第二章 カレタ島の冒険 002 ベリサリオン・イイポズドオ(仮)
2
うら若き車道の上では、ラズベリーに決めたくなる鮮烈な舌で、やっとピンク色に見えた。白かった。黒いから? 赤い方が相応しいんじゃないのか、おい、空よ。
非実在青少年に勇気をもらっても、任意で背景を征服できない。エキストラのみなさんが、口パクでパントマイムしてくれない。タイヤをかわしたように見えた尻尾はある程度長かったので、トイ・プードルではなさそうだった。
ミルクヘビは猛毒のサンゴヘビに擬態する。だから真意は解らない。すたすたと歩いてきてちょこんとしゃがみこんだのは、髑髏というか、スカルというか、海賊旗を身に纏ったような出で立ちの少女であった。
誰の形見かマフラーには、銀の稲妻トリクレセント。
当然後続車がやってくる。
ブレーキ音が熱気を焼いた。
「~~~っ、たぁ……!」
「おお……っ! ご、ごめん、痛かった……!?」
「う、ええ……? そりゃ、ちょっとは――って!」
前のめりに倒れたので、咄嗟に手を伸ばしたらおなかが掴めた。そしてぐっと引き寄せる。その結果彼女は、『√』を180度回転させたような格好になった。
押し潰さないように左手で踏ん張る。急いで上体を上げる。そこまではよかった。
「どうしてあなたと一緒にいると、毎度々々こういうポーズになるの!」
どうしてって。
「アラサーのロシアンからが女だと、密かに思っているからだけど?」
「失礼すぎるわ! えっ!? いやその理屈はおかしいでしょ、密かにガチのロリコンだから、こうなるんでしょ!? 二重に失礼! いやあたしは幼児体型じゃないけどね!? こらっ!」
うるさいなあ。
「ははあは!? ヒヒヒ! うぶぅっ、うふうふぅふ……、うぅ、にんしんするぅ……っ!」
するか。
「ちょおっと、いい加減手を離し、どこ触っ、あああ! なにをドキドキさせてい……!?」
「だ、大丈夫ですか、おぁっ!」
瞳が縮んで耳まで染まって、苗字で呼んでも怒られる、ベリ氏のつば広帽子が落下。スーツに着られる男の顔を、あらゆる表情がどろどろ泳ぐ。
汗も全種類揃っていた。両目が斜め上に記憶を探る。痙攣の挙動でウォッチを確認。まさかそれで、いや違った。それでも車が悪いとはいえ――、
手が突っ込まれる。拳銃を出すに違いないと身構えなくてもよい安全はここにはなかった。微妙に太っていて病的にやつれているその男は、再び安否を尋ねてくることなく、慇懃に謝罪しながら札束を無理矢理ポケットにねじ込んできて、車へ戻り、猛スピードで走り去った。
『…………』
なんにもわかんない。
ただ暑い。
木陰でも。
ミンミンゼミよ来い。
「二十七、二十八、二十九、三十。すごぉい! 三千Zもある!」
「えっ、三千も? 何買う?」
「んー、貯金」
「真面目だなあ」
どちらからともなく離れた。
スカートをめくってもスルーされたけれど、ズボンで手を拭いたら叱られた。
現在、僕は高校生であるがためにブレザー、ベリサリオンちゃんは中学生であるがためにセーラー服姿である。
ハンカチを汚す方が心苦しいのに。匂いを褒めちぎったら、変態と連呼された。世界一守られる必要がない女なんですけどとは言われなかった。髪を触っても怒られない。思いきって頭ナデにトライ。さっ。
「なに?」
「、なんでも」
地で煉られた溶けないジェラートは、一時間以内に清掃される。
ゾッとした。
「『お父さんが成仏しちゃったから』!?」
「うんそう。なんか隣の人が、超パワーの坊だったみたいでぇー」
「超パワーの坊!?」
別名病院島。
ここ、シンロイペア島にある、リユロープ大学病院へ、いま僕たちは向かっていた。
不景気は反骨精神を刺激しもした。死の恐怖にお尻を叩いてもらえれば、魚でも空を飛べるようになるのだ。年末の大掃除的な要素もあった。お年玉が少なければ、君は何を我慢する? つまりそいつが好景気育ちのゆとり商品だ。戦争が始まれば大根にも歯が立たない。
「いやいや待て待て、それだと理屈おかしいぜ? 親父が身体から抜けたからって、どうして生身のお前が飛行機から落ちるんだ? 関係ないじゃん」
「生身じゃないわよ。寝てたの。寝てた生身」
「ね、寝てた生身ぃ……?」
病院と遊園地。
特に様変わりしたのはこのふたつである。
生きているだけで先人を死に至らしめる新時代人は、虚栄心を満たす必要にかられない。お金は使うものだぜ? ああ、はあ。みたいな。大学の学費まで払ってやりたい本音ってなんですか? 一切遊ぶな、家から通え、週六でバイトすればいい。――そんな彼らが持ち込み禁止のボッタクリ商法を潰したいと願わないわけがなかった。
「だからぁ、人って寝てるときは無防備になるでしょ」
「得体の知れないオッサンの隣で、無防備になっているんじゃない」
「お母さんもいたからいいんですぅ~っ」
計画は水面下で着々と進行していた。コンビニに始まりレストラン、体操クラブ、高級エステ、普通の書店、よく考えたら医療に関係のない施設なんかないよねっ♪ と、最後には学校まで取り込んで、ついに病院は新しい時代に適応することに成功した。
一番可愛かったころの写真で、今日の飯が食えるのか? 大切なのは生活費だ。生きて、食って、生きることだ。それにどの道、粗衣粗食の波は止められなかったし、死亡しない程度に大事故を起こしてくれる暴走の若者を待ち構える仕事なんて、暇すぎて腕がなまる。
「『すり抜けやすい体質』!?」
「量子力学はれっきとした化学よ」
「私立さながら齟齬をきたさないよう、懇切丁寧に伝えていただいても……」
余計に妖怪染みている。
「じゃあ完璧に人間してる人間ってなんなの。どれだけいるの。神と呼ばれてもアウトよ?」
「ううん……、動物から見りゃ人間なんて、全員妖怪かもな」
「その場合は妖怪呼ばわりされても構わないわっ、エッチ!」
嗚呼、これが、ヒロインに近づこうとしたらお父さんでガードされる笑いに、走ってもいい権利を主張できない幸せ。
「起きてたら飛んだんだけどー」
「えっ、お前飛べるの!? すげえ! それはすげえ! 超かっこいい!」
「ふんふふ♪」
鼻は伸びなかったけれど背景は変わった。
人間じゃなかった。
いや、そしたら四散しないで地面に埋まったはずじゃ……ああ、ギリで起きたの? すげえ納得。ちょうどバス停に到着。他に人はいなかった。時刻表を確認して時刻を確認。そして時刻表を再確認。今は何時だっけ?
ベリサリオンちゃんがタブレットでゲームやる。でけえ。
十時四十分まで、あと二十三分もあった。なげえ。
おばあちゃんから昔聞いた、霊や妖怪ではなく、生きた人間が犯人だったあの話をどう切り出そうかと悩む。今のもそうだったのではないかと思ったからだ。彼女にも口止め料を払ったのだろうか? そして何処へ? どちらとも。
ううむ、夏の朝の屋外の、清涼感を纏った暑さを、どうすれば詩的に表現できるのかも謎だ。
どっかに蛇口ないか、蛇口。
「挙動不審!」
「はン?」
「怪しい人になってるよ、じっとしてなさい」
手招きされる。
座ったらケツ痛いのに。
ここでふざけて密着したら、悲しいオチに近づいちゃう。
僕は距離を開けて座った。
近寄ってはこなかった。
……。
帰りたい。
生きる力を熱烈に欲せるモチベーションがあるのなら、生きる力なんかもとより要らない。これはディレンマだった。なんかもう疲れた。ダッシュで逃げたら面白いかどうかだ。
「顔青っ! だいじょうぶ?」
「おっ、あ、あ。お、おお……!」
「え?」
ラジオ番組を意識して、とにかく黙っちゃいけないと絞り出した『リバテープ』の話は失敗した。
卵に何かけ、カレーに何を、質問ばかりだ! カレーはもういい! 芸人のように面白トークができなきゃいかんのに!
ん? 待て、今こそその話か? 猫の当たり屋の、おお、最も適切であるかどうかも他人の助言なしで判断しなきゃいけない――んだな。こ、これでいいはずなのに、踏み出す勇気があれえ、そこも要るの? 別次元? 心境多すぎ? まぢ大変、
「あっついねー」
「あ、ああ……」
今だ行けを十三分間繰り返してバスが来た。
あああ。