦りを引き出すのが上手な、あの、ヘタレを装った、サディスティックごまかしスマイル。遺伝したらすげー美人が誕生すると思わねえ?
ピー、ピー。
あ、終わった。
ひと仕事終えてガチ疲労。ふおー。信じてもらえないかもしれないが、これは全部雑巾だ。トランクス派は総じておっちゃんと、暴けなくもない時代になってきていることにかかわらず、僕はボクサーブリーフ派だった。ガリガリあるあるだ。色は黒だぜ?
生清々しいって気持ちです。
「きょおわなんのごはんたべたい?」
「んー、きつねわかめうどん」
「ぶぶー! きょおわみかんとおとおふの、みにすとろーねをつくりまーす。ジュージュー」
「そうだ、さっきシーザー獲ってきたから、シーザーサラダ作ってよ」
「はいじゃあそこおいといてー、ざく、ざく。あっつぅー。きょおもあっつぅー」
「すごい手際がいいですね、メロラララルシェフ! 眼鏡が超大人っぽい」
「もぉー、ふふっ♪ メリトちゃんたらぁー」
くるりん。
綺麗に並んだ半透明の乳歯がうらや眩しい。
首の筋肉が大層儚い。
髪が細い。
「あらいけない、うにったらまだねてるのね。きょうはおさんぽにいかなきゃなひなのに」
「メリトちゃんは金髪の方ね?」
「メリオっさん! んふうww」
うにを取りに戻ったら、メドウユウラ・メルヴェイユぱいせんと出くわした。起きたところなのか、慌てて口を手でふさぐ。顔が赤かったので発熱の心配をする。彼女は違うと首を横に振った。
「う、うに連れテ、どコ行クん?」
「散歩だけど? どうした、アクセント無茶苦茶だぞ。ほんとに風邪じゃないの?」
縦と横にぶんぶん振りまくるめるめる。
落ち着け。
一緒に行くかと訊いてみる。
「ちょ、ちょっと待っテて……!」
ばたばたと立体的に駆け回る間、僕はうにを抱いてじっと立っていた。撒き散らされる髪の香りが理性に悪い。今夜はこいつのところへ夜這おう。
そうだな。絶対に処女作だと解っていたから、自然に興をそがれてたってところはあるな。
ショーツの中身でさえ、単体では娯楽にならないのだ。
究極でなくとも頂点でなくとも、最終目的地ではあったはずなのに……。
「うお、なにその嫉妬顔、すげーかわいい。すげー好き」
「は? 嫉妬なんかしていないわ。変な言いがかりはよして頂戴。コレダカラダンシハ……!」
「お前、意外と顔に出るなあ。丸出しだなあ。本音が全部」
「うっさい! ちがうからぁー、ち、近い。さわんないで」
うにをさっと手渡し、メロラララルと楽しそうに手を繋いで、反応をじっくり観察する。
頭蓋を剥かれたピンクの脳味噌に血液がぶっかけられる映像が、頭の中ではっきり見えた。
「なんでだああああああああああああああっ!? エェーッ!? ッンだよッラァア!」
三人そろってビクッとなった。
待て待て、落ち着け。
何かしないと。
これは足がすくんでいるのか?
野次馬根性を叩き直しておかなかったから不必要に被害に遭うんだと言われたくないのか?
何が悪なのかを知りたいところから間違っている?
でもでもだって、何かを犠牲にすることしか閃かねえもん。
まずそこで勇気を出すようにと、洗脳されてきたからさあ。
嘘だろ。
救急車はおぷてぃみ荘の前で停まっていた。
パトカーまで来ていた。
ヤバい。
孔子とは違って、程子に出会っても目を合わすことすらできない。
あっ、えっ、話しかけられた。
「すみません、わかりません、いま散歩に行ってて、帰ってきたらこうなってて……!」
近寄らない方がいいって!
妻子を蔑ろにして使命感に突き動かされるカメラマンは悪魔だ。
やれる善を全部やったと驕り高ぶるな他血狂。
警察が去って電話が振動するまで、僕たち三人は、うにと遠巻きに身を寄せ合っていた。
被害者の顔も加害者の顔も、肉眼では捉えられなかった。
舟券じゃなくてよかった。
裏方の仕事を経験して、またホルモンがおいしく感じられなくなった憂鬱にそっくりだ。
「僕にも下心あるけど?」
「自称『下心ある』www」
流石に緒が切れた。
ケツをひっぱたいてやった。
「夜這い上~手っ!w?」
つまりはそういうことだった。
らしい。
思い起こせばいろいろあった――ような。
うるりんから感じていた、得体の知れない恐怖の正体はこれだったのだ。
地獄と言えば地獄か。
永遠に焦らされ続けてるようなもんだし。
またたび荘は猫にとっての天国かと言えばそうじゃないよな?
めるめるが、何かに思い当たった様子ではっとした顔を見せる。
「えっ、あの、もしかしてやけど……――?」
そういや男女比のおかしいラブコメを読んでは、普通赤くなるだろとか思ってたなあ。
「それはあかんよ! ちょっと聴いてんの!?」
どうしてそんなに必死なんだ。
「えー、じゃあ、僕のLGBTをカミングアウトしようか? 正直に」
この発言には、思春期を迎えたいつもの面子が予想以上に食いついてきた。ちょっと気持ちいい。毎度々々これと同程度に、人の興味をそそられたらなあと夢想する。
普通に入居していたらしい。二十日から今朝まで。最近はごたごたしてたからな。気づけなくても仕方ない。怖い。写真まで見せてもらうつもりだが、詳しい外見描写は控えておこう。誰かひとりでも『俺だ……!』ってなったら、不必要に見放されちゃうから。
いや、男だ。
そう、性別は言わなきゃな。
そしてこの話にはもうひとり、謎の男が登場する。
何を考えたのか、後者は僕が今朝干した雑巾を窃盗した。これでもかというほどに貪りまくった。
動機の考察――も、やめておこう。
前者は女獣が選別するところの『夜這い下手』であった。女の子を護ってみせれば己の株が上がると信じて、助平野郎へ飛びかかった。
喧嘩なんか漫画の中でしかしたことがなかったから加減が解らない。反省した結果、リミッターを外しすぎた。気がつくと謎のボクサーブリーフマンは意識不明の重体で、返り血を浴びた自分はどうしてかドン引きされている。
涙の抱擁と感謝のキスと、幼馴染と許嫁は?
逮捕された。→『なんでだ』。
未だ乾ききっていない庭石には、赤黒い輪郭がこびりついている。
『「体が男で心は女で性的指向は女性」!?』
「それって、普通の男子と何が違うん?」
「全然違うぞ! 『L』の人で考えてみろ、男性ホルモンを摂取して、髭ボーボーにしたいとは言い出さないだろ!? LADYなやわ肌同士の触れ合いが至高ってのが『L』だ!!」
ああ、ほなうちにもそれちょっと入っとぉかも。と、うるりんが笑った。
ちょっと?
めるめるは笑わなかった。メリトは将来お金を貯めて、ボーボーにしたいと言い出した。全く共感できない。せめて髭だけでもレーザー脱毛したい。安物買いをしなければ大丈夫なはず。
「切っちゃうの……?」
そんな泣きそうな標準語で言われても。
いや、切らねえよ!? 全然違う!
「男の娘志望ってことでしょ」
思い描く理想の外貌は、まあそういう感じになる。大別すれば。
可能ならもう、人でもなんでもなくなって『鷲』だけどな。ハクトウワシか、オオワシか、オジロワシか、オウギワシ……いかんな、ううん、興奮してきた。
猛禽類に興奮しないヒョロガリはいません!
諦めるより他にないことは、あんまし考えない方が健康に良い。
「しし座」
「さそり座」
「ふたご座」
「てんびん座」
そのまんまだった。
きっとジュンジューライは「うお座」で、オコローリヨは「おうし座」なんだ。
ルリセリ・ハコベメルがお母さんと一緒に、無事にこの『小豆島』へ到着した。