第零章 上京 037 こじまる登場
37
独学で絶品に仕上げた手打ち蕎麦と山菜の天ぷらでも、待ち受けてくれているのだろうか?
飯をたらふく食いたい気分でもないけど。
ひんやりと苔むした急勾配の石段には、エラを張って有毒のマムシに擬態する、嘘みたいに真っ赤なシマヘビの幼蛇や、メタリックエメラルドブルーの尻尾で写真家を魅了するニホントカゲの幼体が、ごく普通にちょろちょろしていた。
エビの食リポで『ぷりっぷり』だけは言うなよと、テレビに映れば必ず注文をつけるのに、自分のことは棚に上げて、『ここ本当に東京!?』と、何度も口にする俺だった。
「はい、もう着いたよー」
もう……とは??
いつまでもすたすたと先に行ってしまう彼女。
何故俺は逃げないのだろうと未だに不思議に思う。
三人称視点というか、夕飯時にぼーっと見たいバラエティ番組なら、何コレだのなんだこれだのと顔面を動かす俺に、更にカメラさんが寄ってくるのかもしれない。
(いや……)
(子どもだけで遊んでいるという訳でも無いのか)
無警戒だろうが、今の時代、触らぬ神に祟りなしだ。
隠れてこそこそ密会しているわけじゃなし、人懐っこいというか、ヤンチャな親のいる家に帰りたくないらしい女の子を、強く拒絶することもできずに道端でだらだら喋り続けていたら、近所の正義おばちゃんから、ガチ説教を俺は食らったことがある。
無駄な親切心だったよ。
何も知らない世間様が言うには、あの不遇な女子中学生は、1秒でも早く帰宅して、普段通りに首を締め上げられた方がよかったらしい。
ケッ。
――光陰は矢の如しだ。
民家? 入って……、いいんだよな?
俺、条 強壮太は、カランカラン、チリンチリンと、入店を内外に知らせる金属音が、鳴りやまないうちに取っ手を掴んだ。
そんなに驚かなくても、なんて発言するのは最早、悪意100%だ。
「あっ、おっ……!? お疲れ様です! おはようございます!?」
「なにこの子、ウケるw」
わからない。
地方でのみ態度がデカくなるタレント様なのかどうかは、東京らしくないという評価に喜悦する、緑にあふれたブロックの内側では判別がつかなかった。
売れても初心を忘れずにいようと決心している良い子で、基本的にサインをしたいタイプだったなら、嫌だよカッペと言われるリスクをヘッジしたいだけの遠慮が翻って悪になる!
――それでも「ええと」しか出て来なかった。
にもかかわらず、にこにこと近寄ってきた!
「ふうん……? 結構かっこいいじゃん♪」
「えっ? あっ、ど……ありっ!」
「?w」
違う、このタイプは慇懃レーダーの感度が鋭敏すぎて、すぐに塩だの他人行儀だのを”無礼”だと受け取るから……、でもこういう様な所で一度でも気を緩めると、絶対にやらかしちゃいけない場面で敬語が抜ける危険性が爆上がりするんだよなあ、怖いなあ。
「セ、センキューっス!」
「ww」
嗚呼……先輩の全員が年下も含めて、こんな風にボディタッチ多めだったらいいのに。
ワイプに抜かれることを意識して、鼻の下は伸ばすまいと、無表情を繕う俺。
――と、
白子沢の奥からギラリと、俺が本気で睨みつけられていた。
えっ怖い。
何事?
つかつかと距離を詰めてきて――、健気に? しかも頬を赤く染めながら?? うつむきがちに俺の腕をぐいぐい引っ張る。
「強ちゃん、確かに私は貴方の告白に、ごめんなさいって返したけど……! それはちょっと、保留って言ったらアレだけど……その、ともかくそういうわけだから、今日も一緒にここまで来たわけじゃない……!?」
藪から棒に、なんの話だ。
「私は絶対にお金持ちのイケメンと結婚するけど、強ちゃんはその、わ、私のことが好きなんでしょ……? だったら? っ、ほかの女の子と仲良くしちゃ、駄目……なんだから?♡」
こっぱずかしくてミュートにしちゃう量産型深夜アニメみたいな、行き過ぎた演技を今すぐにやめろ。
「にこりんも! いい加減、雑食やめた方がいいよ!?」
「そっちこそ! 前から言おうと思ってたけど、男なんて寝かせても育ててもあんまり意味ないから! 早めにガチャ回して見て、次々切り替えてかなきゃ?」
「なんのガチャを回して見るんですかねえ……?」
あっ、なんか蚊帳の外……。
「お金でもないと思いますっ!」
「みんながみんな、自分のブランド持ってる売れっ子タレント様じゃあ無いんですのよ?」
「見てえものは見てえんだっ!」
「だぁめだめっ!」
「なんで!? いいじゃん、断言する! さきゅはあの子とは付き合わないから。結局餌付け成功したあたりで飽きちゃって放流するから。だって好きじゃないんでしょ? んっんっ?」
「だぁからそういうんじゃないでしょうよ、恋愛? ってゆうのゎ。一目惚れ! とかの方が断然バカ! ああゆうすぐに燃え上がるタイプなんてその後一気に冷めるだけ、キャハア!?」
後ろから脇腹こちょこちょ。
お腹とお尻と内ももが、めっちゃめちゃにまさぐられて、艶めかしい抵抗虚しく継続強行。
キャッキャッ。
「…………」
砂糖でもミョウバンでもなんでもいいけど、美しい結晶を作るあの実験でさ?
最初に透明な溶液に垂らす、触媒としての白いヒモってあるじゃんか?
うん。
俺は大体、昔ッからそういうような――、
来店を告げる生の演奏。
一同驚愕ったら一同驚愕。




