第零章 上京 012 妖怪の起源について
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ちょっとした背景を描くことの方が死ぬほど疲れるという本音を吐露したくなった漫画家の漫画を、俺は無責任に思い出す。
お世辞にも画力が高いとは言えない漫画家の漫画に限って大ヒットして(あるある♪)、背景は自作の熱心なファンでもある凄腕のアシスタントさんたちが手分けして、苦痛ゼロで仕上げてくれるので苦痛はゼロです。
(ネームが無報酬なのが悲しい?)
(こちとら原稿を完成させたってタダ働きじゃい)
『労苦に比例して即座に見返りが欲しい』という、馬鹿みたいに幼稚すぎる感情なんか切って捨てよう。
この世の中は、『1の努力で1の報酬をもらえる』じゃなくて、『10,000回努力してやっと、しかし莫大な100,000もの報酬を頂ける』というシステムに支配されているのだから。
選ぶ側の立場で考えれば、簡単にわかるだろうに。
ひとあしごとにご褒美くれ、ご褒美くれと喚き散らすモブの中からは、誰でもいい誰かひとりをピックアップするのにも罪悪感が伴う。
二世じゃなかった自分が落とされたら、二世びいきな上層部を叩く癖に、自分が監督の立場に立ったら、利害等いろいろと忖度して、二世じゃない奴を選ばない――これではいけない。
俺が監督なら二世を選ぶから、二世じゃなかった俺は、俺自身も冷たく蹴り落とす。
――これが潔い『侠』だろ。
潔くない態度は、上司に好印象を与えない。
平等を主張するのなら、自身も例外であってはならない。
自分を中心に謳われる平等は、全体のための真の平等から当然、怒りを買う。
俺が編集者だったら、誰を選ばないか?
座席はひとつしかないのに、『権利を99%も主張するやつ』と、『権利を66%しか主張しないやつ』のふたりがいて、君は必ずどちらかひとりを門前払いしなければならない。
こんなもん、誰が考えても同じ答えが出る。
『1努力したら1の見返りが、即座に手に入る世の中がいいよなっ、みんな?』と主張すればするほど、『そうだそうだ』と同調してくれる、同じレベルのライバルが寄って来て、ひとり当たりの分け前が減り、そして同時に、たったひとりの、『10,000のアウトプットを達成するまでは無報酬で結構です』に、競り負ける確率も上がってゆく……。
これはもうどうしようもないだろ。
まあ今は別次元に『ふぁんちあ』? みたいなのがいっぱいあるけど。
小林銅蟲先生も、初音ミクが生まれる前から、ねぎ姉さんでカンパをつのってた。
動画で目の当たりにした、パリ症候群も納得のリアルパリみたいな感じだ。
リアルな東京で最も印象に残るのは、ゼロでないだけで記憶にこびりつく、毛むくじゃらのダンボール。
「――しかしあんな、マンガみたいな境遇って、あるもんなんだなあ」
「あんたが言うな!」
笑顔で突っ込み。
キレがいい。
いや、犯人はお前だろ……。
「というか強ちゃんってさあ、半妖とかじゃないの? はんよう」
「は?」
半妖??
「ほら、今もまさにそうだけど、うちってサンドイッチの餡に、無駄話が猛烈に多くて、テンポめっちゃ悪いじゃない? 東京は一周して妖怪だらけでした――で終わったと思わせておいてからの、ド田舎も普通に妖怪だらけでした――ってオチなんだったらさ、見え透いてるから無駄に長く引っ張らないでほしいのよ」
テンポがいいのと、『意外性とネタバレの境界線が曖昧にしか理解できていない』は、まったくの別物だと思うけど……。
「まあでも半妖とかなんじゃないの?」
「ゆる! まじ!? てきとうに言ったのにw じゃあその証拠は? そう思った根拠は? 普通に人口の何割かが妖怪だったりしたから!?」
「理由は主にふたつある!」
まねっこするも、腕は高く掲げずに、ちいさくピースして、なぜか小声で復唱する彼女。「ふたつ、ある♡」
「第一に俺は、『人間』自体を、ゴリラやチンパンジーの近縁種だとは思っていない」
「バカだww」
「“バキュラム”でググれ!」
「いや~ん♪ “ベルフィー”したくなっちゃうぅ♥」
SiriかAlexaに口頭で質問を投げかけろ、では、突っ込みの台詞として長かったから。
「あと髪の毛な。ヒゲは『性的二形』で説明つくけど、髪だけずっと伸び続けるってなんなん?」
「馬の鬣も伸びるじゃない。あとめっちゃイケメンな牛もいるみたいよ?」
「でもそれどっちも、自然にゃ誕生しねえだろ?」
オナガドリ然り。
「う~ん……。アバウトなのよ、きっと。齧歯類とかいるし、爪だって無限に伸びるし。だいたい同じようなくくりでさ? 遺伝子のバグで、睫伸び続ける人だっているし」
「偶然体毛が薄くなった後、偶然腋毛等が濃くなって、偶然頭髪だけが永久に伸び続けるようになるか……? しかもそれらの要素が、どうして優先的に遺伝する???」
「実に新しみのない疑問www」
「あげみ!」
「好きぴ!」
「D・D!」
「Y、D、K♪」
なんにせよ。
品種改良されている可能性がゼロにならない限り、現代の人間がそもそも、純粋な人間ではなかったという可能性も消えない。
実はもうひとつあったのだが、「ギラリちゃんの眼鏡にかなったから」という、なかなかにクサい台詞だったので、披露する機会を掴みそこねた。
「妖怪ってのは組み合わせが重要だろ? そもそも、『どこそこに行けば誰でも絶対に出会える!』ってものじゃあない」
「組み合わせ?」
そう、組み合わせ。
まず妖怪の起源についてだが――、時代というか世界観的には、江戸以前の、電気もガスも水道も完備されていない世界を、思い浮かべてほしい。
太陽が沈むと、提灯か、ろうそくか、夜空の星しか光源がない世界。
(提灯の中身もろうそくでしょとか言わない)
避けられない夜の帰り道に、真っ暗な洞穴があったとする。
夜の森で道に迷って、さびれた一棟のお屋敷に、辿り着いたとする。
「つまりは当たり前な防衛本能だ。弱者としての自分。喰い殺される被害者としての自分――といった立場から見ると、得体の知れない真っ暗闇に潜んでいるものが、客観的に見て、科学的に遺伝子の構造を分析して、『実は本物の人間』であるかどうかということは、問題の要点ではないわけ」
「ふんふんっ」
主観の話なんだ。
生死をかけた、その一刹那しか実在しない時空間に限定した正と誤。
自分の命を奪いにくる相手は、生物学的に純粋な人間であろうと『化物』。
獰猛な豺であれ、野犬であれ、夜盗であれ、底なし沼であれ。
自分が自分の外敵の総称を、“妖怪”であると定義した。
今風な萌えキャラじゃなくて、病気や死、そのものを誇張した、屏風絵のイメージで。
「真っ暗な洞窟へ、さびれたお屋敷へ、考えなしに飛び込んで、殺されてしまえば寿命が終わる。だから逆算。それを避けたい――、すると、何もない入口に、ありありと、想像力で、鬼の幻が、幻の鬼が、浮かび上がってくるわけだ。まだ何の事件も起こってはいないのに……。これを『妖怪が見える』と言う。こいつが『霊感がある』の正体だ」
「半端に運が良くて、命からがら逃げ伸びられたパターンもあったでしょうね」
そうだな。
そうすれば、混乱の中、混濁した恐怖体験に更に、尾ひれはひれがつくことになる。
いきりたつ夜盗と牙をむいた野犬が、ぐちゃぐちゃに混ざり合ったモンスターが誕生する。
実際に体験してからでは遅いから、愛する幼子が不用意に近づかないように、鳴いても叫んでも繰り返し繰り返し、語り聴かせるかもしれない。
「それでまた妖怪は進化する……」
しかし文明の波が激しく押し寄せた!
電気が発見されて、電線が整備され、街灯がともって、『暗闇』の数が減った。
危険の潜む可能性がゼロではない暗がりへ、間違っても自身を進ませないように、わざわざ妖怪を自作する必要がなくなった。
それよりも懐中電灯のスイッチを入れる方が簡単になったから。
「精神的・肉体的に未成熟なら。勇敢ではなく臆病なら。時代に関係なく、見えやすい傾向にはあるだろうけど」
「さっきのホヮちゃんとか、ラユアちゃんみたいな?」
「まあそうだな」
変質者にカウンター・パンチを食らわせられる、筋力と胆力があれば見えない。
安全圏から飛ばしたドローンにも、危険信号は映らない。
「あと、名前が憶えられない問題もあるな。知名度が下がるに従って、存在感は希薄になる」
「化け犬さえ食い物にする加害者にも、化け犬は外敵に見えなかったり?」
その場合、彼らには何が外敵に見えているのだろうと、質問で蓋をして強引に話を結ぶ。




