第零章 上京 008 ママがいっぱい
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これしかないよな?
普通に考えてこれしかない。
俺は最初からこのトイレの天井に、はしごを収納してあると睨んでた!
(ほんとは初めにお世話になった、でかい衣装ケースみたいなのに)
(移動のたびに詰め込まれるのではないかと燻っていた)
うう、狭い。ここも狭い!
真上の階へ直通かと思いきや、ガチの天井部分を這って移動。
(予想外だったぜ……)
(おそらくお手軽に手元のスマホ操作)で下へ開いてゆく、はしごを下った先にもおトイレ。
……さておいて、扉を開けるとその先には、またしても俺の想像を飛び越えている、ギラリちゃんの自室が広がっていた。
完っっっ全にハメられた。
今更すぎだと思うけど、と理性にまで鼻で嗤われる。
悪趣味だ。
こいつが今の俺にできる、精いっぱいの罵倒だった。
「……っ!」
ひとまず頭で叫んでみたのは、『情報量が多すぎる』。
(神経がたくさん集まっているところは、『触覚』と言ってもひと味違うのではないか?)
『なんのために(呼び出した)?』――なんて、些細でありながらも引っかかってモヤモヤする疑問に、『これしかない』というたったひとつの解が、欲しいという正直な本音で自縛していた。
人間を飛び越えて食い物にする知能犯は、一石で三鳥も四鳥も撃ち落とすという。
目に飛び込んできたもの――天井は低く、その点に限定すれば間違いなく圧迫感を認められたが、壁やドアが限界まで取り払われた間取りには、解放感以外の何者も存在しなかった。
鼓膜にエコーする話し声。呼吸で鼻腔に感じる湿気――、浴室の中だというのか?
大きく育った観葉植物を枯らせないためだろうか、ミニアチュアの太陽は、数的に惜しげもなく、雑貨店内部を再現したスタジオで、八方へカッと目を光らせていた。
(いや、それどころじゃない)
(ガチで、マジで、まったく本当に)
ベタなら『君のを読む必要がない』。
前代未聞でも『それじゃない』と唾棄。
クリエイタ―志望かどうかは関係がない。
誰もが生きてるだけで妄想家だ。
(『detail』を『ディティール』って言う奴、マジで『destiny』を『ディスティニー』って言う!)
(なんという意味のない走馬灯……)
だいたい普通は以下、2つのパターンへ収束するだろう?
見られたふたりが心の底から、誤解を解いて欲しそうに、焦ったり頬を赤らめたりする。
忖度の暴力ヒロインに、羞恥で「エッチ」か「スケベ」か「出ていけ」と、絶叫させる。
俺なら叩かれても構わないから、後者を選択すると思うね。
ママがいっぱい。
しかも自宅(? まあこの中の誰かの自宅ではあるだろう)の中――更に今は夏なので、皆さん相当にラフな格好だった。
パソコン、スマホ、タブレット、凍りつかないUSBファン……。
未来を超えて宇宙感のある、バケツクーラーに電気蚊取り器。
ホワイトすぎる会社の、デスクワーク……風景?
ママと言っても、そりゃあ実際に我が子らしき物体を抱いているから、そうに違いないと、俺が判断しただけで――、
世代を問わず、流行の先端な、むっちむちのアラフォー(38)経産婦ダラケではない。
ともすれば(恐ろしいことに)自分よりも若いくらいだ。
(確かにこういう生命の神秘系は、ログインなしでも閲覧可能だけれど)
(全部ではないにしろ)
こっちの方が恥ずかしいわ。みたいな、世話焼き気質顔で、ぼんやり栗髪ウェーブちゃんの、サイドに閃くスリットの、ファスナーを懇意で上げてあげた、眼鏡の彼女も授乳服。
(終わった)
(何もかも)
『誰?』とか、向こうが『こっちの台詞』だろう。
――赤の他人の居住空間へ誘導された。
――こいつはとんでもないことだった。
用済みになったからって、こんな棄てられ方は、想像力云々を飛び越えて、実に冷厳な大都会らしくて、また一周回って感激へと急接近――
していたその時である!
「えっ、強ちゃん来た!?」
名は体を表しすぎる、ギラギラしたこの美人に、安心感を覚えた時点でメンタリズムです。
(オ・ム・ニ・バ・ス! パビリオン!)
中2とゴスの間なネイルは、本人から見て逆十字。
「強ちゃん、いらっしゃいませぇ♡」
笑っていない目の奥が見えない、いたずらっ子狐スマイルはこんなところにも。
「ここが私のおうちです♪ どうぞ、どうぞ」
俺は素足が濡らした床を、踏みしめるのは嫌だ系の潔癖だったようだ。
(靴下履いてるから当たり前と言えばそうだが)
冷静に考えれば、赤の他人の室内へなんて、あの“はしご”を下ろせるはずがなかったか。
やって後悔したことしかない。
ママがおっぱいと言っておけばよかった。




