第二章 カレタ島の冒険 003 鵲巣鳩居(仮)
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「だって『好きなこと』は『できること』でもあるじゃないか」
「あー、言われてみれば」
今や“執筆”は医療の一だ。
社会不適合者が増えすぎたから。
ボールが友達なら脱落しない。
ひとり残らず集団行動ができなければならなかった時代は、トリナクロメラムのように絶滅した。我々はどこまで絶望しても、見目麗しくデフォルマシオンされた、目鼻と乳首を愛している。
「『本当にそれを好きなのか』と問われれば、誰でも返答に窮するだろう。凄そうな何かを熱心に信奉する地点にも『自己の忘却』という幸福はある。
それ単体は善に違いないが、その場合、その『好きなもの』が、ただの触媒にすぎないことが、無慈悲にも同時に証明されてしまう。
また世の中には、ぶっちゃけ《ドラゴンピース》の印税が懐に入ってくるのならそれでいい、という汚い本音なんか、憎まれっ子は特に持っていないなんて真実を、直視したくない夢追い人も大勢いらっしゃる。万人の前頭葉が神と同じサイズにまで肥大化するわけではないからね。緩かった時代の再来を祈りもするさ。海馬が発達し辛いタイプには、このご時世、機械の助けがあるというのに。
好きを仕事にしたいと発言する方が受け入れられ辛いのはこのためだ。本当は好きじゃないなんてことを気づかせてくれた他人様のお陰で余生を無難に過ごすのか、納得できるまで暴れつくして、どうして止めてくれなかったんだと喚き散らすのか」
僕は正直ドキドキした。
どちらでもなかったからだ。
「事実を並べよう。『ぶっちゃけ目立ちたい』は、『受からなきゃ死ぬ』に勝てない。『副業でちゃちゃっと小遣いを稼ぎたい』は、『執筆療法をし続けなきゃ死ぬ』に勝てない。しかしそれも、『心の底から娯楽が大好き』には勝てないんだ。けれどもそんな天才たちも、自己矛盾の壁にぶち当たって挫折する。娯楽を作る仕事も、結局は大嫌いな仕事だからね」
「執筆療法ってなんですか」
「作業療法というものがある。戦争や大事故、DVなどを体験した被害者から、不幸であることを知覚する時間を奪うために、絵画や彫刻、陶芸、書道、水泳やジョギングといった、軽い作業をさせ続ける――抽象的な鎮静剤だ。それの応用版でね」
巨大な病院の屋上なので、デメリットも少なそうに見えた。こうした庭いじりも効果があるらしい。間接キスの価値が解らない。預かった靴下が湿っている。
もっとも全員がそうであるわけではないけどね、とガリコイツ・カラザ先生はつけ加えた。当然だ。そんなにも大勢の鬼予備軍に、のうのうと生き伸びられていてたまるか。
「サイコパスだったんですかね」
「いや、サイコパスは悪人だと自覚できない。重度の躁鬱病ではあったらしいが……。今風に前向きに表現するなら、『人を楽しませ続けなければ死ぬ病』」
表社会では何をしても人間様の邪魔になる。かといって自殺すれば母が泣く。地縛霊になっても迷惑をかけるのなら――合法的に自分を殺害するしかない。内から湧き出る破壊衝動を、永遠に破壊し続けよう。白玉楼中の人を目指すことが、唯一行える善行だったんだ。
どんなに醜悪な見た目でも関係ない。美男美女の躍動する舞台の脚本を創ることに成功できれば、間接的に人間様の幸せに貢献できる。直接触れれば必ず壊してしまうけれど、ワンクッション置けば、どうにかうまくできそうだ。
「自閉傾向は誰にでもあると思うけどね。きみもスクランブル交差点でマスターベーションはしないだろう?」
「マ……!? 捕まりますから!」
「何が違うのかというと、つまり、『Autistic Syndrome Disorderスペクトラム障碍』とは、自閉傾向のある者全員を指す単語だ。その中で、知的障碍がある者に『カナー症候群』。そうでない者に『アスペルガー症候群』――という名称が、それぞれ医学上ついている」
「勉強になります!」
「猫は基本、全員『ASDスペクトラム』だとも聞くねえ」
「へぇー」
うるりんとメドウさんが浮かんだ。
どちらに同調し、どちらを憧憬するか。抽象概念はともかく、鳥はほとんどの人が興味を持つのではないか。どの程度から強い関心を抱いていることになるのか。
五感過敏でありながら暑さ寒さに強いことは、矛盾しているようにも思えた。
「ああ、確かに対極はふたつあるな。記憶力がありすぎる『サヴァン症候群』と、警戒心がなさすぎる『ウィリアムズ症候群』。
なぜかというに、想像と創造の分野における天才なんて、学校では歓迎されないからだ。だってそうだろ? 社長ばかりを生産されて、いい顔をする企業なぞあるわけがない。しかもインプットの正反対。努力と根性がまるで通用しないときた。
前頭葉の質量が貧弱だと選別された優等生が、どうして選ばれし劣等生を愛せよう。天才と褒めたたえるモチベーションが湧いてこよう。
何を努力しなくとも、昼夜の別なく毎秒々々、超面白い映画を自動で生産し続ける、悪夢と孤独感とフラッシュバックがまさかのゼロな脳味噌に恵まれやがったあいつらに、因縁をつけたくなってしまわない凡才はいない」
サヴァンは結局スパコンに負けるし、ウィリアムズ以外にも優しい人は大勢いる。言ってしまえば、日常生活に特に関係がない才能だから、普通人は彼ら彼女らを純粋に天才だと賞賛できるのだ。
ボクの電話の方が使い勝手がいいし、ワタシのAL、つまりオーストラリアン・ラブラドゥードゥルの方が愛嬌があるし、結局オレの方が儲けている。
どうにかこうにか見下せる点を血眼で発見してやっと。
ところがどうだ。
かといって工夫する余地までもが亡くなったわけではない。芸人やアイドルしかコンビを、トリオを、グループを組んではいけないというわけではないのである。
「ぼく個人は、それは、送り手が言うべきではない台詞だと思っている。けれど、事実そういうところはあってしまうんだ。亭主の好きを客へ出すだけで繁盛したいとは願えない――。だから法則としてはこうだ。
『読者に想像ができるシーンは描くべきでない』。
これには合理的な理由もあってね。中盤と終盤だけで序盤の内容まで伝えられるのなら、同じ面白さでありながら、三分の二の紙幅しか消費しないで済む。これは同期のライバルに、量での、つまり質での勝負を挑めるということだ。
アニメとは解凍された物語だ。圧縮されているべき物語の制作の、参考にはならない場合もある。動いて喋るキャラクターは、なんであれ見ていられるからね」
ガリガリガイコツ先生は、アニメを参考に三人称で始めて、大爆死した経験を語った。後付け設定をダサいと考えていたから、冒頭に敵の幹部をチラつかせようと粉骨砕身したらしい。そうではなかった、それは“謎”を殺す悪行だった! 緩慢な表現こそが至高だと信念していたアニメ好きマインドがズタズタに引き裂かれた! ヒロインの心情描写をオミットした方がミステリアスで高評価!?
僕はごくりと息をのんだ。
『結果の結果の結果』のことを、『新時代の死体』、というらしい。
ガチガチのミステリじゃなくて、すこし・ミステリでいい。
S・Fではなく、S・Mと認識すること――、
「デール・カーネギーは“自己の重要感”で罪を犯すと説いたけれど、ぼくは共感を求めても人は人を傷つけると考える。親の七光りで威張ってる馬鹿は別だ。誰が悪かったらどうなんだ。要するに俯瞰しなきゃいけないんだよ。理屈はこうだ。
医者の子と暴力団組員の子が同じクラスに入る。前者は何不自由なく暮らし、誕生日を祝ってもらえない常識はなく、後者は殴られる地獄が日常。後者は暴れる。『お前だけ恵まれてずるい』と。見せびらかされなければ欲しくなりはしなかったのに。
だから裕福な家庭に産まれた方が、いろいろと頑張って与えなければならんのだ。カツアゲに屈するとかではなく。いろいろと頑張って。寄越せと言われるその前から」
つま先だけ出してみた。カルシウムもたくさん吸収したかったけれど、紫外線で皮膚がんになる恐怖に負けた。ガリガリあるあるの漏斗胸を触らせてもらった。おお、深い。
「『鵲巣鳩居したければ芸人になれ』ですかね」
「あはは、確かにやりがいはないかもしれないな。ある意味壁がないから。ゲーム性を欲する人は、お笑い芸人の方が向いてるかもね。あるいは自分で締切と戦うとか……ああ、最後に、中学のころの、ウェゲナー顔の、数学の先生の話なんだけどね?」
「ウェ、ウェゲナー?」
誰だっけ。
「大陸移動説のあの……、まあそれはいいんだ。で、その先生は、取捨選択が大切ってことを、熱心に伝えてくれたんだよ。いろんな人がいろんなことを言ってくるだろう、いろんな考えがあって、てんでに意見が違うから、とてもじゃないが全員の言いつけを守ることはできない。よく目を見て観察して、よく聴いて、この人はどうかな? 信用に値するかな? と、その都度自分の頭で判断するように。――天然ではなく、訓練を積んだ鷹揚って感じだったな。ぼくなんかはまだ、早口でいけない」
「いえ……」
帰ってきたゾナにモフつかれる先生を眺めやりながら、衣類は体毛を含むと哲学していたら、喉に何か冷たいものが触れた。僕は大音声で飛び上がった。
「あんたって意外とリアクションでかいよね」
「な、なに、なに……!?」
「のどぼとけ~♪」
立って歩いて花の名前をお勉強して、見晴らしのいい景色を眺めて忘れる。