第二章 幸せすぎて涙出る 08 塞翁失馬というわけね
帰り道。隣を歩くにりるが言う。
「でもすごいねー、瞑ちゃん。蛇とか平気なんだ?」
ちなみに俺はこいつの自転車を押している。何故だ。
怖くないの、と問われて、怖くない。と端的に答える瞑鑼。
「どうして?」
「……うっかり殺してしまっても、絶対に人殺しにはならないから。安心」
「そ、そっかあ……?」
俺を見られても……。俺もそっかあとしか言いようがねえよ。
口に出した言葉が全てだとは思わないけどな。
「瞑鑼お前それ飼うの?」
「飼う!?」
やめてよぉ、と心底嫌そうな顔でにりるが言う。いやお前一緒に住んでるわけじゃねえだろ。とはいえ俺も飼いたくて仕方がないわけでは全くないが。瞑鑼の生きる力に変わるのなら、背に腹は代えられない――というだけだ。毒蛇じゃないらしいし。
しかし瞑鑼は、「いいえ」とまた短く答えた。
「蛇って冷凍ヒヨコや冷凍ウズラ、冷凍マウスに冷凍メダカを与えなきゃいけないから、犬や猫、メダカやカメと違って面倒なのよ。それにそれらを購入するために、ショップの店員さんに定期的に会わなきゃいけないのが何より無理。そんなに頻繁に眼帯もしていない人間と顔を合わせていたら、誇張なしで発狂してしまうわ。近所の自動販売機で売っていたら喜んで飼育したのだけれど、どの道、専用の冷凍庫を購入するお金なんてどこにもないから結局無理ね」
「……そうか」
覗き込まれている。うぐぐ。仕方なく目を合わせる。満面の笑みだった。いや俺は実兄だから初めから全部解ってたから。瞑鑼が用水路脇の草むらで立ち止まり、しゃがみこんで蛇を放す。カラスヘビは真夏の砂浜へ注いだ真水のように、闇夜に融けて見えなくなった。
「何か良いことあるといいな」
「嫌! やめてよ、要らないわ。そうしたらまた嫌なことがあるもの」
「そしたらまた良いことがある」
「……塞翁失馬というわけね?」
「ああ」
家につくと、さようならと頭を下げてから、瞑鑼はすぐに手を洗いに行った。いつだって電話を自分からは切られない俺は、まだ自宅の前でぼんやりしていた。夕日が綺麗だ……。ああ、これは俺のじゃなかった。思い出して、三夫婦家のガレージへ自転車を仕舞う。
「明日は部活、行けると思う」
「そう?」
「親父さん今日帰ってくんの?」
「んー、わかんない」
「なんかあったら電話しろよ。今日はカレーだから」
「えっ、じゃあ今から行く! ちょっと待ってて!」
「えっ、おい……」
今――まあいいか。寧鑼も居るし。金曜なのに海軍カレーじゃないけど、それも別にいいだろう。
「あはは! あーっ! ちょ、むぃひひ……! やめ……、あははあ!?」
どの位置で待つのが最善かを模索していたら、玄関の扉ががちゃりと開いた。
「ごめん、お父さん帰ってきてた……」
「よう、なっちゃん。こいつの護衛、サンキューな」
俺より背の高い三夫婦にりるにそっくりな顔したその親父の身長が、俺より低いはずもなく。
「い、いえ、護衛というほどでは……!」
「そうだこれ、持っていきなよ。ほい!」
「あ、ありがとうございます!」
なんだかあのカニクイ野郎みたいなリアクションになっちゃったけど、これはにりるパパが俺たちの通う極彩色市立新橋色中学校・高等学校の先輩でもあるからだ。
てか受け取るとでけえ! 一番大きいサイズじゃねえか!
「のおーっ、ちゅーはまじでやめろぉーっ、くせえ」
「そっ、それでは……」
「おう!」
「じゃまた明日ねー。ばいばーい!」
ぱたん。
結論としては、隣に住むガチ幼馴染も、現実世界では厳めしい親父のものだということで。
俺は文房具の袋と特上寿司の詰め合わせを手に、自宅への門をくぐった。
ふと見上げた西の空には、一番星が静かに光っていた。