第二章 幸せすぎて涙出る 08 文房具のちシロフクロウ
宿題を(俺がほとんど)やりつつ遊んだあと。
一般人の感覚に換算すると余裕で百年は経過したらしいので、俺たちは百年ぶりに目的捜し夢探しを再開した。今日は気分を変えて近所の本屋へ。手を繋ぎはしないにせよ、できるだけ離れないようにして文具コーナーへ向かうと、そこには夢のような光景が広がっていた。
やはりいいね、文房具。心の中の乙女が疼くぜ――と俺が思っても仕方ないのか。顔を見る。少なくとも拒絶反応はなさそうだ。ふと目が合う。首をかしげながら微笑んでくれた。自然とこちらも笑顔になる。眼帯の『髑髏と骨』をピンクのハートに変え、ゆっくりと点滅させてくれたときには、ハンカチを持ってきて本当によかったと俺は思った。
餌付けされているだけだと解っていても。
(嗚呼っ、ごしゅじんさまらいしゅきぃ!)
ともあれ。文房具も当たりだったようだ。何も欲しくないとは言っても生活必需品は別だし、選ぶとなると――嫌いなものは選ばない。
それでは昨日うっかり描写し忘れていたわけでは決してない七七七瀬瞑鑼の私服について、事細かに語ろうかと、思ったところで叱られた。
正確には叱られながら脇腹に手刀をぶち込まれた。俺の脇腹は大人気なのか。そして今度は俺かよ。不運の女神さんよ、俺ルートに入って――来た方がいいのか。上等だ。
「愛してやるぜ」
「えっ、いきなりなに!?」
「それはこっちの台詞だよ!」
完全体右瞑鑼様が有らせられる手前、小声で突っ込む俺だった。
「それよりなんなの? 最近休みすぎでしょ。なんで来ないの? にゃーん」
三夫婦にりるは、試し書き用の紙に猫の絵を描きながらそう言った。
「いや、最近こいつの調子がよくってな」
専用の小さな籠へ、食べられない果物を摘み取ってゆく、背中を丸めた白猫を紹介すると、にりるは抑揚のない声で、ふうんとだけ言った。
「見て、見て」
「上手、上手」
シャーペンの芯を物色。筆圧が高いから、2HとかFとかに興奮。そして試しに――って。ちょっと待て。絵を描く人の隣にいるから絵を描くって! 無意識! 感化され易すぎだろ、俺……。スコティのつもりだったのに、阿波名物、滝の焼き餅みたいになっちゃった。
「今日は何したんだ?」
「今日も減雄とキャッチボールー。それだけー。だからすぐ帰ってきちゃった」
「部員も増やさないといけないんだよな……」
「なにそれ? あてつけ?」
「そういうことじゃない」
言い訳をする代わりに、さりげなく胸元に下げられた逆十字のペンダントを褒めると、にりるはそれをそっと握りしめ、父さんの形見なの、と物憂げにはにかんだ。
「そっか……ごめん」
「いや、突っ込めよ」
「お前のと、」
「きゃああっ!?」
なんだよ。
なんなんだ一体、
『うるうおわあっ!?』
驚いたのも一瞬。二重の意味で血の気が引いて、ふたり同時に口をおさえる。何事だと見物に来た誰かが、遠くで小さくうわっと引いた。なになに? どしたの? あれ見てみ。
真っ先に、アーちゃんがいたらと思ってしまった。次に、どうしてこんなところに。三番目に、あっ、あっ。四番目に、瞑鑼へ向かうな守るとか大言壮語しておきながら結局これかよ、この場合『何もしない』『即断即決』のどっちが正解なんだ俺は今どちらを選ぶべきなんだ!?
他の生き物ならまだ問題はなかった。ゴキブリでもトカゲでもカエルでも、靴であしらうことができたから。しかし、日本にはもともとどれだけの蛇が棲息していて、どれだけの外来種が帰化しており、そのうちのどれだけが毒を持っているのか。また、どの蛇が幼体時だけ毒蛇に擬態しているのかが、素人には全く判らない。
蛇だけは無理という人は勿論、蛇に興味がない人なら尚更、積極的に調べて永久に暗記しておこうなどとは考えつきもしないだろう。登山家でもない限り。どうしてこんなところに? それはさっき考えた。正確にはカエルにも毒があるって? そんなことを言いだしたら人体の内部にだって毒はあるだろ。ああ、もう即決即断の選択肢は消え失せた! いや今! 今この瞬間からどちらを選ぶかだ! そうか、俺は見た目の毒々しさに惑わされていた! 全て有毒と考えて対処をすればよかったんだ!
「お眄さま。決まりました。これ……」
「ちょ……、瞑……!」
動くなと言う前に瞑鑼は普通に立ち上がり、黒蛇は瞑鑼をスルーしてどこかへ行った。それこそスルスルと。心臓がドキドキする。流石に『何もしない』を選んだとは言い張られない。
「うわっ! こっち来た!」
「うそ、ヤバいよ! ちょ、ヤバくない!?」
向こうでそんな声がする。
「瞑鑼! ……あれは、毒蛇?」
そう訊ねると、彼女は眼帯に再び『髑髏と骨』を表示して、いいえ。と言った。
いや、どっちなんだ。
「人を呑むような大きさに見えて? 攻撃しなければどの蛇も無害よ」
籠を受け取る。ふと触れて、冷たいおててに背筋が凍った。しかし殺せという嗤い声が聞こえたその直後、呆然としていた俺とにりるの目の前で、シロフクロウが音も立てずに宙を舞った。
「――こうして頭の後ろを持てば噛まれないわ」
後頭部を摘まみあげられた黒蛇が、百八十度近く開けた口をこちらへ向け、自由が効く残りの身体全部を、右瞑鑼の右腕へぐるぐるぐるぐる、
「ね?」
『ぎゃあ―――――――――っ!?』
「シマヘビの黒化個体。カラスヘビ。無毒よ。ほら、牙の長さが全て同じでしょう?」
また悲鳴。それに構わず瞑鑼はもう一度俺に視線をちらと投げ、右腕の魔物をうねらせながら、すたすたと外へ出て行った。
そういや自己同一性その一が、リューシュナントカのブラッドレッドスネークだっけか。
違ったか。