第零章 上京 035 ザ★悪魔の証明
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ではどんなことをしている場合なのかと問われれば、返答に窮するのだが。
警察呼ぶ?
自衛隊は呼びつけたい。無理だけど。いや逆に、放っておいても駆けつけてくれるか?
今更無駄だぜ、箝口令。
「これなら矛盾しないわ……! 全は一、一は全……、そうであるなら『人体一個』がつまり、『ひとつの宇宙』と、数学的なイーコールで結ばれるということ……! 異世界で間違いないのに言葉は通じる――ここにはひとつも矛盾はなかったのよ!」
今頃になって、なんかかゆい。
助かりはしたけれど、《サーミック・デスワーム》だけはトラウマ。
幼虫かゆいわ。駄目っぽい。
「それでは何故偏りがあるのか? 理由は単純。『言葉が通じる異世界での冒険譚』の方が、人口に膾炙したから。人気が出たから。埋もれているだけで、続編が執筆されなかっただけで、実際は同じ数だけ存在しているのよ! ええ、きっとそうだわ!」
意志の力を総動員する必要を特に感じなかったので、立山はこれも自然現象だと思うことにした。
「現実の問題。常識の問題。コストパフォーマンスの問題……。細部が少々違う程度なら、普通は、はるか遠くの宇宙及び並行宇宙に浮かぶ『ガチの異世界』の映像を、苦心して手に入れる道の方なんか選ばない。そうなると、『世に出た物語』と『頭の中にしかない物語』の、境界まで曖昧になってくる……。『空想の世界は現実に実在するのか!?』という話よ!」
ひとたび饒舌になった文学少女は止まらない。
「やはり2パターン……。
ひとつの宇宙だと定義した人体の内部に存在するキャラクターは少なくとも、情報の集まりから成るデータではあるのだから、データに人格を認めるAI様の時代が幕を開けてからは特に、データであろうがひとりの生きた人間で間違いないという発言に、下位存在である人間は異を唱えられなくなった……。
もうひとつは、平行進化。収斂進化。そのデータと寸分違わぬ人物が、その人をとりまく世界全体が、どこかのガチの宇宙の中にも実在しているというパターン」
なんでも入ってる魔法のバッグから取り出された、なんかの萌えキャラの服を、着せられて眠る牛刀お兄さん。
変装用のサングラスはもとより、謎の白Tもおそらくビリビリに破れてしまっているので、なんという文字が並んでいたのかを、現段階で再確認する手立ては無い。
「『「100%実在しない可能性」は0%』! よって『100%実在する』!」
ビキニ状の炎を消した いんふぁんたん は、十二単風のワンピースに袖を通――やっぱり右腕だけ露出して、見せつける桜吹雪もないのに、遠山の金さんごっこに興じている。
それを実にノリが良いハイドが撮影という構図。どういうわけか、今度は何故か、巫女さん衣装風の”セーラー服”に、格好よく上着を渡した当人は身を包んでいた。
(ちょっと惜しかったよな……)
「ばかみたいだと思ってるでしょ!? 女がバカなこと言ってる女だって!?」
と、テンションが上がりまくってるレイ様に詰め寄られた。
まとわりつくキッズを、特に嫌がりもしないヴェスと、微笑で見守るごにうろ氏。
本当は先生に話を聴いてもらいたかったけど……、ってやつかな?
立山は迫り来る未成年の気配から、全力で目をそらして返事した。
「、でもそれって、『ザ★悪魔の証明』なんじゃないの?」
「くっくく♪」
勝利の確信を隠そうともせずに笑って、とすんと隣に腰かけてくるレイ様。
思っていたよりフランクだった。
少なくとも自分よりは。
「たとえば天動説と地動説。創造論と進化論。被疑者と被害者。――といったように、片方の勝利がもう片方の大敗へ直結している対立に、『悪魔の証明』を持ち込むことは『悪』になるだけよ。空想上の別世界が、広い宇宙のどこかに実在して、一体誰が損害を被るわけ? ん?
だからここには『悪魔の証明だ!』なんていう非難は決して刺さらない。『絶対に存在しない』という結論の方を支持したって、証明できたって、だあれも面白くないから。そこには神秘がない。ロマンがない。そんなものは夢と自由をこよなく愛する大好きな人間じゃない」
美髯がバッグの中から顔を出し、短く にゃあとあくびして引っ込んだ。
瞳は両目とも金色だった。
「――想像上の宇宙と、拡散された空想と、実在する異世界に違いが無いことはよく解った」
「あっそう? まじで?」
「あちらで実在するのなら、こちらに顕現したっておかしくはないという理屈だ。どこにも存在していない者とは決定的に違うわけだからな」
「んっ♪」
「じゃあ『彼ら』は、『何故』『どうやって』『なんの目的で』、こちらの世界へやって来たのだろう?」
「えぇ? さあ……? んー……」
「まあ、たまたま運悪く――って可能性も、十二分にありえるが」
「ククルと時空乱流ね?」
トークの腰を折る趣味はなかったため、一応考察を口にしてみただけで、立山は今別に、本気で解答が知りたいと思っているわけではなかった。
あれだけ大仰な異能力を披露しておいて、今更しらを切り通すつもりは無いのだろうけれど、あんまり深く関わることにも、非常に腰が引けた。
理由はここが、人生の楽園では無かった所にある。
消去法で『肉体的な能動』を、とりま保留していただけなのだ。
頭の中では疑問点が渦巻き、天分の限りを尽くして最善の一手を演算していた。
むしろ逆に問いたい。
こんな状況でいきなり平和ボケを開始できる神経の方が異常ではないのかと。
瓜田李下。
疑わしきは罰せよ。
人を見たら泥棒だと思え。
違和感の根源を探る道中で、幸運にもその他の『不審点』をいくつか拾うことができた。
『疑念』にまた別の『疑念』をかけ合わせると、真実により一層近づけた気がした。
「……レイ様」
「はいっ?」
「それ……、なんてタイトルでしたっけ?」
「んっ?」
ここだ。
彼女は質問には即答せずに、「ええと」と甘辛のタレを白米に一度バウンドさせた。
それから、右手に握りしめていた文庫版サイズの単行本に、目を落としてから答えたのだ!
ただ――頭を抱えて嘆息するのは時期尚早だったので、
「――で、どんな話なんです?」
「うん?」
にこにこ。
「やっぱり……」
当てつけに見えない様に気を使っても、両目は強くしかめずにはいられなかった。
「えっ、なになに!?」
お前こそ異世界人だろ、と怒鳴りつける趣味も無い。
紫の髪の、丸い眼鏡の、読書家上がりの文学少女……。
直行するのは居酒屋じゃなくて本屋だろう。
ではそこで何をどうするか?
ごく当たり前のことをする。
すなわち、自分の好みに合うものを、タイトルと表紙にまず探して、しかし購入する前に、さわりの部分は読んでみる……。
ネタバレは大好きか!?
馬鹿な、そんなわけがない!
山場は自分の巣へ持ち帰って、じっくり味わうものだから!!
「それ、最後まで読んでねぇーだろ、お前……!」
「うっ? んん?? え? あっ……!」
「ちょ、かして!」
腕白でもいい。
立山は断りを入れずに奪い取り、乱雑にページをめくった。
案の定、人面の巨大猿は、分身を作れる西遊記の孫悟空に倣って、死後にその体毛から、プラナリアのようにうじゃうじゃと、息を吹き返していた。




