第零章 上京 025 人生まぢ求不得苦
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目がチカチカする。
女を美しく見せる黒を血腥く踏み台にして、おどろおどろしく人心を侵すのは、タンジェリンクォーツの蛍光オレンジ。
クロハラヘビクビガメやカントンクサガメのベビーを引き合いに出すまでもなく、アカハライモリが抽斗の中で蒲田になった。
近づいてくるということは、動いているということだ。
流れる墨が構造色の、仄青い濡れ羽色へ妖しく揺れる。
幽霊に青ざめる婚姻色も、紫の論争に火をつけて立ち消えた。
「……、なにやってるの?」
ピンクにもブルーにも間違えられない茄子紺の頭髪は、『サブカル』とも『媚び々々』とも叩かれることのない、『マッシュ』と『女子アナ』の中間。
瞳こそ金色ではなかったけれど、胸元でくるくると内へ巻く、切り絵風のハートの中には、漢字の金字の『侍』を発見できた。
オレンジのゴスロリと、オレンジのメイド服を、足して2で割ったような『ハロウィン』ちゃんが、いぶかし気な表情で立っていた。
「――いや、緊急事態! 緊急事態!」
ジャキジャキと髪留めを開閉させながら、小豆紫のツーサイドアップ美人が駆け寄る。
立山は生の声を考慮に入れて、姉弟だろうかと見当をつけ直した。
あながち間違ってもいまい。
「? それはわかってるけど……」
「えぁ??」
「いやさっきの悲鳴。痴漢かなんか出た?」
別に犯人を目視しようと考えた訳ではないのだろうが、ひょいっと窺ってみた目と目が合ってギョッとされて、立山は、そういえば自分も、赤と黒の警告色だったことを思い出した。
「えっ大蛇? なにそれ怖い。ほんとなの?」
「ほんとですって! こーんな! あーんなでかいの!」
単純な腕力を比較しても、こちらの方が1000倍、実害がありそうに見えたことだろう。
侍印の『ハロウィン』ちゃんが、本当に魔法でも使えれば、話は別だが……。
「だからアレ、出してください! はやく!」
「え、アレって?」
「預けてあるアレですよ! 《電化の宝刀》!」
「《電化の宝刀》ォ!?」
伝家の宝刀ォ?
なんだそれ。
誰が誰に何を催促しても自由だけれど、ショルダーバッグに納まる刀なんて、足がつかないよう、出掛けにキッチンからくすねてきた包丁以外、思いつかない。
漫画ちっくなチェーンソーの仰々しいお出ましよりもよっぽどホラーだ。
「それじゃあ何かいっこ、面白いことを言ったら出してあげましょう♪」
「SOSのミニドラシステムかよ! そんな悠長なことを言ってる場合じゃあ……!」
「3、2、1、はい♪」
「ポカリ側、ポカリ側、連呼しとったら、CMワシらに決まらんかいのう!?」
「ぐふっw ぐっ……! 不、得苦。うん。求不得苦って言いたかっただけ。あー、求不得苦だわー?? 人生まぢ求不得苦っ♪」
沸点が高い方、低い方、どっちが笑い上戸だっけ? って毎回なる。
鉄面皮にポーカーフェイスという意味を付け加えた辞典を出したい。
「『話の続きが気になる方は、フォローの方、どうかよろしくお願いしますよ!? 絶対にいいねをするぞ! じわじわとRTをしてくれる! キエイ!』 ――3件のいいね」
「wwっw」
……ううむ。
きょうだいに敬語は使わんか。
「?!」
痛い痛い、痛い痛い痛い!?
見ると、心理的、あるいは口語的な『慣性』で、未だしがみついたまま固まっていた掌が、万力のようにギリギリと、立山の腕を締め付けていた。
えっなにこれ?
うつむいたまま、わなわなというニュアンスで物理的にぶるぶると震えて、ふっと立ち上がる いんふぁんたん。
女の髪がオーラのように、遅れてゆらりと盲従する。
「……、できない……」
「? ?」
「もう我慢できないいぃぃッ!!」
猛然たるダッシュである。
実はほぼ同時に――というか並んで、お手洗いから出てきていた、コウガサブロウもとい饗庭花へ、ぬるぬる不自然に急接近。
「あっ」
そういや、ガチLなんだったな。
「あら~~♥♥♥」
ご想像にお任せしません。
「脚ほっそ! うらやましいわぁ♥♥♥」
蛇に怯えていたとは思えない手つきだ。
「素晴らしい眼鏡ね!? いえほんと、私、眼鏡が大好きで! 眼鏡をかけている女の子が大好きなだけなの、ほんとよ!?」
するする。
腕だけ別の生き物なのかな?
知識があって、内心驚いているのかもしれないが、ガチLちゃんは根本的に、オジ専ちゃんを喜悦満面にできる要素であふれてはいない。
「つかぬことをお伺いしますが!」
「はっ、はい!?」
矛先が変わることは十二分に予測できていた。
小さい犬だけ触りたくなる犬好きも少なかろう。
「あの、おふたりは姉妹なんでしょうか!?」
『えっ、ちっ、違います!』
「そ、そうですか……」
またしても舌の根も乾かないうちに、絶対領域まで丸呑みにした、むくみ防止の黒蛇へ、神々しい蛇神様を天降す。
どこからか取り出した眼鏡を装着。
自撮り棒が大活躍。
人気の次女席を3パターン網羅する眼鏡美人三姉妹。
立山は『自己愛』よりも『同族嫌悪』の方が強かったので、たとえドッペルゲンガーに出会ったとしても、絶対に抱きしめないだろうなと考えた。
でもその辺、男子と女子ではやっぱり違うか?
女性はデフォルトで女性の母乳で育つわけだし。
ドロワーズってのは要するに、ドーラがシータにあげた様なやつだろ?
知ってる。
『パニエ 黒 構造』で検索する。
センサーにはじかれ、フィルターを通過できなかったので、やはりあの『平安京』は、女性では無いのかもしれなかった。
単に眼鏡では無かっただけではあるまい。
まあ、眼帯を外せと軽々しく指図するのは、マナー違反に違いないが。
しかもそれを撮影するなど。
目が合ってウインクが飛んできた。
別に総毛立ちはしないけれど。
何か忘れていやしないか?
意志の力を超越した、曲がりようがない『一直線』を、改めて夢想する立山だった。