第零章 上京 031 大人の正義と子どもの正義
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それは最早、空輸だった。
うっすらとデザインに既視感のある“ぬいぐるみ”が、長い、長い、長い腕で――
セレアちゃんの元へ届けられる。
打って変わって今度の個体は、表情のバリエーションに乏しかった。
相手の目線へ降りてゆけば、それだけで、対等な関係を築いてもらえると思っているのか、できる限り身をかがめ、しかし目は合わせられないらしく、脂ぎった前髪を落ち着きなくこねまわす。
指先のぬいぐるみが小刻みに、長い長い長い腕ごと上下する。
当然のことながら、リアル『美女と野獣』のオファーを突然に受けたリアル女子小学生は、ドン引きを飛び越して顔面蒼白だった。
女児向けアニメの中のように、『いらない』と首を振って逆効果。
一方的な『理想の告白』に大成功した“ノッポのテナガ”は、右手で彼女を握りしめたまま、おぞましい事に、こちらへ体を向け、平時からは考えられない俊敏さと満面の笑みで、大きく大きく反対側の手を振った。
大泣きするセレアちゃんを、高い高いであやそうと試みる。
高い、高ーい。
高い、高ーい……。
こんなとき大人は、合理的に打算する。
ヒトの、あるいは女・子どもの命を、どうしようもなく足し算と引き算で考える。
全員助かる道に賭けて、2人以上死亡するバッドエンドを迎えても、片手でリセットができるのはゲームの中だけだ。
あるいは、『たったひとりを失うだけに過ぎない結末』が、どれほど幸せなことかを、経験則から理解してしまっているから。
現実世界で人の命は賭けられない。
一般人が一個人のために一個の命を投げうったところで、救助を生業とする者が観測すれば、失われた命と悲しみの数に、差異は微塵も見つけられないのである。
実際、瀬賀たかし もとい 立山はこの時、暴れまわる饗庭姉妹を全力で物理的に押さえつけていて、両脚の骨を砕いてでもこの場に留まらせようと、今はそれだけに必死だった。
これが大人の正義だった!
『らめ』は『ガー』の胸の中に居た。
それ以上の事は なんにも わからなかった。
神風に無言で率先して志願した2人の勇敢な少年を殴りつけ、引き戻して放さない産みの親は、運悪くこの場所には居なかった。
バヂーン!
男から男への情け容赦も無い平手打ち。
ブッ飛ばされて、立山の足もとまで転がり戻ってきた世宇は、一度だけ威勢よく怒号と共に跳ね起きるも、噴き出す耳血と全身の痛みに、まったく堪えようがなくなって歔欷。鼻水で息が詰まった数秒後、胃の内容物を勢いよくひっくり返した。
饗庭ラユアが助け起こしていた。
即座にリュディア=ガー指導のもと、介抱を試みる。
「たすけて、理伊雅おにいちゃん!」
しかしこの発言も、泣き落としに続いて逆効果だった。
罪作りな女顔。
ジェンダーレスな後ろ髪。
『不思議』に目がない好奇心が、美少女フィギュアの沼へ飛び込む。
蹴り飛ばしたシューズも睫に阻まれ、そこにはただ、無暗に親切に脱衣のハードルを自ら下げてあげてしまった結果だけが残った。
あっさりとボクサーまで銀はがしされる。
こちら側からは、握られた右拳の下、ガニ股でじたばた足掻く、真っ白な臀部だけが見えた。
「ちょっ……! これはもう、流石に私、」
「レイ様!」
立山はもうひとつ違う意味でもギョッとした。
こんなにも皆が身を寄せ合っている状況だというのに、紫のロングツーサイドアップ氏は、袋から出してるセンタンの、アイスキャンデー「ミルク味」を!
未だ雑に持ち歩いて――!
「俺が行きます、落ち着いて。大丈夫ですよ。俺が行きます」
「ハイド……」
「というかレイ様、スイッチ入ったら、めちゃくちゃやるじゃないですか?」
「いやいやいやいや、こっちの台詞っ!」
「ww」
「はぁ~~~っ、どうして私のまわりには、パラメータがブッ壊れた自信家の奇人ばかり集まるのかしら……?」
「憧れてもらっていいっスよ?♪」
「一寸ばかり褒め過ぎた」
と、こんな風に軽口を叩いているうちに、それこそアイスキャンデーのように、長い脚からペロペロされはじめる。