第二章 カレタ島の冒険 007 育成厨(仮)
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狭い道ではスピードでは勝ることができたところで意味がない。
僕は彼女の腕を掴んだ。
走り辛くなってばたばたと、着水したコクチョウのように、止まってなお慣性で滑る。
「私かて伸びたわ! そんなん全然慰めになってない!」
「僕だってあの十日間、何か有益な活動をしていたわけじゃない! 寝てばか、待てっ!」
メドウユウラ・メルヴェイユは裏庭へ逃げ込んだ。フランス語でデジャ・ヴュだった。慰め。甘え。感情の処理。ガチで独りにしてほしいのならば、もっと冷淡に見下してくるはずだし、僕のキモさで体調を崩したのであれば、警察官を呼ぶはずだ。
力添えをしてもいい。
できるものなら。
何をするのが正しい?
筋肉がこっぴどく足りなかった。月を朱盆で受け止めるとか、いろいろ飛び越えて笑っちゃう。女子って想像よりでけええええ! 朝の雀はまぢ雀。朝露に輝く芝生の絨毯にはミミズの体内で耕された土地が含まれているから気持ちが悪い。もむ。
「ネタで言うてんねやろ……? うち知ってるもん。意志薄弱なデブ女が好きな男子や、リアルになんかおるわけないやん。結局最後に他の子選んだらそういうことやで。八面玲瓏。八方菜」
「それは違うぞ」
「ううーっ! はなせ! エロ! うそつき! 無神経! 正直に言うな! なんでやねん、うるちーやべりりんとおんなじ量しか食べてぇへんのに……!」
「いや、それは太るだろ!」
「なんでやの! ずるい! ふこうへい! というか揉みすぎなんですけどっ」
「ああ、ごめん。おなかかと思ってた」
「もぉー」
叩かれた。
牛すぎる。
おなかー。
にょーん。
自虐的に発言されると、ニュアンスが違って聞こえた。
いいやできていないね。
今こそ熱弁をふるうときだった。
「なんやそれ、人をペットみたいに」
「いや飼育とは言ってないだろ。会社でも新人の育成とか言うじゃん」
「知らんわ会社とか。私まだ十七やで」
構わず続ける。
『育成厨』『攻略厨』『努力厨』それぞれが、それぞれの心を守るために、我こそが人間のスタンダードだと思い込む。ここから混乱の不幸が始まる。
『努力厨』が太っている他人を見た場合、共感を得られない上に信念が傷つけられるから、『嫌い』という感想を抱くわけだ。
高いハードルに興奮する。絶対に無理だと謳われる山を攻略する。それが至高、それで普通。そうであってこそ生きている感覚を得られる。――だから、目の前に簡単に破れる壁がやってきたら激怒するんだ。意志が薄弱だから太っているんだと考えるタイプの『攻略厨』は。
一見、能動的なのか受動的なのか、サドなのかマゾなのかよく判らないけれど、自分で作ったクイズを解いて遊ぶことは、できてしまうからこそ絶対にできないよな?
そういうことだ。
「ほな『育成厨』が一番謎やな。育て終わったら興味なくなるってこと? ほんなん、なんのために育てたんかわからんやん」
「いや、そうじゃなくて。結論は置いておいて、過程を重視するならば、この三つのうちどれ? ってやつだから。肉を焼いてるときも『育ててる』って言うだろ? 楽しいじゃん、あれ」
「今度は肉かい。メドウユウラは肉ですかそうですか。ブーブー」
だからそういう揚げ足取りはいいの。
『育成厨』にとっては――今度はゲームのキャラでたとえるけど、そのー、レベル100的な? 完璧に仕上がった個体をポンと、誰かから貰ったら腹が立つわけ。
他人の褌なんか汚すぎて触れないのが普通www。
よって彼らは未完成な物や、堕落した者を好む傾向にある。
庭いじり、野良犬の救済、全引き籠りをラノベ作家へと育て上げることによって、陰の世界を開墾し尽くし、いずれは全てを自家薬籠中の物にする謀略……。
一番伸び代が大きいから『好き』なんだ。恩を売れる、自分色に染められる――それは精神的な世界、つまり思想の分野における、酷く直接的な生殖行為に他ならない。
従って、太っている人をネタ抜きで愛している人は一定数居ると断言できるわけだ。
まあ、育成にも攻略にも努力の要素は要るけどさ。育成のための努力、攻略のための努力って感じで、努力そのものは二の次なんだよね。そうだな、まさしく『結論は置いておいて』だ。
結局顔。
そんなものは当たり前なんだよ。
差別でもなんでもない。
勇気を出して言葉にしたら、正直者という誉れを手に入れられるたぐいのトークテーマでは更にない。
なんか育ててないと落ちつかん『育成厨』も居るんだから、『美顔が好き』を『デブは嫌い』と意訳するのは六十六点。わかったな。
「人間ってぎょうさんおるんやねー?」
「うるりんは毎日腹筋を五百回やっている」
「んんっ……! それは、でけへんな……」
眼鏡を返却。
脇腹の肉を確かめて怒られる。
ひょっとするとあれは、精巧に作られた隠しカメラなのではないか。
檻の中の青い目玉は、今日もまばたきすることなく、長寿をフォアグラの真上に祀って、無感情に、意味深に見開かれている。