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第二章 女性の楽園 第六節 半透明の強襲


        六



 もし自分だったら……そう考えるとぞっとした。暇をもてあました釣り人に纏わる防波堤のフナムシのように身の毛がよだった。

 この図体で情けなく、握美あくみちゃんと喚き散らしていたことだろう。

 唯一の救いは、それを実母の実名だと特定できる人物が、この場には限られているということか。


 だからこそ。まさか自分に限って――ありえるはずがない。と強く思ったに違いない。そうでなければ、愛する人を、または知らない誰かを守るために、自分だけが潔く屋外に留まって、奴らの餌食になるより他に、選択できる善行が残されていなかったのだから。


 そんな、ひとりで死ぬことによってのみ大勢から感謝される英雄の成り方ってあるか!?

 しかもたまたま運悪く、ちょっとした不注意が原因で!

 代わりさえも特に必要なかった、どうでもいい生贄などとして!


 はじめは単なる怪我だと思った。

 はじめは単なる歔欷きょきだった。 

 誰もがそう思いたがった。

 あるいはその汗の引かぬ肉体が、先程直に見た心臓の縮む光景に対して、自己治癒の目的で余計な感情を排泄しようとしたのかもしれない――と。


 だから駆け寄る者がいた。姓ではない辞書の上の白面朗はくめんろうへ、我先に手を差し伸べてしまった人がいた。

 幸いと言って良いのかそれは、身体を触られるのも嫌いなはずの妹に、今回だけは特別に、ぐぅっとしがみつかれていたぼくではなかった。

 幸いと言って良いのかそれは。


 試合中に意地悪く牙を剥いたこむら返りを冷静に処置する先輩と、奥歯を噛みしめる届かぬ後輩。


 未だ攻撃の真価を知らないその脚は、女形おやまの腕のように白皚々(はくがいがい)と木目の床に映えており、がっちりと盛りあがった腓腹筋だけが、乙女を惑わすバリトンを、雄々しく未来に予見させていた。

 労わる十指も白鷺のように長かった。


 痩躯の人魚にトップス着用の必要性を自覚させられること請け合いな、龍のようにごつごつと波打つ背骨は、無心で涼を求めていた夏のある日の妹を、矮小な海馬から引きずり出した。


 湯船で数える母の姿態で上書きしようと努めるたびに、どうしてか、フローリングをだらだら転がる胡乱な幼姿が出しゃばった。

 閉鎖的なのか開放的なのか、本当によくわからんやつだ。


『? 場所によるけど?』


 ……そりゃそうだけど。


 感情的なのか理性的なのか……好きの定義が違うのか。

 握美あくみが纏ったショーツなら、純粋に温かく幸せで愛おしい心持になられたのに。


 喉仏が内側からもがくように脈打って強直。損じられた朱墨のように、肋骨を侵してヒャンになる。


 そいつは裏に付着していた。

 青空のもとで健康的に駆けまわる男子小学生を、太陽光線から守っていたシャツの裏側に。

 そして鼈の首の速さで、ヒルのようにぐわりと、至極不快に膨張し――、


「タッ……! タッカラ……!」


 まさに金縛り。

 時が止まるというのは、すくんで身動きが取られなくなるということだった。


 エネルギーの切れたコックピットで、身体よ動けと脳が暴れる。もしかするとあれは、回線の接続に不具合があっただけだとも考えられるのではないか、いやきっとそうだ。


「ぃぃぃぃイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイいいいいいいいいいいいいい―――――――――――――ッ!!」


 胎児あるいは食用のメキシコサラマンダーの、血流と白骨を透かして見せるお手手に似た、半透明の樹状突起が、ぐしっと、ぎちゅりと、上から強引に月歳つきとしの泣き所を押さえつけた。

 大きなかぶを引き抜くように、空腹のはらわた一色で。


 悪い意味で器用な彼はこんなことにも耐性があった。

 愛する実姉の名前を呼んで、泣き叫びはしなかった。

 痛みを堪えた歯ぎしりに、アカウミガメの涙がのけぞる。


 喉が痛いと気付いた時には、ぼくが何かを叫んでいた。言葉にまるで意味はなく、それは口論の独り相撲。アドレナリンが分泌されるとニヒルが反転する模様。その点に置いては奇人を気取るさしものぼくも、実に自称フツメンだった。


 内弁慶に不良の長所はひとつもないとはつゆほども知らなかった、13歳の春機発動期が、弥が上にも蘇る。


 弱い女子が金切り声を連射して、強い女子がわんさか泣いた。

 2メートルを優に超えるニューロンの“変化へんげ”が、ぎぢぎぢぎぢっ……、と鎌首をもたげる。

 くりくり回った核は開いて、解っていても気持ちが悪い、ぐるぐるキマッた目玉になった。


 餌用のウサギのようにモリモリと呑み込まれ、軸索が身籠ったタツノオトシゴ。

 瞬きどころか息さえ奪う、ごちそうさま後の静かな余韻。

 心電図さえもさじを投げたと髄まで凍ったその直後、高熱の爆風が電気の代わりに、強張った全ての筋肉目掛けて、青白く超自然科学した。

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