第二章 カレタ島の冒険 002 皮裏陽秋(仮)
放っておくべきだ。
好奇心だけで行動できる、作者に優しいキャラクターを、僕は今でも皮裏で陽秋する。
それでも通りすぎるつもりだった。
ホームレスが見当たらないこちらの方がおかしいのだから。
いいところで倒れたな。
今に看護師さんが駆けつけてくれるさ。
「ねえ、この人さっきの人じゃない……!?」
人は様々な欲求の寄せ集めから成る円グラフで行動する生き物だ。
ぐいーん。女の子とお喋りできるのならなんでもよかった。
ことあるごとに被害者面をしなければ息が止まってしまう男に、真実を教えてやるのも一興だ。
君が不遇だからじゃなくて、地上が地獄だからだよ。
「いやあ、ありがたいよ、ありがとう。今日はコンディションを整えてきたはずだったんだけどね。さっきので、ああ、先程は本当に申し訳なかった、いやいや、それは返さなくていい! どうか、その、とりあえず今はまだ持っていてくれないか。違う、カウンセリング料だ。そうだ、俺は今、僕、今の、私には……、話を聴いてもらえることの方がありがたい」
目的地には程遠い、別の塔の待合室で、僕は妬んだ過去を綺麗に忘れて納得する。
そういえばこの、ベリサリオン・イイポズドオちゃんは、霊感が強い――どころではなかった。
大きな猫が見えるのだそうだ。ひとつになったり分裂したり、雲のように揺れ動いて――、彼、ニクラデリヒ・プリ=マドンナ氏の背後に。
それは、自然科学のスペシャリストに相談しても意味が無いことである。
「利き腕……ですか」
「そうだ。だから私は純粋にこっぴどく責められた。いや、その……」
「いえ、事情はわかりました。それで、今日もこちらへ足を運ばれたと」
「ああ、人間として当たり前のことをするために。しかしそれが重い。頭では解っていても、情けない話、心がもう言うことを聴かない。利き腕が生えるまで説教をし続ける、文句があるなら愛しい娘の利き腕を返せ。利き腕が生えてこないのは謝罪に誠意を込めていないからだ。――こう、言われ続けるんだからね?
私は熱射病になるのを待っていた。いや、謝罪に行かなければ行かないで、人間として腐っていると手紙が来るんだよ。電話も、弁護士も」
あんなにも敵視していた、スポーティなリア充たちも、こうして会社の歯車に組み込まれ、太らざるを得なくなるようなストレスにさらされながら、笑顔を絞り出させられるようになるのだと思うと、胸が悪くなって、心が淋しくなった。
男子が好きだったのならごめん。
「私は猫が好きなんだ。だから運転免許を取ったときに、あることを覚悟した。初めは普通のドライバーの神経が理解できなかったよ。そんな常識は信じられなかったし、信じたくもなかった。両親にとつとつと諭されても。何度ネットで検索しても」
「――『犬猫はまっすぐ轢け』、というやつですね?」
「……そう。それだ。もし犬猫を守るためにハンドルを切って、対向車線へ、児童の列へ、高速で飛び込んだら人が死ぬ。大勢の、人が死ぬ。この手で、殺すことになる。でもそんなことはそうそう起こらないだろう、心配ごとの九割は杞憂に終わるとも本で読んだし。そうして二、三年は平和に過ぎた」
そしてついに猫が出た――。
ニクラデリヒ氏は話を続けるために鼻をかんだ。
涙は零れないようにハンカチで消した。
「はっ、鼻歌を歌いながら轢けると思うか……!? い、いや、の、『乗った』。タイヤが靴底になった感触が、今も左脚にねばついて離れない……!
そこで何かが壊れたのかもしれない。安堵してもいけなかったのなら、初めから猫を好きであることが罪だったんだ。私はそのまま子どもを撥ねた。ひとおもいに楽にしてやろうと、一瞬目を閉じたそのスピードで」
渇いた足跡がコツコツと、底冷えする院内にこだまする。
「それ以来車道で猫によく出くわすようにもなってね。その都度私は頑張って轢いた。人間様のために害獣共を処分する手伝いをし続けてきた!
でもねー、悪化する一方なんだよ。当然と言えば当然だけどね? 憑かれていると思うんだ。それとも、思うから憑かれているのかな?」
その眸は虚ろで、最早生気を欲してもいなかった。
仕事をするためだけに免許を取ったんじゃないだろうがと、断罪できる空気ではなかった。
コストを無視して考えた場合に、車を嫌いな人間なんかいやしない。
車を使わない仕事もあるなんてこと、こんなクソガキに教えられなくとも既に知っているはずだ。
「それで今度は人間まで引き寄せるようになったと。酷なようですがやはり車を、」
「ん? 人間? いやだから、私は君たちのように、幽霊を見ることはできないんだよ」
『えっ?』