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第一章 ラムネ狩り 005 メドウユウラ・メルヴェイユ(仮)


        5



(おかしい……!)


「で、ちゅーしたの?」


 写真と異常に相性の悪い、お腹を空かせたメドウセージヘアは(あおぐろ)く、あえて着ない時期を越えたメイド服は(すずり)色。マスク美人には皮肉のニュアンスが込められているからなのか、メイド様はソファで仰向けになって両目を覆い、新しいモンスターになった。つやぼくろ。

 子どもたちがわらわら群がる。


「した方がよかったんですかね……?」


「いや、タイミングよ、あとムード。手とか腕とかちょんちょんって触って、ボディタッチ? で、ヘラヘラしてたらウオーッ! て行っていいから。ぎゅーっ! ぶちゅ、ぶちゅ」


 ころころして、水拭き。

 中の下って感じだと思う。

 整頓とか、現実逃避のための貴重な作業だし。

 ゴミなんて、臭いじゃないか。

 人間の体に生まれて何より嫌なのは汗をかくことだ。

 シリコンドールになられないのなら、猿の笑顔に総毛立たない本音が欲しい。


 八月四日、月曜日。

 午前六時。

 場所は居間。

 疲れなかったからこそ帰宅してすぐには眠らなかった彼女は未だ夢の中。


 出たか出なかったかで言えばちょっと出た。しかし一位には敵わないのだ。それならどうせまたすぐに失うことになるこんな些細な元気など、お返しを忘れたら村八分される、プレゼント・ハラスメントくらい要らなかった。


 後先考えずに不幸の方が好きだと断言したい気分になる。失うことしか残されていない頂上よりも、得ることだけを考え続ける蟻地獄の方がかっこいい。

 自由なんか今までに一度も欲しいと思ったことがない。


 据え膳を食いたいとか宣っておきながら、グイグイ来られると息が詰まるらしい。当たり前か。バレンタインに義理チョコさえもらえなくても不幸にならなかったのはこのためだろう。僕はモテ期を浪費することの方が怖かった。加齢によってメタボらなかったイケメン俳優がいないわけでもあるまいに。


 バケツに水を溜めておくのはいいけれど、二度目に汚水で汚雑巾をすすぐ清掃方法が許容できない。

 僕は洗面所へ向かった。


(いやしかし、一本も見つからないということはつまり、みんなも僕と同様に……!?)


 そのときである。壁に両手を添えながら、とんとんとメドウさんが下りてきたのは。

 質問をされる。

 僕は激しく憤った。





 合ってるよな?

 合ってるはずだ、これで。

 新時代の鞭の到来を心の臓が告げていた。


 怒りのツボが人によって違うことも、僕の判断力を鈍らせた。どこだ? 彼女はどこで怒る? チラッ。どのポイントでメドウさんは、ごくりッ、僕を人間として軽蔑する? ヤベェ、慣れられねえよ、こんな刺激……! 嗚呼、ゲームには時間制限がなくていいっ!


「ディ……、ディオ、ギラリ……?」


「うー、ワンワットー!」


「ワン……ワット……!?」


 僕は膝から崩れるようにして、脱ぎ捨てられた女子の衣類にできる限り近づいた。


「いやぁ、気が合うなあ、実は私の推しにゃんもディオギラリやねん」


「正解!?」


 凝視しても暗雲が垂れ込めてくる気配はなかった。そりゃそうか、『暑いやん』とか『家の中や』とか言って、こんな服装のままうろついておきながら、自室へ連れ込んでおきながら、見るなと激怒するのは生物としておかしい。そこにこそ生きる気力がない。


「ほんでな? 見て、見て、これ。こないだ来た子。かっわいいやろ?」


「あ。はい。かわいいですね。え、でも、《みかみなりねこ》って三きょうだいじゃありませんでした?」


「ふふん、せやからな? それが伏線やねん」


 コレクションを並べている間に隙間を探す。前から三番目が一番控え目でありながらも将来有望で、防御力も高かった。初めからずっと彼女をだけを愛していた錯覚にさえ陥った。


「金の稲妻ワンワット、青の稲妻ツゥペアと来たら、緑の稲妻スリーボルトとかが()ぉへんとおかしいやろ? 『ディオギラリ』ってなんやねん、唐突すぎるわwww 緑の稲妻、ディオギラリ!」


 要所要所に施された緑の稲妻が、変なポーズに連動してキラキラ。


「あっ、じゃあこの子がスリーボルトなんですね?」


「ブー。この子はぁ、赤の稲妻、ラブラグドール! っていうかほれ、超モフモフやん。ラグドール。気付かなあかんやん。な?」


「すみません」


「せやからディオギラリはワンワット、ツゥペアと血のつながりはなかった。でもきょうだい。そういうメッセージが《みかみなりねこ》には込められてたんやねー?」


 さっと袖を通したシャツにも猫。

 スカートをのろのろベルトでとめて、レースレイヤード三角黒ビキニが完全に見えなくなる。





 河原へ移動しても、僕はまだあの話題を切り出せずにいた。


「そのぶん座席争いが激しいじゃないですか。才能も努力も学歴もコネクションも普通以上に通用しない。そのー、売れたとしても、先輩が運よく引退するまでは下っ端扱いされ続けるといいますか」


「そんなん知らんわ。私も歌ネタやりたい」


「まあまあ」


 メドウさんががっくりと肩を落とす。

 全体的に、ビターな方をサンドしてみたミントチョコ。

 僕は少しだけ傷ついた。私もその程度だと苦笑いで告白される直前に。


「せやんなあ、不幸すぎる人って、明るく生きなきゃ損、損、みたいな感じで、ふっきれてるもんなあ。ほなそういうタイプにインタビューせなあかんかったってこと? できんわ。いや、バァーミ君が正直に話してない可能性もまだ残っている、ちら?」


「いえ、ほんとに僕は、学歴社会に負けただけです……」


 言葉にすればなんと陳腐に聞こえることだろう。

 学歴社会に負けた……私が被害者でーす、愛してよォ! とでも言わんばかりの響きである。どれだけ自分がかわいいんだ。


 こんなにも暖かい日差しを浴びて、完全に忘れた、完璧に切り替えられた、生まれ変わった――とまでは言えないにせよ、あのころのマイナス思考を取り戻すことは不可能だった。


 でもまあしかし、ひとつ謎が解けた。勇気を出して余計なことを問いたださなくて本当によかった。彼女はそのために僕を選んだのだ。

 僕は青く濁った川を眺めた。

 熱くなった小石は、触っても汚く感じなかった。


「でも不幸の話なんか聞いてどうするんです?」


「し」


「し?」


「そう、私、詞ぃ書いてんねん。歌詞。『不幸は金になる、幸せは金を(くら)う』『これ以上不幸になりたくなければ、積極的に不幸を探し求めなければならない』……。

 恋愛結婚で彼と激ラヴハッピーになりました♪ 私だけ玉の輿に乗れちゃった、愚民のあなたたちはかわいそう♪ ――こんな歌が売れると思う? 売れるわけがない。売れるんは大抵、失恋ソングや。叶わぬ恋や。切ない失敗と未到達の夢と取り戻したい青春と嫉妬しちゃう駄目な私や!

 ――そうやから、想像もつかんような不幸話がほしかった。ガーンとショックを受けたかった」


 童心に帰らなければ虹玉模様のハンミョウには追いつけない。ハグロトンボがカエデの種のようにはらはらと舞う。ウグイスの声が聞こえる。さあさあと陽に揺れる新緑の雑木林。絵画のような岩に松。間違えたホチキスの芯のように、そこかしこに突き刺さる朱い鳥居……。


 朽ちた大木の下には小さな池ができていて、青く火照ったアカハライモリがゴツゴツと揺らいでいた。生身の人間にはわりとたくさんほくろ美人さんがいた。左うるりに右メドウと覚えよう。内緒で。


 鼻歌で作曲できるアプリまであるのだそうだ。夏休みの自由研究で小学生が短編アニメを製作する此の程である。ゆとりと揶揄され続けても致し方ないと、なろう世代の異端児は、諦めに諦めた。


 しかしこれは新たなるブラック時代の幕開けに過ぎない――という見方もできる。誰もが“想うだけ”で血湧き肉躍るバトル映像を量産できるようになった今、そういった“表面を彩るスキル単体”の価値及び価格は、急激に下落しているはずなのだ。


 イニシャルコストという名のハードルが消える――これは、中流の役得で根性を発揮できた、此見よ顔の自称努力家を、何重にも苦しめるに違いない。『若い頃のあの葛藤は、挫折と達成とガチ挫折は、一体なんだったのか――結局モブだったんだよ、時間返せ』――と。


 縄文人の住まう村落に降臨した天才外科医は神になられた。騙し騙しマニュアルを独占していられた間は。民衆は次第に、医療行為ではなく医学そのものを欲するようになった。口々に平等が叫ばれた。神は威厳を失うどころか、悪魔と罵倒されて殺された。


 ナントカカントカ養成学校は、愛しの受験戦争に先立たれた予備校よろしく倒産し、批判を全部裏返しちゃう、停滞上手な売れっ子気取りは、同類同士の熾烈な生存競争に巻き込まれるだろう。しかし、死にもの狂いでそこを勝ち上がってやっと、コンピューターパワーで易々と天才を越えた新時代人と肩を並べることになるのだ。それでは平均寿命が五十八歳にまで下落した現代を、まるで生き抜いてゆけない。


 現に馬車は自動車に取って代わられたし、原稿用紙は文章作成ソフトに取って代わられた。知っている漢字を全部書けるようになるまでにかかる、青年期の貴重な数年間を省いて、もっと奥の努力に初めから専念できる時代は、とうの昔に訪れていたのである。


 避けられない人付き合い。事務的・機械的な編集作業。作品が本当に完全オリジナルであるかどうかを見極めるための、無理難題にもほどがある、全ての過去作の時間外(サービス)残業(インプット)。そして、『一心不乱に美食家であり続ける態度』……。


 更に遡れば、ガチで命をかけて事件に首を突っ込み、マジの血まみれでネタを蒐集していた時代もあったらしい。俳優さえも人間扱いされなかった大昔のことである。しかしそこは同時に、男が雄々しく輝ける戦場でもあった。そこには、生き残りをかけて野生の大猪と真剣勝負できる歓びがあった。罪悪を微塵も感じることなく正義一色で生きられる、個人では太刀打ちできない蛮野があった! 百年に一度の金の卵を、自らの手で発見できる希望があったのだ!!


 やがて文明は進歩して、人は作物を、野生動物を、天にも運にも神にも頼らず、激安定して激安全に手に入れられるようになった。農耕・畜産・酪農・養蚕等の誕生である。


 初めはまだ、ニホンオオカミやフクロオオカミを絶滅させる的な、善なる仕事が残っていた。ついに全大陸が征服された。人は宇宙にまで飛び出した。ハンターは知性(スワイン)の前で欷泣(ききゅう)した。おまけにすぎなかったはずの、鹿爪らしい痛苦(いまはなきあいつ)こそが、初恋の相手だったのだと、冷たい機械に解説されて……。


 読書家上がりの小鹿はよかった。本だけは絶滅しないから。好きを仕事にした白鳥も無害だった。初めから悪人を殺害することが生きがいだったから。ゲテモノ屋を開店できる座席を手に入れられた、マムシやヤマアラシも案外と大人しかった。というのも、自分たちが少数派の需要を満たし尽くしているがゆえに、その他の同賊は自分たちを参考に勉励しても、自分たちが死亡しない限り無駄である――などとは、口が裂けても白状できなかったからだ。


 善良な一般市民は物語の神秘性をことごとく失い、外食産業の頽廃まで加速し、ところかまわずポエティックな改築音をどどめかせていた大学とやらは運動公園になった。そして矛先は正社員へ向けられ、角を矯められた牛のように、パネルが電気代だけで黙るようになる。



 真っ暗イオンを(くら)った“玩具”もあっけなく、屈強なアマゾネスの餌食になった!



 人工知能の成長が、宅配業に従事する渋滞を知らないドローンが。いつだって神になりたい小売業者を、1円でも安くつく方を選びたい消費者の眼前へ引きずり降ろしてきた。


 インターネットが、スマートフォンが、電子メールがこんなにも普及した時代では、定期航空路を開発するための情熱を、サンテックスでさえ掴み得ないに違いない。


 誰がなんと言おうとも、人と人との仲を取り持つ仲買業というものは、文明が未開であった過去へ遡れば遡るほど、“AI様”に、“ロボットさん”に、仕事を奪われにくくなるのである。


 何が危険だったのか?

 そんなものは、雑草(クソニート)に知恵をつけることの他にない。


 しかしこれこそ避けられない運命だったのだ。エリートなオーナーは生産をしなくともよいのに、底辺を這いずる能無し野郎は、編集の能力まで研摩しなければならなかったのだから。


 そこには激(やさ)しい逆境(ゆとり)があった。

 耐え抜いてしまった。

 生き延びてしまった。

 気がつくといつの間にか――


「えっ? なんかって」


 eMMC搭載のタブレットPCを受け取る。紙のノートは、どう気をつけてもなくなすから使用しない主義なのだとか。お母さんじゃないのよとか思われていたら嫌だなと考えながらも、

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