第一章 ラムネ狩り 006 ニノムネ(仮)
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レギア・ケインズは眉間に皺を寄せ、真剣に迷っていた。
(アロハ柄のホルターか、オキザリスピンクのフリンジか……)
年齢は未だ自分を改善する努力でいっぱいいっぱいな彼と同じ。中学まではサッカー部に属していて、現在はバスケットボール部でフォワードを務めている。時刻は午前十時四十五分。夏の眩しい日差しを浴びて、クリームの塗られた肌が光っている。
ブラジリアンはいなかった。マイクロビキニもトップレスも。明日は海へ行けということだろう、ケインズは神の心遣いに感謝した。
妹のつきそいで仕方なく来たんだと答える。だから暇なのだと述懐する。勿論嘘である。反撃してくるものまねをすると、アロハ娘は楽しそうに笑った。存外話が続いてしまったので、シングルマザーっぽいラッシュガードの彼女の夫は、お手洗いに行っている設定にした。
何時もポジティブな思考が大事である。ケインズは守備範囲が広かった。いやむしろ外野の方が得意だ。女体も謙遜を覚える三十五からがいい。
自信に満ち溢れたタイプは駄目だ。とレギア・ケインズは断言する。見た目で選ぶなんて以ての外。受け身が大好きな男子は永遠に、モテたいモテたいと尻にねだってろ。俺は一生モテなくても、好きな時に好きなだけ、好きな女子と遊べりゃそれでいい。
――そう、『受け身』。受け身気質の女子を見極める眼。これが大事なのだ。そして必須。世間体を考慮するならば、『痩せたらかわいくなる子』まで見抜くことができればなお良し。ダイエットに協力する姿勢にまで、能動主義者は嫉妬できない。
ストップ・ロスをこんなところでオーダーするのは彼くらいのものだろう。まあ今や芸能界に置いてさえ金卵を探し求める努力は因習と化しているのだから、そこまで大袈裟に言うことではないのかもしれないけれど。
近所のスーパーで、大型ショッピングモールで、芸能人顔負けの美少女や美人店員さんを、それも沢山見かけたことはないだろうか? つまりは向こうの方がコネなのだ。巷で噂のゴリラの法則とやらを使用した結果なのかもしれないが。
妊娠しているわけでもないのに、彼女は居るのかと訊いてきた。
まるきり素人だと判った。
この場合は断然、居ると答えるのが吉である。なぜかというに、そうすれば、その彼女のことなんだけれど、どうも最近、男友達とそれ以上の付き合いをしている様子で実は悩んでいる――と、撒き餌ができるからだ。ああだからこの対話も自然なんだな、と、繋げさせることができる。
なんの躊躇いもなく見知らぬ女子へ話かけられる男に、彼女がちょうど今いない――どれだけ嘘が下手なのだろう、モテる気がないにも程がある。卒業するために欲しいんだという本音が丸見えな学生に暑苦しくガッつかれて、嬉しがる女などいるわけがなかろうに。
それは略奪の悦びを略奪するという大罪だ。活躍の場を与えるから支持されるんだろ? あらかじめクリアされているRPGを購入したくはならないはずなのに、男共はなぜ……?
対照的に、闊達であるがゆえにここへ遊びに来るような女子には、ケインズはまた別の説明をするようにしている。男は浮気してナンボだという矜持を持っている。向こうにも普通に彼氏がいる。そろそろ別れるところだ。等。居ないことを隠して。
居たことはある。解説するまでもないとは思うが、続かないのだ。うん。こんなことばかりしているから。それでも好きならどうぞお好きに――で、放置している子が何人かいたような気がしたけれど、今はそれどころではなかった。
ケインズは束縛されることが何よりも嫌いだった。どうして誘われるままにふらふらと、初めて入ったコンビニだけに、死ぬまで通い続けなければならないのか、それが理解できなかった。彼は同時に、新しい物好きでもあったのだ。子孫を繁栄するわけでもない、どころか、口づけだって交わさないし、無暗に頭を撫でもしない。彼はただ、もっと女子とお喋りがしたかった。
――この辺りに、現代っ子らしさが出ていると言えよう。車が好きでも飛ばさない。食事が好きでも運動できる。動物が好きでも王国を建設しない。
「ああーっ! またナンパしてる!」
アロハちゃんがさあっと、かき氷のように冷た・青くなる。ケインズは怒りで咲いた笑顔に引きずられながら目配せした。連絡が入ればそうだと答える。それで終わりだ。
紺青なる五十メートルプールの中で、シャンファ・フロックスが慨嘆する。
「ええーっ、なんで!? あんたのは確実に違うけど、あたしのは絶対にラムネです!」
「いやいやいや、それ、よく見てみ? ほら、ここんとこ、微妙に隙間開いてるだろ?」
「んん? なにが? どこ……?」
シャンファが目を近づけると、ケインズの手がすかさず腰へまわった。
「うわーっ、マジだ! 『ラムネ』じゃなくて、『ニノムネ』になってる! なにこれwww」
「『ニノムネ』だな。だからハズレだ」
「『ラム神』を拾ってきたやつが何を偉そうに! それにそれ滑ってるから! ばーかww」
職員のお姉さんが残り時間を告げる。シャンファは浮かぶニノムネをそっと放流して、沈められている奴らの中から探すため、息を吸った。ケインズが呼びとめる。セクシーポーズを要求されたシャンファは、おどけるように胸を隠した。腋に目がいく。2テイク目はウインク。星が飛ぶ。ケインズは言った。女子は褒めなければならないのだ。
「その水着、すっげーカエルっぽいよっ」
足の指で目一杯つねられた。
(痛い痛い痛い痛い!?)
「あっ、ごめんなさーい!」
背中にドンと来て、
「いえいえ、大丈夫ですよ」
「きゃはは、あ、すみませーん!」
隣を活き活きと泳ぎ抜ける美少女たち……。いえいえ。いえいえ。これは錦鯉愛好家にとっての愛錦鯉……、否! これは新時代の、ツイスターゲームとやらである!
――水を吸った暗黒の御髪は、見た目も質感もまるでナマズのようだとは言うまい。
ちなみに怪我等は自己責任なので問題ない。とはいえ露天風呂に生息するワニさんもさすがに手を出したら捕まるので、そこは常識で判断して。温かい肌に恍惚としていたらウオオ! ――男だったりもするけれど。それでも! いいええ、いいんですよ、いいんです!
「ぷふーっ! はぁっ、はあっ!」
シャンファ嬢が出てきた。アザラシみたいに首を回して、ケインズを見つけてから、
「獲った! これは完璧! どやー。これ。ふふん♪ ラムネでしょ? あたしの勝ちー♪」
ぴょこぴょことせわしないやつだ。まぢキメポーズ多すぎ。ん?
「いや、これも駄目だよ」
「はァ!? なんでよ!?」
「ほら、今度はこっち」
ケインズはあくまで逮捕されないために、ここで発散した。
無反応。
でもぐっとブラジルにしたら爪を肉へ挿入された、血ぃ出る!
「こ、ここ違うじゃん!」
「うん……? なにこれ、ああ、漢字? 『不』? 『ラム不』……意味わかんない。あんたのは?」
「『ルム肉』。あと、『フムネ』」
「今取るな! 『ルム肉』!? 『フムネ』www というか絶対『ラムネ』ないでしょ! ここ!」
『ラム王』、『ラムヌ』、『ニッキ水』、『ポン酢』……。
タイムアップを知らせるアナウンスが流れる。
「今回の優勝者は~~~、でけでけでけでけ~~~、『ニノムネ』をゲットしたあなたです!」
カレーに醤油をかけたところでやっと、シャンファは持ち前の明るい突っ込みを取り戻した。
「いや塩辛に塩はふらねえよ」
塩辛自体食ったことないけど。
「だってそれ辛いじゃん! 辛い+辛いじゃん! 変! キモい!」
「福神漬けの方が体に悪いぞ。赤色102号とか入ってるし」
「今そういう話はしてませ~ん、ちょっとだけならいいんですぅ~っ」
「じゃあ何かけんだよ」
「何もかけないわよばか」
けんもほろろににべもない。
ケインズは当てこすりで二、三滴追加した。
おいしそう。
「んん~っ! あたしのが一番おいしい♪ ひとくちいる?」
別に要らなかったけれど、つこうど声を聞かせたい気分ではなかったので、口を開けたら、スプーン一杯分、皿の上にベッと来た。
お前……、そんな、犬の餌じゃないんだから……。
(そういえばこいつはポテトチップスも手掴みで食べる、野性味あふれる女だった)
「あのさ、サドマゾの話なんだけどさ」
「唐突になんだ、一体」
「いや辛いのと甘いので思いついたのー、聴いてよ」
「お前Mだもんな」
「ハァ? 違いますぅ~、そっちこそMじゃん」
「ああ、俺はMだよ?」
「だからさあー」
自称ドSは目隠しして手錠して倉庫に放置。その他も目隠しして手錠して納屋に軟禁。それが一番ぞくぞくすると答えたら、殺人だけはしないでねと真顔で諭された。
「大丈夫だよお前には、チャイナドレスを着せたいとしか思ったことがないから」
「やだえろーい」
そして肉汁のたっぷり詰まった、あっつあつの小龍包を、おあずけしておねだりさせたい。
シャンファは人前なのでお行儀がよかった。そのためケインズの方が先に食べ終わった。将来はそれっぽいカメラを買おう。スマホはどうも、珍獣扱いしている風に受け取られがちなので構えにくい。もとい女子の機嫌を取りにくい。もとい。
シャンファの表情が綺麗に喜怒哀楽をなぞった。食べ終わって満腹、おいしかったごちそうさま、締めにアイスでも食べようかなの喜だろうとケインズは推測した。あ。なんか近づいてきた。不敵な笑みである。詐欺師の常套手段だ。いや、ハニートラップはまた違うやつだよ。
くすねた財布を見せびらかしながら、今時あえてお色気たっぷりの女スパイごっこは、海の家の外へ出た。ひょいっと右折して視界から消える。
このわずか二分後、レギア・ケインズは後悔することとなる。
今自分たちがどこへ来ているのか、それが本当の意味で解っていれば、目と鼻の先だと気を抜いていないで、やめさせるなりついて行くなり、なんらかの対策は打てたはずだったのに。
食器を片すべきかどうかなぞに、うつつを抜かしてはいないで。