第四章 匍匐漸進 002 紅蓮の霹靂(仮)
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甲高い悲鳴が方々から聞こえているはずだった。
「レンアちゃん! ドモリぢゃん! いやアやめテェー!? やべでよぉオオ、オオ!!」
メリトがいたらさぞ喜んだだろうなと閃いては「とんでもない」と打ち消し、こういうことだったのか、こいつが諸悪の根源かと、最悪の結果を頭ごなしに信じ込ませることで心を鎮静化させたのは、もう少し時間が経過してからのことである。
「うぅぶっ、う、う、う、う、う! いやだ、嫌だぁあああああああああっ! うわはァは!? やべで! 返しっ、ああぁあああああああああああああああああああああああッ!?」
カクカクと足掻いた裸の手足が、バッタのように呑まれて消えた。
青紫の薄気味悪い舌が、にゅろんと空気の匂いを探る。
先先は二股に分かれていた。
「《銀狐リオン・紅蓮の霹靂》!!!!」
一旦のけぞった全身から、ビカビカと注ぎ込まれた雷霆の驟雨で、空も海も真っ赤になった。
胃袋そのものを鉛に変えるような、空腹感を取り除いてくれない轟音が、哭泣するルリセの咬筋を強制的に緊張させる。口筋を『い』の音に引きつらせる。
前のめりにドッと倒れた。
これは水しぶきだ。
長い尻尾がS字を描く。
直射日光と流木の破片がモヤシ肌に塩を塗る。
突拍子もなく場違いに、不可能だと痛感する。
あの声で、蜥蜴食らうか時鳥。
蛇食うと、聞けば恐ろし雉の声。
見るからに恐ろしい異形のものが、いかにも恐ろしげなことをしでかしてくれて、一体何が恐ろしいというのだろう?
赤ん坊のように可愛らしい、くりっとした黒目がちの瞳が、明るく前向きにぱちくりと瞬いた。
ブラックも度が過ぎれば笑えてくる。
三度目の《紅蓮の霹靂》が、胴を起こした四肢を焼いた。化物トカゲがぐっと顎を引く。左右に開かれた頭頂眼が、鋭い十字の光を纏う。
直後、青紫のレーザービームが、
「ズドオちゃん!!」
海の家が大破。
命に別状はない肉片が乱舞する。
(命に別状はない、命に別状はない!)
ドーピングが弾劾されるべきなのは、正々堂々とスポーツを行う場合だ、ここは違う。
(死ぬより正しい、死ぬより正しい! 殺される道を選ぶより改造厨に堕ちる方が正しいッ!!)
異例の決断速度だった。
わけのわからん例の錠剤を、わけのわからんウルカリオンすぺしゃるで流し込む。
(このために僕はここへやって来たのだから!!)
全然爽快ではなかったので、《生きる力マン・レモンライム・ウルカリオンスペシャル》時に口腔内から射出した怪光線は、のちに《鬼御礼参り》と呼ぶことに決めた。
かわされた。
巨大な水柱が昇る。
乱射される、と身構えた。
防御にこそ運動神経が必要だ。
メリトとうるりんの笑顔が浮かぶ。
女子ばかり手に入れたら、仕方なく男子を失うことができない。
ほんとに来た、動けない!
後ろから邀撃。
直喩コンプレックスに打ち克とうとしている場合じゃない!
これだと思った、飛び出した。
「やられた……!」
ズドオちゃんがもう隣にいた。
心が激しく同調している。
沖で戦えば仕留められると、高を括っていたんだろう?
理性の奴がニヤニヤ言った。
女神姿のお姉さん人格に、前を向く勇気を褒められる。
今更目を皿にしてみたからこそ、真剣に捜すふりをしている感がぬぐえない。
(逃げられた……!)
可能性というよりは組み合わせで、そんなものを把握できるメモリーチップは、未だ首筋に埋め込んでいなかった。
数え上げるごとに零れ落ちてゆく……。
期待と批難と絶望と、やり場のない怨悪が、ルリセリ・ハコベメルの真っ直ぐな瞳を下水色に侵していた。
独りだった。
僕は目を逸らした。
謝罪も別にしなかった。
それどころか足早に通り過ぎる。
背中で説教も始まらない。
その代わり、
「あなたも手伝って」
ヒーローの手袋は、瓦礫から素手を保護するためにあるらしい。