第三章 Q愛 第七節 本物の魔法
七
「はぁ? スポンジ? いきなりなにを、というかお前……?」
「ひぃ~っ、すっぱ~い……!」
今ぼくは完璧に思い出していた。
ああ、なんて情けないんだ。
そこまで出かかっていたどころではない。
木を見て木を見ずだこれは。否!
ツメバケイを見て手羽先を見ずだこれは!
「諦めろそんな意味不明な勝負は! なんでもかんでも感情任せに受ければいいってものじゃないんだ! スライスしてクリームを挟んで重ねてまたたっぷり塗って、苺を適宜乗せた方がおいしいに決まっておろうが! ショートケーキというものは!」
「なんや、なんや!? なんの話や!?」
――激怒すべきだったのだということを!
想像上の暴漢相手に効果覿面な護身術でもなければ、小心モブを暴力で脅すハリボテでも、出演者全員で仕方なく画策してる感に満ち満ちた、情動的なネゴシエイトでもない。
「いや待って。あのな、だからな? なんでおどれうちの煌撃が……、」
「ええい喋るな、忘れる! いいか! どうして感情が嫌いなのかというと、怒りが9割を占めているからだ! 感情ニアーイーコール怒りなんだぼくにとっては! だから丸ごと押さえつけているわけなんだ、すぐ飛び火するからな!
何が喜だ! とりあえず笑ってごまかそうとする面には虫唾が走る! やるなら目の奥まで笑え! 可哀想ってなにその偽善!? ぼくは牛の肉を食う! 楽しみを奪われて不機嫌になることこそ、悪なる矛盾じゃないのかよ!?」
「はあ……?」
ぼくはその点に置いては本当に腹が立っていたし、このまままっすぐ進んだ先に、おそらく助かる道がある。その上、ほかに打つ手がないときた。となると使うしかないだろう。
自称ではない本物の魔法を。
幻覚を普通に見せられる、何の変哲もないただの話術を。
幼稚園児にも放てる『梅干魔法』と言えど、化学物質の投与なしで人体もとい妹体に、化学的な変化を起こすことに成功したのは間違いがない。
自信をつけるのは大事なことだ。
ママの助けを待ってどうする。
ぼくはもう一度自分に言い聞かせた。
これに失敗しなくとも死ぬのだと。
「答えろよ、お前はスポンジを自作してばくつくのと、店頭でショーケースの中から選ぶのと、一体どっちが好きなんだ……? どっちのケーキの食べ方が、お前は好きなんだよ!?」
「なんやその質問。スポンジを自作してばくつく方が好きで~す言うたら頭おかしいやろが」
「そうだろう!?」
「ひぃっ、触りな! 気持ち悪い! 臭い! 男臭いっ! いやぁ! 近い、あかん、なにを……、揉みまわっとんじゃ、ボケ!」
「ぐぅ!?」
あんまりにもチートすぎたからだ。
ビル群を千切りにするパワー。百名強の自称魔法少女と互角に渡り合える頭脳。あの《ジ・オーシャン》の煌撃を避けるスピード。浄化も封印もできないこと。煌撃系魔法を使えること。《レイピア》も《ニンジャ》も倒したこと。人間にまるで容赦がないこと……。
となると答えは絞られてくる。窮地、感情、憤怒と続いて間違いないと第6感する。
つまり彼女の正体は――、
「あははははは!」
魚眼レンズへ吸い込まれる尖塔の鐘は、ひとつ残らずオオゴマダラの蛹で、一斉に羽化して飴の雨が降った。光ったと思ったときにはもう、ピンクパイアは空中饕餮文の上にいた。顎を引いて腰をうねらせ甘えるように寝そべって。オオゴマダラと饕餮文を、どうしても検索せずにはいられなかったきみのように、もぞもぞとスマホを見ながら、
「メガネ、お前、うちのこと絆そうとしてんねやろ? 結局我がが助かりたいがために、必死で嘘を練りよんねや。誰がそななもん信じるかい。あほやないですか? おほほ♪」
「そりゃそうさ! 当たり前だろ!? 他にすることがあるか? え? 暇なんだよ!」
「ふん、なんでもええけどな。女連れたまま言うんはやめぇや。欲張ってられる身分かい」
女顔の雪美とべろちゅーしても気持ちいいように、男勝りというか勝気な女子というのも、なんかこう、ぐっとくるものがあった。
実にベタだが。王道系のツンデレというのか。いや、ギャップ好きグループに属するかどうかは保留するとして、こいつがにゃんとか言って甘えてくるようになったらそりゃあ……、したくなるだろうなとぼくは白昼淫夢した。
昔から好きだった。発情してけばけばしく見せびらかすマクジャクのオスよりも、庭の隅でぽってりまどろむウズラの方が。
そういえばここが、神聖なる女子の部屋の中、か……。ラムズホーン渦巻くベッドに横たわってもサイズダウンしないお椀を、自分で整えてつまんでとろん。それは一体どういう顔だ。
「うちのおっぱい結構大きいやろ?」
相手は気分屋な煌撃系。真面目に考えても暖簾に腕押し。険撃系の長所を見習うのが、自称頭良い子と付き合う最良の方法。
ごくり。
ぼくは下心を隠しきれないふりをしてみせた。
「うちには夢があるんよ。平凡やけど、とってもあったかい夢が……。あんな? お仕事のできる女をこそ、自宅に繋ぎとめたいとか口に出して言いよる、支配欲の強い男っておるやろ? せやからうちも繋ぎとめたい。『奥さんがひとりじゃ足りないよぉ』とか抜かす男の首に紐つけて、死ぬまで永遠にうちのためだけに。ええやろ? こっちだけ思たらあかんやいうことがあります? っふふ♪」
胸の下で腕を組む。ぐっ……。
画面の向こうの女装男子のようには、無暗に髪をかきあげない。
「うち男子とお喋りするの好きやー。女はキーキー煩ぁてかなわん。ああ、それでな? 子どもはそのー、産めるだけ欲しい? いやん♪ いやせっかくの安産型やからぁー、お腹もなんかうずきよるし? あぁん♪ 自慢やないけど、うちこう見えて結構尽くすタイプやねんで? 育児に疲れてても喜んで癒してあげます♪ お風呂やなんか入らいでええ。うちが毎晩舐ったる。毎日毎日うちらのために、お疲れさまどすぅ? ぺろぺろ♪ ――そぅやからな?」
満悦の流し目が、ぼくを逸れて即おかえり。
「お前、そのチビ殺せ。それでうちと繁殖しよ? うちだけと一生、ねっっとりと。っふふ♪ 気持ちええよー? やぁらかいよ? ええ匂いするよ? とろっとろで甘ぁいよ? ふふふ、嫌と言うたら誰が死ぬかよぉ考えろよメガネ……、アははは!?」
爪で手刀を強化して躍りかかってくる――なんてことはありえなく、歯科医院という歯科医院から、ドリルミミズがぬらぬらと飛び出した。
この様子だと全種類ありそうだ。




