第三章 Q愛 第六節 首から上のない人間
そうだ、ぼくも幼いころは、こいつらが一番怖かった。
というか不気味だった。三大欲求を満たし放題な檻の中で、永遠の夏休みを謳歌しているライオンの千倍。
いま冷静に分析すると、サバイバルを数で勝ち抜く植物食の動物には必然的に、高い知能が備わっておらず、結果、悪夢の中で人を斬る童子を連想させられたためだろう。
その顔が。
薄ら笑いが。
背が伸びて性に目覚めて恐怖どころではなくなって、兎と見分けがつかなくなったからだ。
逆に虫は相対的に小さくなったがために、些細な不注意で殺生人になってしまう危険性から、大人は怖れるようになる。
装えなくなる近未来を。
手招きされている現状を。
身体が動かない。
何が変なんだ?
上の前歯もちゃんと無い。
誰でもそうだと思うけれど、ぼくもこのときおんぶや抱っこを頭の中でせがまれた。妹と一緒に育ったお姉さんモノなら、やれやれとしぶしぶ。そうでないモノなら、優しく頭を撫でてからヰンヰンだよねと仕方なく。明確な理由のない子供嫌いなら――ふっと軽くなる――ぼくがひとり取り残された。
えっ?
水を打ったようにピアノが夢遊するバイノーラルビートの中、屹立する黒い影へと意識が吸い寄せられてゆく。
回る不安と褪せる色。ゆっくりとすれ違う飛び出し注意。毒々と胎動する肝脳塗地。加速度的に思い出す愛してる。明らかになりゆく四足獣。
どういうことだ?
待て、違う。
お前は今、その動物に。
守ってくれない知能指数に――、
畏怖したところなんだぜ?
そいつだけが暖りと動く。
金縛りが解けたように思った。
そのためか。
横顔を寄越されて直感する。
そいつだけ角がそうなっていたために刃楼、お前は――!
錯乱して振り返ったぼくはなぜか童心を取り戻していた。ヤギ臭さも怖かった。感情を表す語彙が少ない。
消えた鉄柵と嘶く巨群。人間様の道路を躙る、食肉用の非捕食動物。気が付くとずいぶん前から空がピンク色だった。赤よりもよっぽど血潮に見えた。このスーツもネクタイも。
街がない。
握美が宙に留めたビルの一破片も、後ろの正面にはなかった。
それは丑三つ時の鏡の向こう側であり――、
振り乱さずにはいられない。
行くなと言いたかった。
ただ駆けた。
回転する看板はひとつ残らずミミズクだった。どこまで逃げても目が合った。獣道でビルが歪む並木道。遡る時間と沈まない3時のおやつ。聞こえてくる囃子の嫁入り。マッチ売りの他人の夕飯。首から上のない人間。影の長い首から上のない人間。影のない首から上のない人間。笑えない笑い声と育たない友情。山から見下ろしたおもちゃの町並み。首から上のない人間。赤ちゃんの泣き声で波打つ鳥肌。哂われるチキン肌。一本道な有難迷惑。
あちらの方が幻覚で、ぼくの方が低かった。運動をすると損傷した筋肉へ漿液がまわるために頭が冷えるという理屈。爪を噛む癖が治らない。どちらかと訊かれるまでもなく、甘える方が好きだった。
額の一本角まで溶かして童女へと成り変わったそれが、とても食べ物には見えないペンネ・リガーテを踏み散らす。
飛びつく。泣き喚く。そのシルエットを見てぼくは、消化された雑草のあるなしにかかわらず、内臓から貪る理由に得心がいった。
ただ骨まで吸収できるだけだ。
食いっぱぐれたら死ぬんだからな。
ちゅうがくにねんせいのだいすきなかっこいいはろうおねえちゃんにしがみついてすすむとそこには、
バラバラに切断された、《雷電の三又槍》。
その持ち主をどうしてか、ぼくは昔からよく知っていた。




