第零章 上京 014 アンビュランス立山
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クラスの中心にいない男女も一様ではない。
1、話しかけてもらえたら上機嫌になるタイプ。
2、話しかけてきやがったら不機嫌になるタイプ。
3、話しかけて欲しかったわけでも、話しかけて欲しくなかったわけでもないタイプ。
しいて言うなら――3Dプリンターで出力したのかメリカリで買ったのか――、あんまりにもアンビュランスすぎるシューズを履いた、東京人らしくなくもない珍妙なファッションの立山とかいう男は、『3』のタイプの寡黙顔だった。
マンガやラノベでフィーチャーされるのは『1』か『2』が圧倒的に多いだろう。
理由は言わずもがな。
(『1』が引っ込み思案だとすれば、『2』はガチの人嫌いと、重度の人見知りに分かれるか)
しかし現実には、結構な割合で『3』さんがいらっしゃるのである。
感情の起伏に乏しく、愛想がよくはないだけで、グループ活動の足をとりたてて引っ張りはしない、スペックの持ち主であるというか。
肉親に恵まれて育った人間は、そこと比較するから、教室が劣悪な養鶏場に見える。
恵まれすぎているという自覚がないまま、自宅と同じ“環境”を、自身の周りに強要する。
正直言って、授業中に喋ったり動いたりする邪魔者は、学校の外へ排除したい。
家のテレビでさえやかましいのに、教室の中に面白イベントの発生なんて求めていない。
散々勉強を妨害し尽くした挙句、コツコツと積み重ねたその悪行が、動画の向こうで人気を獲得する土台になりました――?
少しは良心がとがめないのかね?
いくらゴール地点が魅力的でも、正常な知的生命体なら、『他人に多大な迷惑をかける』が組み込まれている努力方法なんぞには、食指が動かないはずなんだが?
しかしながら本当は、『理由なき無償の愛を湯水のようにとめどなく与え続けてくれる空間』というものの方が、世界の中心ではなかったのだ。
一般常識でも、全員の普段着でもなかった。
天国ではなく地獄の方がデフォルトで、未開拓のスタート地点であった。
ハブられたり陰口を叩かれたりすることに、耐え続けられるのは。
こんな程度の困苦よりも、もっと厳しい現実と、普段から戦い続けているからかもしれない。
とにかく『教室の攻略方法』は、『更に外側の世界で待ち受ける絶望を具現化して特訓』だ。
べらぼうな量の台詞を暗記し慣れている天才子役には、厚さ数センチにも満たない世界史の教科書なんて、マンションのベランダの隔て板程度の強度の障壁にしか見えないことだろう。
話を戻そう。
鼠一匹かどうかは知らないが、なんとなく鳴動しそうな大山。
おもちゃの救急車をふたつ、大きな足に装着して、黒シャツに黒スーツに赤ネクタイ。
――ここまででも充分に、メッセージ性と思想と個性とクセは強い。
が。
だがしかしである。
……もったいをつけすぎて、解を口にするのがこっぱずかしくなったので、唐突に『想像力』というテーマを広げる。
『創造力』なんて単語が、正式な日本語なのかは判らないが、混同していたのかもしれないと気づいた話だ。
脱線しよう。
迷宮入りだ。
今の時代、誰も彼もが、高スペックを維持し続けられると思うなよ??
もともとしっかり見据えているゴールは、『漫画の原作』だったりする。
『小説を作りたい』って、範囲が広すぎてイメージしづらいし。
小説家という職業が存在していなかったら、真っ白な背景にでっかく名前と、水着のヒロインを描いたものを、文字ばっかりのこいつに時折挟んで、漫画だと言い張っていたと思う。
伝わるように喋るよりも絵を描いた方が速いか、伝わる絵を描くよりも口で説明した方が速いか。
同じ事を繰り返す作業が酷く辛いか、さほど辛くないか。
記憶力を披露する方が快感か、想像力を発揮する方が快感か。
ネーム的なもので済むのに、原作小説の形へ仕上げる理由と利点は、考えすぎると闇から沼地。
まあ、ある人にとっては非効率である作業の、全てが無意味だというわけでもあるまい。
『正直』が万能薬ではないように。
俺は別に『ナポレオンは風呂場で寝てた!』とは言わないよ?
ただ、それだけの時間があれば、俺は普通に布団で眠ると言いたいだけだ。
遊ぶんかい! と思ったよ。取材を受けるショートスリーパーを観て。
『遊んでる時間』は必ず、『眠ってる時間』にカウントして申告してください。
『労働』や『生産』で『惰眠』にマウントを取ってくるから、しぶしぶ負けを認めてたのに、
遊んでんのか~い!
(寝ずに起きて遊んでるシーンには、取材が来て金になる)
(保健所の外で犬猫を救済すれば、動画がバズって金になる)
『諦めない』も永久に、万能薬であり続けられるだろうか?
――感情だけがすべてであれば。
諦めないのは勝手だが、実際、既に手元にあった個性や運や才能で、ただ『諦めようがなかった』だけなのに、『諦めなかったからうまくいった』と吹聴するのはいただけない。
これではジャガイモが意志の力を振り絞って、ローストビーフになりましたと、言っているように聞こえる。
これを『話を盛った』と言う。
本当ではないのに嘘をついた。
世間体と外聞と体面とガワに、卑しい喉から汚い手を出した。
何故なら表の社会は、『滝行で龍になった鯉』を称賛するものだということを、よく知っていたからだ。
もともとヒマワリの種だったから、ヒマワリの花を咲かせられただけなのに、スタート地点はミミズでしたと口にした。
くだらない『賛辞』なんかを欲張って。
そいつは悪だ。
『正直』が万能薬であるなら。
想像する力があるからこそ、創造をできるのだろうが、創造はできないけれど、想像はできる、というパターンも当然あって、
いや、昔、なんちゃって動画をぼんやり眺めてたら、『文字が速くて読めない』さんが、結構な数いらっしゃって……。速読ができなきゃ読めない速度――とかじゃあないんだぜ?
彼らの脳内では逐一、情景が鮮明に上映されているのかもしれない。
話してる内容が音として耳に入ってくるだけで、映像として脳に残らない俺の方が、アホなのだろうが……。
あとになって『思ってたのと違う!』を、味わうのが嫌すぎる――というのはある。
だから意図的に、思い浮かべすぎないようにしてはいる。
ともかく想像力には、骨に肉をつける能力に秀でている『受動の想像力』と、単体では魅力のない“糸”を美しく編み上げる能力に秀でている『能動の想像力』があるらしい。
(どちらも才能で自動的に仕上がるという点が味噌だ)
(妻子に恵まれている者は、真の芸術家という評判までは入手できない)
『想像』と『創造』は別物だ――で、話が終わっていたと、思い込んでいたことには戦慄した。
馬鹿だったと気づくことができない程に、馬鹿であることが一番怖い。
『ご想像にお任せします』――を、別に平気だぜ、得意だぜ、と、
受け取る地点へ上手に着地、できませんでした。
さんざん謎かけしておいて、いざ解答! という場面で、『ご想像にお任せします』発言をする――こいつは、推理小説のクライマックスで、『犯人は自由に想像してください!』と、言っているようなものだから、炎上するのは当たり前として……?
(シナリオを開示しきらない、ゲームの話だっけか?)
(一歩でも踏み込むと、純粋な受け手だった頃の激怒ポイントを、明確には思い出せない)
要するにこの世には、究極の送り手ばかりがいるわけじゃないから、一口に『描き切らない』と言っても、『BパートとCパートを読めば、実際しないAパートで何が起こったのか分かる』と、『Aパート、Bパートを提出して、解答のCパートを受け手に作らせる』――の、見分けがついていないプロもゼロじゃない。
――ということなのか?
『BとCを読んでも、Aがわかる仕組みにはなっていない』のパターンもあるな。
『BとCがあれば、頭のいい人にだけ、Aで何があったのか読み解ける』もある。
根本的に、『テンポのよさ』は『緩急・メリハリ』で生まれるので、『要点・山場』に一番、力をかける(つまりその他の部分には50点以下のクオリティも散見できてしまう)ことと、切り離して作成することはできない。
(批判を細分化できていない送り手も多いな)
(自己肯定感も共感も、毎秒は必要ないだろうに)
ええと。
↑と↓のベストの繋げ方は、ご想像に(以下略(2点))。
言い訳から入ると、アレだ。
↑の長文を全部カットして、いきなり立山の一人称で開始し、『実は条 強壮太の想像でしたー』を解にする形式も、一応候補には出た。
しかしこれは、一応謎始まりになっているだけで、全体を俯瞰すればベタすぎて(特にオチが腹立つ)、総合的に『謎感』は薄っす過ぎるということで没にした。
(まさに言い訳)
だから『謎』のことは一旦忘れて、『他人の噂話』に集中しようという案を、採用することにしたわけだ。
これはイメージの修正に奔走するさまを見てほくそえんでいるわけではない。
小説の形式には、『特定の個人の外見』を細断してばらまくことで、『全てのピースをコンプするためには、ある程度、本文を読み込まざるを得ない』という状況を作り出せるという利点があるだけだ。
(最初に全部描写したら、テンポが濁ってくどくどしくなるし)
(最初に全部描写したら、あとで白紙の地の文に、絶妙に頭を抱えることになる)
大山とは言ったものの、170cm付近の雑魚から見上げた感想を隠喩しただけで、デブとかマッチョではない――と断言したら、脱いだら細マッチョである可能性が浮上した。
じゃあまあそういうことにしておこう。
損はない。
《乱読の成功者》と《袖すり公妨》を、思い出すのにも手間取った。
ギラリちゃんが、縁が無かったことを無かったことにした辺りへと、俺は記憶をさかのぼる。




