第三章 Q愛 第三節 満腹のハヤブサ
三
一生懸命先輩のように、ついには辞苑様公認の日本語へと昇進できる輝かしい未来を予見させて、火菜・ヴァレンティーネ・ヴァンダービルトリリエ馴染が爆笑。
いや、まるで大勢が一斉にどっと大きな声で笑ったようだと隠喩しはせずに、ただ直喩しただけだと主張すれば、板挟みに苦しむ入社3年目的な現在でも、国語的に間違ってはいないのだけれど。
「それでもう大変。何でも根性で解決できると思っているのかは知らないけど、『うおーっ! きみが必要なんだぁーっ!』って泣きつかれてさあ」
「ヒィーッ! アァーハ!?」
「もう筋肉はゴリゴリしてるし、指先もゴボウティーだし、男臭い汗と涙にまみれる先輩がしかもふたり! 全国を目指そう今こそ男子が立ちあがる時、いやむしろ愛しているとかわけのわからないことを口走りながらぼくが求められるッ! どぉすりゃいいんだ一体!?」
「カッ……ハ!? ハッ……! くヒッ――、」
「頼れるのは口だけだった! ぼくは必死に叫んだ! 『アスリートで184なんてチビですからぁ!』。でも事実ぼくよりも背が低かったふたりは諦めなかった! きみはまだ高1なんだから充分に伸び白はあるよっと力説されたときには危うく納得しそうになったよ! そこでぼくはふたり――つまり男子バスケ部のキャプテンと男子バレー部のキャプテンの頭を咄嗟に掴んで口付けさせて、その隙に人美木さんをかっさらってここまでやってきたというわけさ?」
「アハ――ッ!? むヒふ、ヒ……!? くふん、はッ……! んく、最後のやつが……!」
こいつの笑いは上品でなくとも洗濯した身内の下着のようなもので毒がなく、ぼくに改めて何事も人によるという真理の正しさを確信させた。
「一番、わけわからん……! ひぃ~~~……っ!? なんで、さらって……!? んふんw」
「火菜お前、そんなに笑ったらちょっと漏れるぞ」
「ふぅっ、はぁっ、え……? ぱんつかえよう。一滴も漏らしてないけど。んふっ……!」
ベッドから降りる動作に男らしさは微塵もなく、下品なガニ股になることもなかったのだけれど、ワードローブへ辿り着くなりするんと脱いでお尻丸出し。
これで笑いしか込み上げてこないのだから、こいつは間違いなく稀代の天才だとぼくは今日もしみじみ思った。
わざわざぼくに相談しに来たことから、やはり、長身男子とはぼく以外にありえなかった。人美木さんは一言も女子とは言わなかったし、そういえば入学当初に、それぞれのマネージャーから声をかけられたことがあった。
今考えるとあれこそが差し金だったんだなあ。
当たり前だけど。
そして今度も“女術トリック”を使った。いやあ、手強かった。何度も思い込みイケメンの顔を見せちゃったよ。嗚呼っ! 『ごめんな?』とか低い声で言っちゃって、超黒歴史!
「ほら、靴下も脱いで」
「んっ」
差し出される。しゅぽっと抜ける。切らなきゃなあと考えながら、反対側もよいではないか。ひとつにまとめてレイアップ。ぺよんと外れて拒否したぼくが、正式に正義側の人間となる。
どうしてこっちには刺戟されるのか。蒸れてるからか。触られたときに限って感じる淫猥な恥部だからか。まだ温かい濡れタオルで一本一本丁寧に拭く。皮脂を皮革をくりくり拭う。
「ではお嬢様、今夜はどちらのパジャマで眠られますか?」
「えーとー、そっち」
選んだ兎を手渡す前に、別のタオルで顔も拭く。耳して首してひっくり返して、腕と脚は自分でしなさい。制服の中へもぞもぞ潜る。谷間から腋へ。先にズボンを穿いてからスカートを脱ぐ。くりんと回って早着替え。ぼくはすごい上手と手を叩いた。
よし、アイロンしよう。
「ボケの方が人気さ。突っ込みで引き立てられてるだけなのに、超面白いことを言うやつだと誰もに認識してもらえるからな。それでもアレだ。表情が豊かでない方がよりボケ役に相応しいことはもう、笑いの構造上仕方がないことなんだよ」
「……えっ、私に言ってた!?」
「3人ともボケみたいなところがあるからさ。いや、『誰でもいい』って意見の共感で繋がってる感じなのかなーって考えてたら、あーそういやツッコミいないなー、みたいな」
「はあ……。え? 表情? 火菜ちゃんって豊かでしょ?」
「あ? ああ、じゃあ無表情になってみ? そしたら判る。ぼくらなんかこうだから」
3、2の1で暗転すると、人美木さんは最も適切な間を置いてから、
「目、怖!」
「つまりこれで奇抜なことを言う。このズレ・ギャップが笑いを産むんだ。はい、火菜さん」
「オコローリヨォォォオオオオオオオオオオオオオオオ――――――――――ッ!?」
「いやだから豊かになったらだめだって!」
「待って! ちょ、裏切られすぎてわかんない!」
触っちゃいけない女子力の権化が振り乱されるも元通り。
汗のかき方から両掌のわななかせ方まで完璧。
妹がいないときはこの人に頼ろう。逆にこっちはどれだけツッコミをやりたくても、基本的には今みたいに、約束を破って唐突にぶち込むというボケの形でしかできないのだから。
下の名前は礼音だった。母の名前は麗乃だろうか。祖母の名前は怜世かな。
やはり順序。
ポミトキを対処しない限り、握美離れができればできるほど危険……だよな?
握美には嘘をついた結果になるけれど、そこを掘り下げるのはもう少しあとだ。いや、むしろあいつが攻めてこなくなれば、当然過保護になる必要がなくなり、自然と克服できるのでは?
洗濯物籠を脱衣場へ置いてきたぼくは、妹がお腹に入っていたころの写真を眺めながら考えた。
どうすればいいのかね。引っ越すしかないのかね。越してきた先があの家なのだが……。
ではポミトキの死亡が最高の理想なのか?
ううむ……。
永遠に変身したままでいるというわけにもいかないよな?
うむ。
そりゃあ一生起き続けていられれば絶対に隙なんか生じやしないけれど、その代わりに間違いなく寿命が縮む。
別にぼくは、魔法少女様を守りたいなどと高ぶっているわけじゃない。敵は同じ無能力者なのだ。そこまで彼女たちの手を煩わせたいと欲するほどに男が退化した覚えはない。それだけだ。
心配になってきたから電話した。
自宅の握美は無事だった。
「いやもう帰る。やっぱり今度にするわ。うん。あ、今考えたんだけど、ぼくがポミトキの陰嚢を毟り取ったら罰金っていくらかかるのかなあ? あ? あー、んー。まあねえ」
頭に浮かぶ刑事ドラマの目玉をひん剥くオッサンと、本物に見えてもいけない血糊。
一番被害が少なくて済みそうに思えただけだった。確かにわざわざマットを敷いてから取っ組み合いを開始するわけではない。紳士的去勢術をこそ封印すべきなのだろうか。
「なあ」
通話を終えたぼくは、また人美木さんへ話しかけた。
「お母さんをデートに誘うなら、どこが一番いいと思う?」
「切り替えた途端、極端だよ!」
「火菜は?」
「えぁ?」
「将来息子とデートするならどこ行きたい?」
「えー? 息子? んー、どこ……。あっ! 女子アナって絶対放送禁止用語だよね?」
「どうして今そんな単語が出てくるのよ……」
「あと、ヘクサコシオイヘクセコンタヘクサフォビアもヤバい! サクサイワマン生えるwww」
「なんで日本語に聞こえるんだろうな?」
「日本語になんか聞こえませんっ!」
帰り際にあくまで紳士的にしたそれは、すぐに終わったためか結果放置されたのだけれど、子どもをもうけてから何か違うわと心が変わったレオン・アントニーニ・一郎・ヴァンダービルト氏とまでお休みのキスを交わしたら、突っ込みきれないと突っ込まれた。
「今日はパーティへの加入を強要される人の気持ちが身に染てよく解ったわぁっ!?」
「いや、あの人はお母さんじゃなくてお父さんだから」
「ええーっ!? 余計に複雑な心境に今、私、なりました!」
「送り狼になっちゃだめだよ!」
「わおーっ!」
「わんわん!」
「誰か助けて!?」
夜々ちゃんがお母さんの車で、妹の部屋から帰ってきた。
泊まっていけば女子同士の親睦も深まると思ったのだけれど、また今度にするねっと笑顔でバッサリ断られた。
おっとりしてる風ナチュラルメイクで、意外とハキハキしてんだな。
帰宅してすぐ玄関で抱擁。
握美はいつ抱いても柔らかい。
ちゅうちゅう。
そして久々に刃楼から、オンザス! と頭突きをくらう。
ぼくの頭には、未だに実行に移されないポミトキのあの犯行声明が渦巻いていた。




