第零章 上京 022 白昼のゴニウロサウルス
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「30過ぎたら肉と酒!」
酒にはまったく良い思い出がなかった。
同時にこのご時世、ひとつも良いイメージがない。
「でも実際、背に腹はかえられないよ。薄給で選択肢が豊かでもあることなんかありえない。コスパも最強だし。週末にチューハイ1本くらいは飲んだ方がいいね」
「でもそれきっかけで、ズブズブと沼にはまってしまう可能性もありますよね?」
ギャンブルで負け続けるオッサンだから余計に、酒におぼれてゆくイメージがある。
「まあ提案さ。ぼくは酒に呑まれなかったからと言って、キミもそうなるとは断言できない」
そう言って、ごにうろ氏は、少女漫画の文武両道系教師ばりに厳めしい肩幅をすくめた。
「失敗しない普通人が、当たり前にそれで不安やストレスを相殺して、どんどん先に進んで行く。10年前は若かったから、百薬の長に頼る必要がなかった。舞台に上がる前の緊張を殺すためにビールをあおった芸人を思い出した。いつ何時でも百薬の長だと主張し続けずにはいられない連中を肯定するようで嫌だったが――、進退窮まってぼくは飲んだ。それだけさ?」
結局いま潰れてしまったら、アル中になって人生詰むのと同じこと――ではある。
小学生の頃から成人を心待ちにしていた、端っから禁酒なんて考えたことのないタイプには、こんな所でいつまでも淀んでいる真面目系クズの方が、よっぽど珍種に見えるのだろう。
「売れっ子漫画家からタバコを取り上げたら、執筆速度が落ちるかもしれないし……ああ、ひとり焼肉食べ放題ってのは、今でも夢のままだな。やっぱり普通にその辺で買って焼いた方が、何よりも、『人に遭う』という負担を減らせる魅力に満ち溢れすぎていて」
「時間制限もないですしね」
「まったくだ」
長子に特有の、世渡り下手顔。
30を過ぎたゆとりの底辺に、色情がほとんど残っていないように、30をむかえていない現役の女子中学2年生も、色恋第一で稼働するわけではないらしい。
一旦横になってみるのはいいけど膝枕。
ちょうどよかった三つ編みでアイマスク。
……。
距離をつめる速度が速すぎるし、あちらはあちらで飲食した直後の口辺が、汗を噴いていない訳でもない頭皮を秘めた後頭部が、接近し密着することに無頓着すぎる。似ても似つかない癖に、勝手に自己投影していた自分が悪いと、立山は頭で何度か繰り返した。
チラと盗み見上げられるフリルの内側。
おへそまわりを指先で弄ばれても無反応。
……。
そもそも、ヴェスヴィア=ルーベラ。彼女は一体何者なんだ?
未来からやって来たアンドロイドにしか見えない。
「あー、こんなことを口にすると、非常にバカっぽいんだが」
「はい?」
『人に遭う』。
それならどうしてこの男は今、こんな場所に居る?
「えーと、結論があって……、たとえば今ぼくがこの場所でキミに、絶対に元気が出る! と請け負って、『恋』をすることを勧めたり、人生を無駄にしていると煽って、あるいはきっと現れるからと泣きながら、幸せになるために『仲間』を求めなさいと説教をぶちかましたりしたら、キミは即座に『KDTフィールド』を展開して、ぼくのことを蔑むだろう」
KDT? なに?
「くそデカため息の略さ?」
わかるわけない。
でもまあ確かにそうだろう。
愛情を他人の生殖器から搾り取るやら、心のスキマに詰め込められれば誰でもいいナカマをかき集めるやらといった行為は、あんまりにも“パリピ”すぎて、魂が受け付けない。
性欲が爆発して行為に及んだティーンエイジャー全員がハッピーエンドに辿り着けていたら、迷うことなんか何もないのだろうが、欲望で身を焼かれた先人をごまんと見てきて、そこから何も学ばないというのは不可能だ。普通に生きていれば、ある程度以上は慎重になる。
何事も他力本願でよかったのか?
『出会い厨』は正義のヒーローだったか?
「だから『時期』さ。そして『順序』だ。『最初は自分でやってみなきゃいけない』は、『永遠に独りで働き続けなきゃいけない』を含まない。キミはもう、『独りでできる限界』の事柄を、大方やり終えてしまったんじゃないのかい? そいつがまさに今、直面している壁そのものなんじゃないのかい?」
「……、」
それは――
「キミの現在の挫折の原因は、『独りきり』で闘っているところにある。『強大な外敵』と、たった独りで」
世代の違いなのか、未だに立山には意味があると理解できないダンスの練習に心血を注ぐ、輪郭の不明瞭な女学生だけが、婚活中の蝉に代わった。
「『仲間』が嫌なら『ファミリー』だ。あるいは『チーム』『グループ』『同類』『同族』『同胞』『同朋』『同士』『同志』。同じ最終目的地を目指し、互いに欠点を補い合える、自分の『集団』……。過去を振り返ってみると、事実、独りだった頃とファミリーを手に入れられた時期の間には明確な境があって、実際、そこを通過した後でのみ解決できた問題は山ほどあった」
座高が高すぎるわけではない190弱の大男にも、座っている時間はあるのだから、他人を見上げる経験なんて、別段珍しくもないだろう。
「いいかい? 『恋』だの『仲間』だのが充実した後でなければ、解決できない物・事、というものが、この世にはあったんだよ。そのゾーン。その世界。独りが下等だとは言わないが、何もせずに上り詰められるかと言ったらそうではなく――うまく言えないけど、少なくともこの場合は、『独りでいながら掴みたい』と望むことの方が、『欲張り』だったんだ」