第一章 ラムネ狩り 006 唇歯輔車(仮)
自分たちに足りないもの――それは、普通人の感覚だった。
死棋腹中に勝着ありと言うように、凡庸でないこと、人間のレベルに達せないことからは、克己心を抽出できたりする。しかしその点で優位に立てる者は決まって、共感を得ながら共感を与えることには難儀する。というかできない。鬼の子に人間狩りを推奨できる鬼の座席も、世界に限りがあるからだ。
その反対に、普通人には、制止し難い原動力や確固とした信念は手に入り辛かったりする。
『全てに恵まれること』を努力して手に入れようとする時代は、終わったということだ。
だから探した。
研究しようと試みた。
運悪く鬼に産まれて、更に抽選にも溢れ、絶望するのにも飽き、死ぬに死にきれなくて――どうすれば桃太郎様が喜んで下さるだろうかと、必死で真新しい鬼の殺し方を考えた。
「あの子には感謝しているのよ」
これが素であるしい。なるほどな。なんとなく似ていたのはこのためだったのだ。要するに彼女は“おぷてぃみ荘”の中でも猫を被っていたのである。本音でぶつかれば他人を傷つけることになるのが我々の常だから。
「前向きで、明るくて、年中笑顔いっぱいな子には正直助けられる。でもね、」
オプティミスティックなうるりんのメンタルを参考にし、ナチュラリスティックなメイド様の立ち居振る舞いを模倣して誕生したのがあの、人間接待兼精神保全用人格……。
本当は極端に他人行儀なのが落ちつくのだそうだ。僕は安堵の溜息を隠した。めるにゃんと呼ばなくて本当によかった。
乾燥園芸用土君というのは極端すぎる気もするが。
「やっぱり嫉妬しちゃうじゃない。ときどきはね? ずっとべったりはできないわ」
「とてもよくわかります」
僕は激しく同意した。
嘘偽りない本心だった。
「でも貴方とじゃあ、同族療法を施し合える代わりに、唇歯輔車の間柄にはなられない。私にないものは貴方にもないから」
唇歯輔車の間柄……。
補い合うよりかっこいい。
「マイナスにマイナスをかければプラスになるけれど、マイナスを積み重ねてもマイナスにしかならないの。初めからプラスだったらなんにも困らないのにね? むかつく。激むかつく」
それもすごくわかりますと言うつもりだったのに、言葉にされると反論が閃いた。
「ないものねだりってのはどこにでもあるんじゃないですか? 無償にマイナス味が食べたくなったりすると思います。桃太郎も」
「桃太郎www」
「お化け屋敷とかそうじゃないですか。ホラー映画、恐怖動画、心霊写真……人気ですよね?」
「そりゃあねえ……」
「人は『死』にも惹かれるって聞いたことがあります。お金儲けの方法とか、モテる方法とか、そういうのも当然知りたいですけど、なんか、無意識で」
「ああ、だから逆再生、逆再生、言ってるのね。つまりあれは人を殺すためじゃなくって、お金儲けをするために産まれたものだった……はぁん? あ、じゃあゲームもそうよね。負けても笑える豪放磊落な野心家の裏に、人の死で笑いたい下賤な女衒がびっしりついていた……」
ライさんは服の上から、にむゅっと自分のおなかをつまんだ。
「桃太郎が生まれた桃も、お尻、つまり女性器の隠喩らしいですよ」
「女性器とか言うなww そういえばやらしい手つきだった。ファーストブラジルも……、ぶつぶつ……、やだ今私男子と普通にお喋りしてる……!? 恥ずかしい……!」
まあ、どれが演技なのかばれてしまったら意味がないわけで。
結局お金儲けの話になるのか。
「ふ、ふふ……、ビンボウ……! ふふふ……!」
僕はスマホに加筆した。タイトルは『サブリミナル太郎』。総集編っぽくしたくはなかったけれど、妙なアレンジは蛇足になった。しかし――別人格になりきっている間は不幸にならずに済むのなら……。
死者が下界を羨む構図だ。
「見栄えがせんでも、本人が本気で悲しいって感じるこというんは沢山あるよ?」
さっきのは木陰人格と名付けよう。
「自分で言うんもアレやけどな」
「わかりますよ」
「たとえば拷問とか。箪笥に小指をぶつけるんもこの一種やな。とにかく世間っちゅうんは、本人が本気で悲しいかつ、見ごたえ・聴きごたえのあるもんでないと、『不幸』とは認めたがらんもんやねん。せやけど――たとえば腕。ひと思いに付け根から斬り落とされるのと、毎日々々1ミリずつそぎ落とされ続けるのと、どっちが痛いか。苦しいか。更に心の話ともなると、目に見えへんから絶対に、物理的損失の方が苦しいだろうがと他人は決めつけてくる。『我が子と死別したわけでもないくせに!』。せやけど――」
冬には午後四時に日没することを、毎夏々々信じられない。逆も然り。いやまだ全然四時じゃないけど。
貸し水上バイク屋さんが戻ってきた。
「あーっ!」
そして感動の再開。
背中へきゃあっとしがみつかれて、女を護ると自然に想える漢の演技をするしかなくなる。
「なンだァその格好はァ!? 特にメガネが駄目だ! メガネはいけねぇ! メガネがブス! メガネでブス! メガネはひとつもこの世に要らねえ、絶滅してもよいっ!」
今回も論点がなんだか変にズレていた。
さておき、市民権を得すぎていると思っていたくらいだが、今時眼鏡嫌いな頭の固い男子もしぶとく生き残っているんだなあ。根絶しないと。
「もったいねぇ、台無しだ! 変装するにしてももうちょっとこう、なフッ!?」
『何かあったの? ジュンくん』
「~~~ッ!? ? !?」
そこには三者三様の女性がいた。
ジュンくんとやらが震える声で、ジャニュ姉、フェビュ姉、マァア姉。
誰が誰なのかは判らないが――三人とも実の姉らしかった。
「これは姉のいない男子全員の分だあっ!」
「ヒンコンッ!?」
左腕で妹をかばいながら握りこぶしを見せつける。肉親の前ではどんな創作ダンスもお上手と評価されてしまうものだ。年上のきょうだいが見ている中、調子に乗ることなど地獄の苦行。その上にこのとき僕は、実姉を三名も持つチャラ首に対する痛憤で、前後不覚に陥っていた。シルバーアクセサリーも薄紫だった。怒りは更に高まった。
「そしてこれが姉のいない俺の分だ、」
「およ?」
すたすたと、
歩いてきて自動ドアが閉まる。
「おお、ちょうどええとこに! やっぱり来たー♪ 今からもう一回泳ごうぜー?」
南国につきものの台風さえ吹き飛ばす南風。血をすする手ぬぐいのような、紅い瞳のホットリップス。激ホワイトなデニムをベースとした、空色の影を纏う夏コーデ。メドウさんがウェストを確かめ直したのを、僕は頼りない背中に感じた。
「いや、ちゃかばえとぉわけでないよ? ドラララムラ先生が来たけん、あの子たちの面倒みるお手伝いせんでもよぉなってな? ほなけん、うん?」
景色ではなく自分が動いているんだと気づいたときには、もう既に両肩を掴んでいた。
「えっ、なになに? どないしたん? あれ? え、誓いのキス? んーっ♪」
「どうやって来た」
「へ? え、どうやってって、普通に、バイク乗って……来たけど……?」
「独りでか」
「う、うん……、え?」
海賊に襲われたらどうするんだと、顔面をぶん殴ってから嘔吐するまで怒鳴り散らしてやるつもりだったけれど、できなかった。『よかった……!』と抱きしめるのも嘘くさい。
それにしても唇が近かった。誓いのキス? 僕はいよいよ馬鹿々々しくなった。
――のだけれども、
無駄に格好つけて鼻で笑ったりたりせずに、このときしておけばよかったのだ。遊び半分で適当に。ふざけてノリで芸人みたいに。ウケをねらってボケたんですとあとから言い訳することにして。姉が見ていようが妹に見られていようがライバルが茫然としていようがガン無視して!
首から耳まで、背骨から太郎まで、何時間でも心ゆくまで貪っておけばよかったのだ!
あんなことになるくらいなら。