第三章 Q愛 第五節 自分本位と他力本願
五
なぜかというに、邪気がないから。
下心もないし、見返りを求めてもいない。
それにたとえそうだったとしても一向に構わない可愛らしさがそこにはある。
赤ちゃんだけなら赤ちゃんを。赤ちゃんとキョロジューなら赤ちゃんへ。しかしキョロジューオンリーになった場合、人はそんな意味不明なふれあい広場なんか即刻、思い出からも消し去るだろう。
強制選択イベントがどうした。
直後に笑顔で棄てるかどうかの選択肢を自作する力が人にはある。
撫でるととろける鸚哥まで消えたら、ぬいぐるみやゲームのキャラと遊ぶし、それらさえも取り上げられたら絵を描いて楽しむ。
つまるところポミトキは、ライバルをどれだけ削除しても求められることはなく、モテるためには中身を改善するより他にないのである。
パフィンピンクオーロラだけは違う?
そんなわけがあるか。
全員を平等に愛するってことは、ひとりあたり一刹那しか構っていられないってことだぜ?
彼女は確かにきみのことが大好きだけれど、ぼくのことだけが大好きってわけじゃあないんだ。
体育会系の部活に入って腹筋を割るしかないんじゃないか? 球技や団体競技が苦手でも、脚が速ければそれなりに好かれるだろう。文化系の部活動をやっているからという理由でモテている男女を、それほど見た覚えはないし……。
しかしこれこそ、そんな動機で足を踏み入れたが最後、二の轍で検索して、ねーよと空威張りするように、同じ轍を踏むというやつだった。
いや、キョロジューやポミトキはただ単に、“維持”が不得手なタイプだったか。
モテることはモテるんだよな。行動するから。
獲得すらもできなかったのは偽歳の方だ。
自分本位と他力本願に、同じ時期にエンカウントしただけ。
オーッパパパパを思い出して、くそう負けたちょっと笑う。
ぼくは常々、経済力さえ手に入ればと考えている男子高校生だが、大人時代というものも、そう簡単なものではないのかもしれない。
中身を燃やし、外見をねじふせ、狙った獲物を確実に仕留めて永遠に手元へ留めておくコミュニケーション能力まで手に入れたら――、
(疎まれて妬まれて僻まれて嫉まれて、ブッッ殺されそうだな……)
だから言ってしまえば、あいつらレベルの奇人でさえも、悪癖を矯正する必要はないのである。というかむしろすべきではない――なんて言わなくともどうせできないのだろうが。
自省、自戒、自嘲できる強さが、ヒット作を世に送り出し続けてきた、誰もが認めるオールラウンダーにはある。
醜面な自分そのままの語り部であれ、思い描く理想の姿なチートであれ、欲望を丸出しにさせてオチで痛い目に遭わせる――これが、読んでいて小気味よいのだ。
ただ、それだけでは味気ないし、そればかりだと悲しくなってもくるために、せめて妄想の中では良い思いしたいでしょ? ん? ん? 系の展開が、時折挿入されるのだろうけれど。
「すごぉーい! なぁんだ握刀川君、スポーツできるんじゃない!?」
「あ? バレーと野球とマラソンとバドミントンは別だろ」
無論、ボウリングと競歩と水泳も。
「え。なにその基準、きゃーっ♪ かっこいいーっ♡♡」
「やめなさい、恥ずかしい」
でも今度は調子に乗って基本を忘れてオレの時代キタと自惚れて、あるいは少しの痛みも我慢したくない『逆ドM』である事実を隠しきれなくてこの割合を多くすると、莫大な印税を手に入れている原作者が更に自分を慰めて気持ちよくなっているようにしか見えなくなるから叩きたくなるんだよね。
もっとぉ♪ なんて息を弾ませてせがむドMなんかいじめてもまるでつまらないもの。
その強さがぼくにはあるだろうか?
でも如何せん無情世代だから、前振りとなるところの、丸出すべき欲望がそこまでないんだよなあ……。実母を愛しやがってテメェなんて因縁はつけにくいだろうし。
学校というものはつくづく不潔向きの家屋だと思う。シャワー浴びてえ。白い雪美は男だけど触ってもセクハラにならないからいい。うへへ。
放課後も体育祭に向けての練習をした。
「絶対優勝するぞー!」
『おーっ!!』
本家ならきっと、ボブ子を越えてくるのだろうなとぼくは思った。
本日の火菜は始終あけすけに、逆ガスコンロファイアヘアだった。




