第零章 上京 038 修羅場事変
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「や、安いっ! こんなにも立派な大根が、1本なんとたったの116円ですって、奥さん!?」
ガソリンみたいに刻んでくるんだな。
「どうしてこんなにも豊富な品揃えを、個人店で実現できたのかしら!?」
八百屋さんだからじゃねーの?
文字通りに。
「強ちゃん、強ちゃん♪」
腕をべたべた触ってくる。
「強ちゃんってすっごい力持ちだったよねっ?」
言い終わらない内に、今度はキャベツの玉を手に取り始めた。
可憐なお花には目もくれず――
(八百屋でも無いのか……?)
女子の買い物を待ってる間に頭が考え始めたのは、
『アルヴィオーラって誰?』の続きだった。
(アルヴィオーラ=インファンタ?)
(アルヴィオラじゃなくて?)
白の銀髪プラス、藤色に染まり上がるおさげの巻き髪……。
『白堊の大地』と『イタリア語で紫』の合成語に違いはなさそうだが……。
というか朝、普通に一緒に居たし。
予感も何も、100%別人だろう。
いや、他人の空似で間違いないと結論づけたい訳ではなく、『かつ同一人物である可能性』も、勿論考えていて――
(そういえば)
動画を見せてくれた彼女は、不自然なほどに無邪気だった。
そうだよな、あの時はトイレでガタゴトと、階段が出し入れされるような音は、確か一切しなかった。
時間帯的なピークは過ぎたとは言え、真夏の日中なので、特に背筋がぞっとすることはない。
……なんの異能力だ?
「えっ肉も買ってるじゃん」
同じ動画をループする、モニターというかミニテレビというか、ガラケーがスマホになる以前からスーパーの店内にあったタブレットみたいなやつを、ギラリちゃんが凝視していた。
「あ? 買ってるってなんだ?」
「肉ないの? 肉! 肉出せやコラ、肉をよ! あん?」
ガラ悪ぃ……。
ずんずんと奥へ進むと扉があって、その内側は冷房のよく効いた大衆食堂になっていた。
《乱読の成功者》と《袖すり公妨》の、影響下になかったとしても、俺は彼女が道耳さんだと、秒で気づくことはできなかっただろう。
「すみませんお肉類は冷凍で輸送してもらっていて――、こちらで調理してから提供させていただく形をとらせてもらっているので、店頭にはお野菜類しか並べられないんですよぉ、すみません~」
「ふぅん。で、これどうなってんの、値段? やっぱり生産者さんひとりひとりと契約?」
「はい! いえいえ、それはあちらの動画で――、説明、さ、せ――?」
目は合ったけど、この瞬間の俺は、前述したように惚けた面だ。
「えっ、条くん!?」
「あっ……?」
「嬉しいぃぃ~~っ♡ やっと来てくれたんだぁ、連絡つかないから心配してたんだよ!?」
あっ。
「っっっでも今お客さんっ!? 接客っ……、ちょっと待って! ちょっと待っててね!?」
えっ?
「あのですね! こちらは農産物直売所からの直送品! っでございまして、ええと、基本的には全て、奥の定食屋の方でですね? 食材として使用するものなんですが、届いたばかりのストックは、そのまま店頭で販売もさせていただいている、っというわけでございますね!?」
「あ……ああ。そう。で、この人は?」
「直売所巡り系のYoutuberですね~」
もう誰も『上京して始めた飲食店を潰さない方法』なんかには興味がなかった。
でも正直、どう打ち明ける?
意外でもなんでもないかもしれないが、俺、条 強壮太は、世界の大いなる意志とやらを、結構バッチリ感じるタイプだった。
というか木っ端なりに全力で足掻いてみたところで、結局流されてしまったパターンしか経験した記憶がない。
過去にぐらい縛られるだろうよ。
『何もしない』が実質正義だ。
どの道失敗するのなら、当たって砕けるのも悪くないと思った。
「みっ、道耳さん! 実は俺、今、らっ、拉致監禁されてて……!」
「……は?」
「ゆっ、誘拐されてるんだ、東京で!」
「え……? なにが?」
「…………っ!」
いや、まだ終わっていない。そうだ電話を借りよう。実家に電話をかけて、いや、その前に今すぐ警察を呼んで、どこでもいいからこの辺にしがみついていたら――???
――負けた。
告白と一緒で、結局勇気なんかでは、自分の進みたい道に憚る扉の鍵は開けられない。
背後から長い髪が、慈愛を込めて梳られる。
「とっても綺麗な空色ね……。それに、いい眼鏡だわ? 今度お姉さんと一緒に遊ばない?」
「えっ? えぇ? なになになに!?」
駆け引きでもなんでもない。
むしろ条強壮太なんて、カレーにちょっと添えてみたくなったラッキョウみたいなもので――、もともと彼女、ルーガギラリ=ヘルルーガは、『L0女子』ではまったくなかった。
《乱読の成功者》と《袖すり公妨》。
道耳みちみに 女子と、これまで縁が無かったことを、無かったことにされました。
じゃあもうあんた田舎に帰る?
なんて台詞も言ってくれない。
イキってサディストアピールするキャラは、弱そうに見えるからだろうな。
何事もなかったかのように、店内でおばちゃんの手作りハンバーグを注文。待ってる間にお野菜を真剣に吟味する。籠を渡して飲食を済ませ、炎天の再来を感じながら清算も済ませる。
荷物持つ。
「じゃあねー、またねー、今度はちゃんと連絡してよ~? 心配するから!」
「ごめん。いろいろ忙しくて……。こっちも手伝いに来るから、本当」
嘘だった。
「でもマネージャーのヘッドハンティングなんてあるんだね~。さすが東京……」
「雑用だよ、雑用。それに届け出なしに辞職なんて、都会でなくとも現代ならどこにでもありふれてる」
……ううむ、実に意味のない会話。
ギラリちゃんとも親しげに会話しているところを、茫然――と言ってもいいだろう、眺める。
まあ、いろいろと決心が揺らぐのはよくなかったかもな。
暑い。
「シュバレ……」
本当に今年の夏は暑かった。
「シュバレ……、シュラバレ……!」
トークを上手にするには糖分が必要となるわけだが、冬場に学習塾の中で、アイボリーの丸ストーブを暇つぶしに鉛筆で触ると、先端の黒鉛の焦げる臭いがあたりにじんわり漂うものだ。
『?』
情景描写なんか、とてもじゃないができない。
気が付くといきなり、頭がくらくらしていた。
どうしてアルヴィオーラ=インファンタと、ルーガギラリ=ヘルルーガだけしか、こちらの世界では《異能力》を有していないだろうなどと楽観視できたのか?
――防衛のし様なんかなかったとはいえ、痛烈にそれだけが今の俺には悔やまれた。
CGのように肌の青い男がそこに立っている。
ように見える。
誰なんだ?
シュバシュバ、シュバシュバ、ぶつぶつ言った。
青いホーラが背中に見える。ホーラ? なんだった? 炎がオーラだ。
ギラリちゃんと道耳さんの、背中が青白く燃えていた。炎なのか? オーラなのか?
青い男がぎゅにゃぎゅにゃ曲がゃる。
炎の勢いがいきなり上がった!
請け負った広告を印刷して有料化を免れた、今後もますます海洋への侵攻を続けるであろうレジ袋からこぼれた野菜なんか転がるに任せて、俺は灼熱のアスファルトへ卒倒した。
真っ青に燃えさかるカチカチ山で、女同士の闘鶏だか軍鶏だかがガチバトル。
カブトガニの青い血潮が、叩き込まれる互いの拳に飛び散った。
ガリコイツ・カラザ著
—―『ぎゃる×しゅふ!』第1巻・完――