第零章 上京 031 雪崩蛇鑓
たとえ旧知の仲だったとしても、ギャグ漫画補正で 歳すら取らない 昭和の暴力ヒロインでなければ、安全圏から蜜の味を求める傍観者と同じ目線で、威勢のいいヤジを飛ばすことはできなかっただろう。
「チィッ!!」
それに、こんな場面で『そもそも論』を持ち出したら、『全員自宅に引き籠っておけばよかった』という結論が、唯一絶対の正論になってしまう。
怒髪ならぬ“怒鋏”が、金属である事実を無視して、ぬるぬる、ジャギジャギ天を突く。
完全に空を飛んでいる。
距離を取らざるを得なかった『ハイド』の、右目を覆う眼帯に、ライムグリーンの稲光が仰々しく収束。
「《紫怨の冷撃》……!!」
黄緑と紫のチカチカする補色同士が結託して、網膜を間断なく殴打する。
瞼の外の轟音で被雷していたのは、新緑の青葉繁る青紅葉だった。
人面の手長猿が 自由の利く右腕で、咄嗟に引っこ抜いて投げつけたのだ。
液体窒素から取り上げられた薔薇のようにバリバリと、落下の衝撃で砕け散る。
「……ッッ!」
十二単風のワンピースが、ばたばたと風にはためいたと思った次の瞬間には、ハイドは既に巨大な敵の懐へ飛び込んでいた。
高圧電流を帯びた右の拳が、『ナスビ前髪』の下顎へヒットする。
光速で《冷撃》をチャージする眼帯。
人面だからこそ、意外でもなんでもなく、学習能力はサルよりも高かった。
被雷してなるものか――、
瞬間冷凍されてたまるか――!
自由の利く右腕をひとまず、たった一度だけ咄嗟にかわしたハイドの右半身へ、
チャージした《冷撃》で自ら広げてしまった死角から、
今の今まで大事に大事に胸元へ秘蔵していた左拳が、
あろうことか、セレアちゃんを握りしめたまま飛んできた!!
「ぐッ、うぅッッ……!?」
いつだって ひと昔前の漫画のようにはいかない。
先のイナズマ・アッパーは、柳の背骨に衝撃の大半を殺されてしまったというのに、今度の巨大な左ストレートは、ぶんぶん飛び回る鬱陶しいハエを、攻城の砲弾にさえ変えた。
崖の下に落ちた敵を のほほんと放置する時代では、確実にないだろう。現代は。
心が狭いだの、執念深いだのというレッテルを、貼りつけられたくないという欲求も、酒だ、女だ、ギャンブルだと、『強欲』を肯定せずにはいられない世代からは切り離せないだけだ。
100%生きている。
生きているから追撃する。
途中で降参するくらいなら、最初から手を出さないし喧嘩も買わない。
面長でもあるテナガのアガリビトが、ギョロギョロと目玉をひん剥いて咆哮する。
「!! ああっ、こら!」
レイ様の声だった。
人ごみから飛び出した白い影。
「メイ! なにやってるの!? 戻ってきなさい!!」
茶色を意味する毛深い赤毛を、するすると登ってゆき――、
「美髯ッ!!」
高いだけに留まられなかった、横へも大きなニアピン鼻に、真っ白な子猫が噛みついた。
さすがに攻撃の矛先が変わる。
ここに『空白の時間』が産まれた。
身震いさえ覚えるチームワークだった。
たった数秒間の『空白』を産み出すために、あの猫は全霊を爪と牙に込めたのだ!!
揉み合う獣で見切れる背景に、立山はしかと見た。
電撃の糸で自らを操るように、重力を無視してガラガラと、胸部から蘇生する十二単を!!
「快く心を閉ざせ、《紫源氏》……!!」
何もかもに見覚えがあった。
金緑に光を灯したコンサートライトのひと振りで、
世宇とリュディアが水をかけ合ったあの、浅い水場と噴水が。
都会のオアシスの中の、饗庭ラユアのオアシスが――!
UVを照射されたクリスタルレジンよろしく凍りついた。
目の覚める電光の迸り。
板材を板材に叩きつけて作る、落雷のフォーリー・サウンドで、湖面を伝線する亀裂。
煙のように消えた忌まわしい白アリを、人攫いの人面ウータンは、もう捜さなかった。
「《雪崩蛇鑓》!!!!」
サイリウムの指揮棒に超高速で従った、電気と冷気を同時に帯びる 夥しい数のガラス片が、『アイハハ』を煩悩の数以上に引き出した。