第一章 ラムネ狩り 005 男の価値は(仮)
「いいですけど、でもどうやって」
「まずは好きな単語を書き出すことやな。なんでもバズセションが基本やねん。この時代、わけわかんねー! おっ、このフレーズいいかも。そうやな、初めは毒でええ。文句でええねん。憤懣をぶちまけて寝かせたら、誰でも恥ずかしくなって、マイルドにしたくなる。あとは――サブリミナルエロスを入れること」
「サブリミナルエロス!?」
「そうや? イヤホンでよぉに聴いたらくちゃくちゃくちゅくちゅリップ音入ってるやろ? あれ、わざとやねん。そうした方が売れるから。そいで、その歌詞版。『発車したい』はOK。『一万光年』もセーフ。でも『ロックフェラーしたい』はアウト。わかる? この絶妙さ」
ロックフェラー……。
果たして自分は主人公なのか、それとも歯車の一部なのか、僕はそんな問いはどうでもいいと思えるような答えが欲しかった。『エロゲーの中じゃないんだから』……。
男の主役に、かわいい女性が興味または好意を持って話しかけてきてくれる――ここまでは良しとしよう。人間の半分は女という慰めの言葉もある。単なるお話くらいなら、ギリで誰でもするだろうし。しかしだ、女の子が主役である場合にも、万能系イケメンと脳筋バカと一途なヤンキーに続々と言い寄られるのだ。
それぞれを単体で見ればまだ、まるで平均以下の僕そっくりだと、すんなり感情移入できた。けれども、このふたつの事実を組み合わせると途端に、見えない壁に敬遠の感情が芽生えるのは自分だけだろうか。
「あとひとつあんねん、うちらに足りん要素が」
僕は有名な漫画をいくつか思い出していた。
「せやからお弁当食べたら一緒に行こ? ちょっとお出かけ。練習? いやこれはひとりでは絶対にできひんことやねん。それにきみのそのー、気力回復? にも効果あると思うし。ああ、私が御褒美とかそういう意味やないで? あっ、待って! バァーミ君って実はオタク嫌いの体育会系? うぜーなこの眼鏡デブって思ってる? そしたら……」
「キモイなこの肉骸骨とか思ってません?」
「肉骸骨www そらほんまもんの骸骨に比べたらだいぶん肉付きええもんな? あはは」
ソースカツとキャベツ、ポテトサラダとレタス、ソーセージと炒り卵。
内側にはちゃんとマーガリンが塗られていた。バター? マヨネーズ?
激うまい。
嘘だろ!?
マジか!?
僕は二重の意味で驚いていた。
なんで!? え? どういう理屈? 服が伸びちゃう?
膨らみ始めた初恋の女の子が、あれは意図して当てていたのだろうか?
教室の中だったけれど、何のために並んでいたのかは忘れた。
「うひぃ、こわい……!」
怖いって一体何が!? え? まさかあれが? それとも他に? 爪というか指が食い込む、痛い、痛い。いやでもあれだよな? ええ? 下心が思い出したようにときめいた。抱きすくめ、よしよし大丈夫だよと撫でてあげなければならない状況がついに訪れた!
(なんだ、それが八色目なのか!?)
衣服の乱れを直す。追いつけなかった。男の価値はというサブタイトル。箒を片手に掃除中の大家さんがあらあんたあの子になんかしたの、と下賤な微笑で月下氷人を率先躬行してくれることはなく、おぷてぃみ荘の裏庭へ直行するメドウさんに続いた。
檻の中に何かいる。後ろ姿は仕返しを期待しているにゃんとおねだりしているようにも見えた。僕は走り方を知らなかった。深吸呼は間違っていると断言できるはずなのに。
「ふぅーっ、よかったぁ、せぇふ」
メドウさんが安堵の表情で、汗のない額を拭う。
「どっ、どういう、こと、なんです……?」
汗だくだった。
自分ルールでは南中していた。
八月である。
風をくれ。
「あれが、その、ギャンダービル? なんですか? というか」
「ガチョウ。唯一の生き残り」
金網越しにこちらを見下げる青く澄んだ瞳からは、言い知れぬ重圧感が放たれている。
自室で身支度を整えながら、僕は冷や汗をかいていた。
もう少しで抱っこするところだった。
好きだと思い込んでいたから。
(リアル猫は駄目なのか……)
でも案外みんなそうなのかもしれない。
抱っこしたかった。
僕はあの黒い子を。
「ううん、起こすのも悪いしなあ」
「え? 昨日行ってんやろ?」
メドウさんは昨日うちを置いて行ったくせにと、過剰な自意識に幻聴させて、さっさか階段を下りていった。僕の頭が輪廻する。それでも僕は起こす男だ!
ドアノブに手をかけたところで止まる。ミンミンゼミのいない島に、秒針がチコチコゼミを産む。嫌いなものなんか、作らなければ永遠に食べなくてもいいのに。
デザートは食前・食中・食後に!
――これだけはスイーツと呼ぶようにはならないんだな。
チコチコゼミがああもう煩い、ええい!
「おお、めっくんやん、うるりん感激♪」
下乳がもうすごいヤベェけどギリせぇふ?
タオルケットを怠惰でまくって、
「こんなにも早ぉに、夜這いしにきてくれるやなんて……♪」
「いえ、もうお昼です」
無防備型完全防備系。
これは防御占いの結論その一にできそうだ。
いや、ラムネ狩りて。
耳の先までドクドクと爛れてゆく――
現世では肉体が性欲の次に邪魔だった。
イメトレだけではこうならざるを得ないということか。
タレントはあんなにも活き活きとおどけているのに……!
「今時の若けェ男にしちゃあたいしたもんだ!」
黒々と日に焼けた本業は漁師のおっちゃんに、ばんばん背中を叩かれる。
聞こえますって、全然違う!
地の文弁慶な僕は下唇を噛んで目をきつく閉じた。
生き残っていたのだ!
同音異義語の陰に隠れて、こんなにも白昼堂々と!
「でもこれじゃぜってェバレるぜ? 度胸がいいのは認めるけどよっ、ちょっと近いなっ?」
あああ、耳元で囁くな!
鼻の穴に蓋ができるマナティーになりたいっ!
「今時の女の子は力が強えェから、刺されて海に浮かんだりしねェようにな? がはは!」
「はっ、ハッ、はっ……、はイ……!」
シャチに追われるアザラシを見て、かわいそうと腹を立てるアシカに、執拗に追い回されるペンギンの気持ちがよくわかった。
どろどろと口移しされる魚がありありと。
「めっくーん! はよ、はよ」
めっくん……。
いよいよアレをやるときがきた。
緊張で喉が渇く。
え? 待って、そっち系? 僕がこっちにこうする系?
まあしたことなくはないが昨日が初めてだったわけで、充分に歯は磨いてきていたのだけれど手が勝手に口の中を吐息を爽やかミント味にする、『クーレット』をかしゃかしゃ振っていた。
絵面がヤバかろうが知るか貪る。フーッ、フゥーッ、いっこちょうだいと言われた。ああああ、指先に振れた掌の裏側がぷに冷たかわいい!
「あの子激しかったやろ?」
「プ、プロとは知りませんでした」
僕はおそるおそるまたがった。
ぎゅっと握ると、ギッと沈んで、だぽっと揺れた。
「ゆ、ゆっくり行きますよ……? かっこ悪いですけど!」
「はいはーい」
「では、行きますよ、はぁっ、はぁ……っ、行く。行きます……! ふうっ……、く!」
「ちょw めっくんてなんか喋りエロいなww」
とろとろとレンタル水上バイクが走り出し、しがみつかれて蘇る。
パンパンに膨らんでいやがる、オレンジのライフジャケットに殺意が。