第零章 上京 017 SLに限ってそれは
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さっさと『解答』を済ませておきたいけれど、やはり基本に忠実に『謎』からいこう。
その日も夏休みというか、夏であることを暴力的に忘れさせにくる、ブッ壊れた天気だった。
年をとるとガチで雨の日の昼間が辛い。
鬱々とした瘴気が、否応なしに忍び寄ってくる――
そわそわそわそわ。
そわそわそわそわ。
わかりやすすぎるラユアちゃんと比べると、つかみどころがないように感じる花ちゃんが、いつものように画面を見下ろしながらだが――、わかりやすく落ち着きがない様子で右往左往している。
ほゎほゎほゎほゎと、今更言いたい。
でも実際、ひと足ごとに辺りに漂う香り的なものは、まさしくこういう感じである。
「えぇーっ!? うそ! どうして!?」
「!」「?」
「今日一驚いた!」
恭一驚いた?
「ありえないでしょ!? SLに限ってそれはww えっデマ……!?」
『意外』と評するほどでもないけれど、喜・怒・哀・楽のポイントこそ、多種多様というか、三者三葉、十人十色、千差万別なものもないよな。
このポイントでキレる人とは仲良くできないけど、こういう場面でキレる人には、むしろ微笑ましく思う――の組み合わせ(えっこれが普通じゃないの?)に、共感してもらえる確率が、実に低いというか。
並んだらやっぱり、お姉ちゃんの方が高い。
漫画家志望でもないのに、圧倒的な引け目を感じて、フリック入力やラインでやりとりしている画面を、詳細に描けている先輩方に舌を巻く。
こっそりと『Steam Locomotive』の略だったことを今日初めて知ったのだけれど、これは100%違うやつ。
同窓会の案内状をゴミ箱へぶち込んだ、冷たい快感がよみがえる。
千紫万紅と、今更言いたい。
つぶさに観察すれば単なるリアルな死骸なので、目を逸らしながら高速で口へ入れて、保存パックをパチパチと、きっちり閉める。
どうせちりめんに近づいてもグロだし。
まあ薄れるけど、ちりめん1キロって、ばか高いんじゃないの?
保存もきかなさそうである。
よく噛めば味は実にうまい。
呑み込んで、もうひとつ、口へ運びたくなる本物。
むしろ塩分に気を付けなさいと、理性が警鐘を鳴らしてくるレベル。
でももう一個……、うまい! 止まらん。
しかしこんな風に、外界から隔絶された独房さながらの個室で、煮干しをそのまま齧っていると、いよいよ自身が畜獣もしくは家禽になったような心地がした。立山はスイカの種の様に、口の中で見つかった真っ黒な『ワタ』を、指でつまんでゴミ箱へ投棄した。
これでは本当に“ペリット”だった。
学校の職員室に見た、『ザ・職場』といった労働環境に、何か意見してやりたくなった感情の出所を探ると、『作業用BGM』という単語が出土した。
チームワーク、チームワーク!
諦めない、諦めない!
だったら本当にその通りに動いてやろうと、立山は画策していた。
何十万人もの引き籠り全員が、最新の電子機器とインターネットで結託するんだ。
この夢を決して諦めないと心に誓おう。
それとも自分たちの繁栄を脅かしかねない行動に限って、諦める選択も悪ではないと認めよう――と、圧力をかけてくるのだろうか?
静かに授業を受けたい我々を、『弱肉強食』という正論で殴りつけては、教室を騒々しい部室へと作り変える夢を、いつだって意志の力で叶え続けてきた、男らしい筋肉の脳味噌は。
ルーチンは大切にしてるよ?
でも『筆が乗る』のピークは、どんなワーカホリックにも、随意に決められるものではないんだ。
『エンジンをかける』とは違って。
集中力が摩耗して、臓器に空腹を訴えられていたことに気が付いた立山は、辿り着いた冷蔵庫で、「お酢をかけて食べてね♡ 花」というメモが貼りつけられたサラダを発見した。
ラユアちゃんの筆致&イラストっぽみ満点……。
父親だったら、天使の寝顔にすり寄るかどうかを、思い悩む地点までは接近できたのに。
一応断っておくが、いま立山家で普通に生活している饗庭母娘は、最近引っ越してきた先で、偶然隣家に住んでいた、懐の深い美人三姉妹では決してない。
連絡網の淘汰された昨今、そこまでフランクな日本人は、どんな都会にもありえない。
遠縁の親戚でもなければ、旅館の宿泊客でもない。
また、うちがいま巷で大流行の、『こども食堂』であるというオチでもない。
いつまでもねちっこく世にはばかり続ける『バブル』におもねるしかない『ゆとり』とは、また違った動機で、『ゆとり』を愛する『バブル』も、大勢いるというだけだ。
それこそ数十万単位で。
お酢とマヨネーズで普通のドレッシングになるので、お猪口についでそのまま飲み干すよりは、いくぶん酸っぱく感じないんだなと、立山は睡眠不足の頭で考えた。
かつお節もふりかけてみる。
窓の外が青く白んできた。
世代から連想して、根性印の体育会系――ただ止まったら死ぬだけ――とはまた別のベクトルにも、激ライバル視している勢力が存在していたことを、立山は思い出した。
『サヴァン』も確かにライバルだが、剥奪される共感の量を補って余りあるので除外する。
『記憶』と『感情』の才能に秀でた『海馬グループ』だ。
武術はさておき、ダンスも相当痛かったが、『プログラミング』だと?
むしろ『翻訳』が『数学』だと思う。
『好き』と『できる』は圧倒的に別物で、『絵を描くのが大好きなのに、いつまでたっても下手くそ』と、『特に辛い修行なんか積んだことはないけれどプロ並み』――このふたつは必ず並行して誕生し続けるものだ。
そして世界にスカウトされるのは、決まって後者の方なのである。
数学でも同じことが言える。
なんの葛藤もなしにスラスラこなせる天才肌が、無限に誕生し続ける限り、そうでない者は、どれだけ『好き』を大きく育てても、まったく勝ち目はないんだなと悟ったとき、人は数学をぼんやりと好きだった過去を、無感情に切って捨てる。
これ以上『数学は好き』を育てるのは、時間とエネルギーの無駄だ――。
でも実際そうだろ?
そうでないなら一体どうして、壇上でカスみたいな演説しかぶてない高学歴社員様が、レギュラー本数の微妙な中堅芸人による処世術に、秒で笑顔で真剣に感銘を受けるんだよ。
そこで『勉強になりました』?
今まで何やってた??
出世欲や収入アップのために、相手の顔色をうかがう『ご機嫌取り』を。
他人に好かれるためのヒントを、惨めったらしくかき集める『物乞い』を。
潔くない。男らしくない。人に合わせて意見を変えるなんて、本音で喋っていない証拠で、それは即ち、嘘をつき、人を騙し欺くという大罪だ――といった理屈で、本当に嫌悪しているのなら、自分が持ち上げられた場合にも、正論を振りかざしてブチギレなければならない。
いや、社長はちょっと上の世代で、正直リアタイでは視聴していないから……。




